6月6日に薨去された寛仁親王殿下は、14日に斂葬の儀が摂り行われ、荼毘に召されて皇族の御墓である豊島岡墓地に埋葬されました。私にとっても何か気の抜けた支えがなくなった思いでいっぱいです。もうお会いすることのできない殿下との思いをここに綴っておきたいと思います。
殿下と初めてお会いしたのは、私が大学を卒業した1974年でした。私が就職した東洋で初めての身体障害者専用のスポーツセンターに殿下が秩父宮妃殿下の「障害者福祉をしているのならぜひ行ってきなさい」とお声をかけられて、視察にお見えになられたときでした。
殿下は私より5歳上なので、まだ殿下が20代の時でした。その殿下の一声で、障害者のクリスマス会や身体障害者のスキー教室が開かれることになり、スキー教室では、殿下が陣頭指揮で指導されました。
それがきっかけで、1979年2月に蔵王で開催される東洋で初めてインタースキーで障害者スキーの指導法について発表されることになりました。私は大阪からデモンストレーターの障害者を連れて、前年の5月に奥志賀で行われた合宿に参加しました。
その合宿中に団長であった速水先生が腰痛になり立てなくなられ、それを私が治してあげたことがきっかけで、日本チームのトレーナーとしてインタースキーに帯同することになりました。このことが御縁でたびたび殿下からお声が掛かるようになり、いつの間にか殿下のパーソナルトレーナーとしてのポジションに今日までおかれておりました。この話は、私が出した1987年に最初に書いた「スポーツ選手のためのウォームアッププログラム」の推薦のことばで、次のように書かれています。
「著者の魚住氏とは10年を楽にこえる古いつきあいになる。はじめの頃、私は彼を以前、陸上競技で少しは鳴らしたスポーツ指導員としてしかみていなかった。8年前、我々スキー教師のオリンピックとでもいうべき世界スキー指導者会議が蔵王スキー場で開催されることになり、そのための合宿をしていた折、ティーム団長が重症のギックリ腰になった。
これを氏は、多量の氷を使用して、我々の見ている前で完壁に治療し、完治させた。また、海軍武官あがりで、その頃からの古傷で悩んでいた友人の英国大使を、同じ方法でみごとに治してしまった。
最近では、世界で唯一の視覚障害者のクロスカントリースキー世界選手権に、私が団長で何度目かの遠征をした時、最終日で荷作りをしていた私の部屋に、トレーナーとして同行してくれた彼がフラッと現われ、「殿下!お疲れでしょう!」というから、「もうヨレヨレだよ!」といったら、「ベッドに寝て下さい。すぐ治しますから!」という。
約15分間、見たことも聞いたこともない方法で、私の身体を動かした結果、私の全身の凝りはみごとに消え去っていた。昨年は、どうしたわけか、何度やってもゴルフのスコアが悪い時、彼にみてもらった。治療前に、「殿下、この鏡でよく身体全体を見て下さい!」治療後に同じように鏡のなかの私の背中を見たら、みごとに正しい形のS字が戻っていた。翌日のスコアは、生涯ベストに2打足りないとはいえ絶好調であった。
私は極めつけの運動選手であるから、長い間、あらゆる治療法に挑戦してきた。東洋・西洋の区別なく!しかし、現在、彼に勝る私の身体の調整師はいないと断言できる。
したがって、3年前から、私の長い体験から作り出したトレーニングのメニューを全部捨てて、彼の作ってくれたメニューをこなす努力をしている。彼は、ようやく近頃になって名が少しずつ知られるようになった。
わが国はどんな分野においても大家主義であるから、むずかしいと思うが、彼の素晴らしさ、とくに理論に基づいた実践と、その結果の偉大さを、早く、わが国のスポーツ界が見つめなおし、彼の持っている能力をフルに引き出す努力をすれば、選手強化の面からも、一般スポーツ愛好家の底辺拡大も、大層な効果を上げうるであろうことは想像にかたくない。
一人でも多くの方々が熟読玩味されることをおすすめするしだいである。」
一般人が皇族の方の推薦文を書いていただけることはあり得ないのですが、宮邸の事務官の方に電話を入れると、「その話は、殿下と魚住さんの関係のことなので、殿下に直接話をされたらいいと思います」と言われ、殿下にお話ししたところ心よく書いてくださいました。またその本の出版パーティにも出席していただきました。
そのことも考えられないことなのですが、それ以来殿下をお支えしていけたらと考えていました。
その後はいろんなことが起こりました。殿下が崇拝されておられた高松宮さまの薨去、この時ほど殿下が落ち込まれたことはありませんでした。妃殿下から「魚住さん何とかしてよ!」といわれ、宮邸に伺った時のこともはっきりと覚えています。それから4年後にがんが見つかり、1991年1月に下部食道がんの手術をされました。その手術の影響で、胃からの逆流のためにうつ伏せになれない、水平位で寝られないということで、腰痛との闘いの時期も長くつづきました。
この時期から宮邸に伺ったり、大阪に来られた時は滞在されるロイヤルホテルに出かけて行き、殿下の体調を整えることが多くなりました。時には、北海道にゴルフをされに行かれた時、「起きたら腰が痛くなって動けない。
お前さんがいるなら今からそちらに飛んで行く!」と早朝殿下から直接家に電話が掛かってきて、北海道から大阪、そして新幹線で東京に戻られたこともありました。
そして、20008年に5月人工咽頭の手術をされた後、昨年の12月まで毎月宮邸に出向き、殿下の体調を整えたり、度重なる手術後のリハビリのアドバイスをさせていただいてきました。21年間で16度の手術を成されましたがその都度奇跡的な回復力を示されていましたので、16度目も大丈夫と思っていましたが、さすがの殿下にももう余力はおあり出なかったのだと思います。
殿下との思い出は、数限りなくあり、多くの知名人も紹介してくださいました。その思い出は、殿下との多くの思い出と共に胸に収めておきたいと思います。本当に立派なお方であられ、私との接点があったというだけでありがたくもったいないことだと思っています。殿下の著書も多く出版されておりますので、メンバーの方にも是非読んでいただき、殿下を偲んでいただきたいと思います。