「ナンバ歩き」について|ニュースレターNO.271

もうどこかに忘れ去られた言葉「なんば」について、また新たな私見が見つかりました。矢田部英正著:美しい日本の身体(ちくま新書2007)のなかに「なんば歩き」についての解説があります。

「なんば歩き」や「なんば動作」と言うのは、絶対のものではなく、そのような動きになることもあり、そのような動きが必要なこともあると言うことが適切な理解の仕方であると思います。何でもそうですが、こじつけですべてそれがベストであるというもの・ことはないということです。

柔軟な思考が必要だと言うことですね。上記の著書から「なんば歩き」に書かれたところを紹介したいと思います。また姿勢について書かれた本なので、非常に参考になりますので、ぜひ読まれることをお勧めします。

『かつて日本人の歩き方は「ナンバ」であったとよくいわれるが、渡来の物を意味する「南蛮」をモジった「ナンバ」が日本の伝統である、という考えにはどこかしら違和感を覚えずにいられない。

三浦雅士氏は『身体の零度」(講談社選書メチエ)のなかで、近代がもたらした日本人の身体的な変革について緻密な論考を展開しているが、古来の歩容については舞踊評論家であった武智鉄二に多くを負っている。「ナンバ」にかんする武智の解説は、技術的な事柄にまで深く踏み込んでいて実践的である。』

『ナンバの姿勢を説明するときに、よく、右足が前へ出るとき右手も前へ出す、というように説明される。しかし、これは正確ではない。

日本民族のような純粋な農耕民族の労働は、つねに単え身でなされるから、したがって歩行のときにもその基本姿勢を崩さず、右足が前へ出るときには、右肩が前へ出、極端に言えば右半身全部が前へ出るのである。

しかし、このような歩行は、全身が左右交互にむだにゆれて、むだなエネルギーを浪費することになるので、生産労働の建前上好ましくない。そこで腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、⊥体はただ腰の⊥に乗っかって、いわば運搬されるような形になる。能の芸の基本になる運歩もこのようにしてなされるのであって、名人芸では上体は絶対に揺れることがない。

ただし、日常行動では能ほど厳密でなくてもよいので、上半身の揺れを最小限にとどめる程度であるかも知れない。(『舞踊の芸』東京書籍)』

『からだの末端にある手足の動きは、見た目には大きくうつるので、動作の解釈がそこへ注視されてしまうのはいたしかたないことではあるが、そこを武智は「体幹の動き」から「腰の入れ方」「足運び」と「上体」の関連までを正確に描写している。

さらに踏み込んで言えば、日本人は「腰を捻る」という動作を習慣的に持たなかったのであり、体幹を左右に捻ることなく、立居振舞いに際しては常に骨盤を前傾させておくことが、彼らの日常着の必然として身体を規定してもいた。

身体の技術に細かく踏み込んだ武智の解説からは、かつての日本人の動作が眼に浮かぶようだが、日本舞踊の教則本を参照してみると、「ナンバ歩き」と「南蛮歩き」とが区別されていて、その歩き方は武智の説明とは必ずしも照応していない。

武智が言う「右足が前へ出るときには、右半身全部が前へ出る」歩き方は日本舞踊の教則本では「南蛮歩き」の方に対応していて、一方「ナンバ歩き」の図版には、高く振り上げた右手に、取って付けたように右足を出す姿が映っている。

どちらが正しいのか、ということはさておき、舞踊の型として残されている「南蛮歩き」からは、かつての日本人に特有な身体の習性をいろいろと教えられる。「南蛮歩き」というのは文字通り「南蛮人」を模倣した歩き方のことだが、舞踊の世界でこれは笑いを誘うような滑稽な歩き方とされている。

今でも長崎の「おくんち祭り」には「オランダ漫才」という出し物があって、道化さながらの格好をした芸者衆が三味線にお囃子の伴奏で街を練り歩く姿を見ることができる。

かつて日本の風俗からおおきく外れる風変わりなものは何でも「南蛮」と呼ぶ風潮があったようだが、出島のオランダ商館からしばしば巷へ俳徊にくるオランダ人の歩き方というのは、当時の日本人にとっては滑稽なものに映ったらしい。おそらくその歩き方は現代の西洋人と同様、腕をおおきく振って、右手を出すときには左足を出す歩き方であっただろう。

その風変わりな動作を芝居に取り入れようとしたときに、実際に真似することができたのは手足の大きな振りのみであり、胴体を捻ることはおろか、左右の手足を交互にふることすら、当時の日本人には着眼が及ばなかったことがわかる。

日頃は、草蛙、下駄、草履をはき、下着を着けずにキモノを帯で留めていた時代、仮に南蛮人の大股な歩き方をそのまま真似することができたとしたらどういう風体になることか、考えただけでもたしかに滑稽である。

「南蛮歩き」というのは日本人の歩き方からおおきく外れた滑稽な歩き方のことを言う。それが訛ったとされる「ナンバ歩き」がどうして日本古来の歩き方と信じられてきたのかはおおいに疑問である。

これも武智の説によれば、南蛮渡来の滑車を引く半身の構えに由来するというが、滑車で重たいものを持ち上げる時というのは、ヨイトマケのように右手右足を同時に出し、武智流に言うと右半身全体を出して、腰を低くして進まなければ力が逃げてしまう。

「ナンバ引き」の労働作業から「ナンバ歩き」と名付けられたのだとしたら、あくまで特殊な労働条件のなかで行われる歩き方を意味したはずで、それが日常的な歩行とおおきく異なるからわざわざ「ナンバ」と呼んだのにちがいない。

いずれにせよ、みんながキモノを着ていた時代、日本人の歩き方は現代とはおおきく異なっていた。近代体育の普及によって古来の歩き方が失われた時、伝統的な歩き方が風変わりに見えたからはたして「ナンバ」と呼んだのか、まったく想像の域を出ないけれども、キモノに相応しい歩き方は「南蛮」のものではあり得ないし、日本古来の歩き方を「ナンバ」と言ってしまうことにも、どこかで錯誤がはたらいているようだ。』

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