教えるものと教えられるもの|ニュースレターNO.20

腓骨筋

今年、初めて大学の野球チームのアドバイスをすることになりました。2月からスタートし、2ヶ月が過ぎました。ホームページの出会いからアドバイスがスタートしたわけですが、ここにきて大きな問題が発覚しました。それは、私が作成したトレーニングができていないということです。

学生たちは3月に入って合宿があり、その後オープン戦が続いたので、やれなかったということが理由だそうです。4月に入ればもう春のリーグ戦が始まります(もう始まっています)。私は、合宿には同行せず、3月の終わりも中国に出かけていたので、リーグ戦の開幕を前にした4月1日に練習を見に行きました。

監督は、OBの方であり、仕事もあることから祝日や休日に練習を見に行かれます。大学の運動部では良くあることですが、それだけ学生の自主性が求められるわけです。

そのために日ごろの練習が見られないことから、選手達のトレーニング状況などをノートに記録させて、毎週確認するようにアドバイスしておりましたが、そのノートを見せてもらうと、3月はほとんどというか、後半はまったくトレーニングをしていないことがわかりました。

私が作成したトレーニングがやられなかったことは過去に例がなかったので、かなりショックを受けました。なぜ私はここにいるのか、何のために時間を裂いて練習を見にきたり、アドバイスをしたり、彼らの試合日程やオフの日程を聞いて、トレーニングが継続できるように毎日のトレーニングスケジュールを作り上げたのか、わけがわからない状況に陥ってしまいました。

特に学生の場合は、まだ十分大人になっていないところが見られるために、信用という面で当てにならないというか不安を持っておりましたが、心配していたことが起こってしまいました。

アドバイスする側とそれを受け入れる側の信頼関係というか、それを信じてやり遂げようとする互いの信頼関係が足りなかったのでしょう。これは、そのチームや個人を指導・アドバイスする前に、一定期間の付き合いをして、互いの理解をしていなかったからだと思われます。

ウォームアップを見ていても、私が最初に指導した2ヶ月前から進歩はしておらず、ほとんどの選手がそれなりにやっているという状況でした。それでも選手たちによると自分達は変わってきていると感じているようです。

ここで何が問題かというと、「自分たちはやっているんだ」という錯覚・誤解です。これは指導者にも言えることですが、選手たちはやっているのに成果や結果がもう1つでないと考えたりするのです。このような状況では、先の試合の結果は明白です。

もし、結果がよければ、それは偶然でしかありえないし、半年後、1年後にはもっと結果は明白になるでしょう。合宿からオープン戦と試合が続くと、意識はそちらに向いてしまいます。

すると、基礎的な体力・コンディショニングよりも技術や勝敗にこだわってしまうのです。基礎体力・コンディショニングレベルの高い選手たちであれば当然問題はありません。高いレベルの基礎体力・コンディショニングの上に、技術が生かされるということが理解されていないのです。

仮にこれまでの1ヶ月や2ヶ月間、十分トレーニングできたとしても、それはトレーニングのスタートでしかありません。短期間にやりすぎるのではなく、常に、定期的に、サイクル的にトレーニングを続ける・継続することが必要なのです。

半年、1年間続ければ、その過程の中で技術的にも大きな変化が見られるようになります。言うなれば、試合の結果を犠牲にしてでも体力・コンディショニングづくりを優先しなければいけない時期があるということです。

このことは、3月に丸子実業高校の野球部の指導に行ってよくわかりました。体力・コンディショニングレベルが上がることによって、見違えるように技術的にも成長しているのです。これは、指導者のたゆまぬ目配りと選手達の努力の賜物です。彼らの成長には、私も敬意を表するしかありませんでしたし、ありがとうという気持ちで一杯でした。

大学のリーグ戦が4月の頭から始まるなら、せめて半年前から準備を始めるべきでしょう。トレーニングというものは、やり方によってプラスの効果もあれば、逆にマイナスの効果も生まれるわけです。すぐに結果を求めすぎることは、結果としてマイナス効果しか生まれません。

ここで指導者に求められることは、チームや選手個人の把握です。

体力レベル、意識レベルの分析から、現状としてその選手、チームに何が足りないのかを分析する必要があります。そこで個人やチームの弱点がわかり、それを解決するためのトレーニングをプランニングするわけです。その後は、トレーニングを実践し、何が変わり、何が変わらないのか、経過を追いながらの分析と、プログラムの修正が入ってきます。

変わらないことがあれば、なぜ変わらないのか分析する必要があります。またなぜこのような結果になったのかということも分析する能力が必要です。そこで役立つものは、それまでの経過を見ることができる様々な記録やデータなのです。

例えば、トレーニングの量が少なかったのか、強度が低かったのか、トレーニング頻度が少なかったのか、やりすぎたのか、今回のようにやっていなかったのか、いろんな問題が明確に見えてきます。そのようなものがなければ、訳もわからずただ残念がったり、最悪は「あれだけやったのに」といった誤解をしてしまうことです。今回の件は、そのような状況が生まれるところでした。

指導者は、いつも冷静に分析していかなければいけません。仮に選手が一生懸命トレーニングをしてきたのに、確かに定期的にきちっとトレーニングしていることがわかっても、トレーニングの強度と量が適当でなかったり、同じ強度と同じ量でしかやっていなかったということも良くあることです。「結果は正しい」のです。

「こんなはずでは・・・」ということは考えられないし、それを考えることは言い訳でしかないのです。

各種競技によって、どのような記録をとればよいのか、それを考えることが指導者の役目であったり、コンディショニングコーチの役目であったりするのです。

そのためには、各競技に必要なコンディショニングの構成要素を理解し、その構成要素を評価できる具体的なエクササイズなどを作り上げていく必要があります。そのためには、1つの競技だけにこだわらず、あらゆる競技に目を通すことです。広い視野と柔軟な思考を持って取り組まなければより効果的なものは生まれないでしょう。

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