バンクーバー冬季オリンピック|ニュースレターNO.234

バンクーバー冬季オリンピックも終盤に入りました。日本選手たちの活躍もあれば残念な結果もあり、また当然の結果も見られたようです。スピードスケート男子500mの長島、加藤選手の銀と銅は日本選手最初のメダルでしたが、優勝できていたと思うだけに残念です。

力みばかりが目立った滑りでとても最高のパフォーマンスの発揮といえなかったと思います。前回の冬季オリンピックの時にも書いたのですが、滑りでの動きが外国選手と日本選手は異なる気がします。よく見ると、日本選手は膝の動きで氷を押しているように見えるのですが、外国選手は膝を固定して股関節の動きで氷を押しているように見えます。

氷を押すタイミングと身体の重心に対する膝の位置が異なるように見えました。それが大腿四頭筋を使って滑ろうとするのか、股関節の伸筋である臀筋とハムストリングスを使って滑ろうとするのかの違いになると思います。距離が長くなればなるほど、疲れの出方と動きの違いが顕著に見られるように思いました。

また、短距離も長い距離も出だしはいいのですが、後半極端に失速してしまいます。500mにしてももっとペース配分(例えば100m単位で)について戦術を組み立ててはどうかと常々思っています。出だしの勝負というより、結局は平均ペースで最高タイムを出すことを考えたほうが前半の力みも尐なくなるのではないでしょうか。

この落ち込みを脚にきたといわれるように、大腿四頭筋を使っているために速く大腿四頭筋に乳酸がたまってしまって脚が動かせなくなるのではないでしょうか。トップスピードに速く乗せて、そのスピードを持続するという考え方が基本のようなのですが、そのトップスピードをどの程度にするのかが問題だと思います。100%のスピードに達してしまえばその後はスピードダウンしかないはずです。

実は、昨年急に出てきた女子の小平選手の滑りは、注目していました。これまでの日本選手に見られない股関節の伸展動作で滑っていたので、オリンピックでの活躍も楽しみにしていました。彼女は最初の500mでペース配分に失敗しましたが、その後の1000mと1500mはペース配分もうまくいき見事5位と健闘しました。

日本選手に共通してみられるのが、ゴールした後の疲労感です。あの疲労感は、全力を出し切った疲労感ではなく、無駄な力を使って緊張し続けた結果だと思います。ベストパフォーマンスでは、ほんの尐し余裕が見られるはずです。ベスト記録を出した時と、いい記録が出なかった時の疲労感を思い出せばわかるはずです。

100%の力を発揮するには100%の力を出そうとするのではなく、1-2%の余裕が必要だと思います。100%の力を出し続けることはできないはずです。そんな勘違いがよく見られます。それが頑張ろうとすることだと思います。頑張るということは、眼を見開いて周りに集中し、緊張を最大にするということのようですから、頑張ろうという意識はマイナスに働くということを忘れてはいけません。

スノーボード、ハーフパイプやモーグルなどで日本選手も健闘しましたが、技の面では互角かそれ以上の面も見られるのですが、最大の違いはスピードにあるように思われました。言い換えれば、恐怖感に対する度胸の違いのように思えました。一歩間違えれば死につながる競技の中で、いかにその恐怖に打ち勝って滑ったり、空中に飛び出せるかが勝負の分かれ目になるのだと思いました。

ある意味、普通の人間ではできない競技ですし、何かが変わった人間でないとできない競技だと思います。そのような競技をしているアスリートは尊敬するしか私にはできません。

男子フィギュアスケートで銅メダルを取った高橋選手は、ショートプログラムとフリーのいずれにおいても最高のパフォーマンスをしたと思います。フリーでジャンプのミスはあったものの、完全に持てる力を出し切った演技だと感じましたし、感動を与えてくれました。それが演技終了後のガッツポーズに現われていていました。

結果はともかく、最高のパフォーマンスを発揮した選手は彼一人だったように思います。夏季のオリンピックも同様ですが、オリンピック本番において日本選手の10%も自己ベストのパフォーマンスを発揮できていない現状をもっと見直すべきではないでしょうか。

現状のベストを尽くしたとよく言っていますが、それは当然のことでそれができなければやる気がないということでしょう。問題はなぜ本番で力が出せないかということです。どうもオリンピック本番を目指したピリオダイゼーションが考えられていないようにも思われます。どのようプロセスを踏んでオリンピック本番を迎えているのか知りたいものですね。

メダルや入賞という前にベストパフォーマンスができなければ何のためのオリンピックなのか、世界大会なのかということになるように思います。我が国の状況からすれば、単に参加することに意義があるのではなく、自己ベストを発揮してくることが最低限度の目的になるのではないでしょうか。その結果が、入賞やメダル獲得ということにつながると思います。

スキージャンプは、ラージヒルで葛西選手が1本目はだめでしたが、2本目のベストパフォーマンスを発揮し、8位入賞しました。トップレベルの選手たちとの差はやはり跳び出す動作の違いにある気がします。このことも前回の冬季オリンピックの時にも書いたことですが、立ち上がり方に違いを感じました。

立ち上がって跳び出すのですが、そのわずかなタイミングの違い(いわゆる踏切のタイミング)、跳び出す・跳び上がる角度の違い、そして立ち上がる動作の手順によって飛距離が大きく変わります。その中で立ち上がる動作の手順のわずかな違いが大きく影響しているように感じます。団体でメダルを期待されましたが、5位に終わりました。

選手はほぼベストのジャンプをしたのですが、それでもメダルから遠くはなされたという現実は、大いに見直さなければいけません。大会が終われば、また何が世界から遅れているのか連盟から発表されることでしょうが、4年前と同じ話になるような気がします。そうなると、結局何も分かっていないということであり、次のオリンピックも結果が見える気がします。

スピードスケートの清水宏康が朝日新聞に「日本はスポーツ後進国」という記事を書いていました。何が後進国なのかということですが、私は指導方法なりトレーニング方法が後進国なのだと思います。ジャンプ競技で外国のコーチを呼ぶのですが、日本の選手になかなか受け入れられないことが多いようにも聞きました。

日本選手の場合、スポーツ科学やすべての競技において道具やウエアは一流なのですから、それを最大限に活用できる技術と体力が必要なのですが、技術と体力のいずれが足りないのか真剣に検討すべきではないでしょうか。オリンピックごとに同じことが言われますが、体力ということにしても競技種目ごとに異なるわけですから、そのあたりのことも間違ってはいけません。

特に伝統的なトレーニングというものがあるなら、見直す必要があると思います。トレーニングの原則にもあるように、毎年同じことを、それも何年も続けていないか、それも気になるところです。ただ同じことを量を増やして体を追い込んでいるだけではどうしようもありませんね。

我が国と対照的にスケート競技で世界のトップに立ったといえる隣国の韓国は、注目に値します。そんな中、2月21日(日)毎日新聞朝刊に「朝鮮日報記者が韓国の強さ分析」というタイトルの記事が掲載されていました。その一部を紹介します。

『男子五千㍍銀の李承勲はもともとスピードスケートをしていたが、ショートトラック(ST)に転向した選手だ。STでは代表選手に漏れたため、ふたたびスピードスケートに挑戦した。厳しいSTの訓練で作った体力には自信があった。身長177㌢の李が体格の劣勢を挽回できたもう一つの要因は、STで学んだコーナリング技術だった。このため李はカーブで加速した。李はスピードスケートの練習スケジュールを消化しながら、個人的にSTの訓練も続けていた。

女子五百㍍で金を取った李相花は内ももの筋肉が発達している。李がスクワットで持ち上げたバーベルの記録は170㌔だ。

韓国代表は昨年の夏に体力作りの強度を最大値の90%にまで引き上げ、7月と9月にはカナダのカルガリーで訓練。その後、国際大会で実戦感覚を養い、開幕前の1月から再び体力強化に取り組んだ。また、大韓スケート連盟がバンクーバー五輪準備のために4年間で約9億3600万円の予算を使い、スピードスケートとショートトラック、フィギュアスケートを手厚く支援した点も大きい。』

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