年が明けて、早くも4週間経ちました。特に今週は全国的に寒くなってきましたが、久々に寒さを実感しているところです。そんな中、今週末には、札幌でUHPCのクリニックを行います。昨年の12月に2年ぶりで行いましたが、引き続き開催できることを嬉しく思っています。
さて、今回のニュースレターでは、「おなす」ということについて考えてみました。スポーツトレーナーは、治療家ではないので、「なおす」ということばはいろんな意味を含むことから注意しなければいけません。私もこの道に入ったころ、ケガで悩んでいた選手を“なおして”あげていたのですが、医療の専門家からクレームを受けた事があります。それは、医療行為をしているが、医療の資格があるのかといったことでした。そんな事があり、私自身「治す」ということばを封印していました。
ところが、昨年、ふと「なおす」ということばがふたたび頭に浮かんで考えたところ、やはり「なおす」ということばが一番適切だということが分かり、いまでは怪我した人やパフォーマンスの向上に悩んでいる人を「なおしてあげる」と、堂々と言えるようになりました。
その経緯について、昨年まとめたものがありますので、紹介したいと思います。平成スポーツトレーナー専門学校で、「なおせる」スポーツトレーナーを養成するのが、私の努めであるということも再確認することができました。
『「なおす」ということばを使うのは、厳禁にしていた。それは医学的意味合いが強いことばだから医療従事者だけが使えることばだと理解していたからである。だから、「なおす」のではなく、元の状態に戻してあげる「アブノーマルな状態」を「ノーマルな状態」に戻してあげるという考え方できた。
そこで「身体調整」や「自然体に戻す」ということばを用いるようになった。しかし、先般なぜか急に「なおす」ということばが気になり、辞書で調べてみた。すると、当然だが、「治す」と「直す」がでてきた。
「治す」とは、病気やケガを治療して健康な状態にすること
「直す」とは、正常な状態にする、悪くなったものを良い状態に戻す、修理する・修繕する、誤りを訂正する・修正する、よくない状態を正す・矯正する、形のくずれなどを正す・整える・つくろうこと
「治す」は、英語で言うと、cure=病気を治す、heal=ケガを治す、傷を治す
「直す」は、英語で言うと、correct・reform=訂正・矯正、repair・mend=修理、change=変える
以前から「直す」「ものを修理して直す」は知っていたが、なぜ今頃気づいたのだろう。「治す」ということばが、今まで理解していた医療従事者に適用されることばであり、我々は「直す」ということばが適切であるということが分かった。
人を“治す”のではなく、人を“直す”のである。
“人を直す”スペシャリストを目指さなければならない。それが本来のスポーツトレーナーの役目なのだろう。上記の「直す」の意味が、「アブノーマルな状態」を「ノーマルな状態」・「自然体」へ戻すということそのものであることが分かる。これからは、「直す」ということを意識して使いたい。こうしてみると、「直す」ということは、医療行為ではなく、コンディションが崩れて、それを元のコンディションに戻すリ-コンディショニングにあることが分かる。
この前に読んだ本の中に、「しんしんともに健康」という時に、しんしんとは、心身か身心のどちらかというのがあった。要するに、心が先か、身が先か、ということである。昔は、身体が先で身心、現代は脳が身体を支配するということから心が先で心身、というような説明がされていた。健康になるためには、まず身体を鍛える必要があるというのが身心で、先に心を調整してから身体を鍛えるというのが心身ということである。
このことをトレーニングやリコ-ンディショニング、リハビリテーションに置き換えて考えてみると、心身を整えるということになり、まず心の・精神の状態を整えてから身体を鍛えることになる。まず脳を刺
激して働かせ、これからやることを理解させるということである。身体にいろんな動きを気づかせることから始まると思う。どのように動かしなさいといっても、身体はその動きを経験していなければ、理解していなければうまくできることはない。身体の内面から動きを感じさせ・気づかせれば、どう動いているか、身体そのものが理解するので、トレーニングの効率も上がるし、運動のテクニックも上達しやすいのではないだろうか。
肩や膝を痛めた場合にも、まず肩の関節や膝の関節の動き、すなわち骨の動きを感じ取らせることから始めれば、動かしやすくなる。外面ではなく、内面からということか。外面の動きを指導することから入らず、内面の動きを理解・気づかせることから入れば、きっと面白い結果が出るのではないだろうか。
動きのイメージを選手に語らせることが、本人の身体で感じ取って理解できているかどうか判断することができる。自分でことばにして説明できないというのは、まだ完全に自分の脳でも身体でも理解していないと考えられる。ここが指導テクニックや指導者の技量となるのだろうか。
走るときの脚の動きを、投げるときの上半身の動きをスローでやらせてみる。これがなかなかうまくできない。身体を動かす手順が理解できていないとゆっくりできない。いわゆるごまかしになる。どの部分から動かし始めるのか、その次はどこを動かすのか、というより、最初に動かすところが分かれば、後は自然についてくるはずである。
しかし、動きを理解できていないと力が入り、どこか一部の動きだけを強調してしまう。このような動きは、緊張したもので、決して楽にスムーズには動いていない。力が抜けておれば、いわゆるしなり動作のように身体の各パーツがそれぞれ順番に動くのである。そういう意味では、まずどこから動かすのか、それを理解させることになる。
その部分の力が抜けて、どのように動くのか気づくことができれば、後は力を抜いて自然に任せることだけである。何度も力を抜いて繰り返すと、徐々にしなり動作のように滑らかな動きになってくる。また、上半身と下半身に分かれているので、決して上半身だけがリラックスできて、下半身は硬い動きということはない。全身を使った動きが基本であり、やはり部分ではなく全身の動きも楽にスムーズに動くようにならなければならない。
上半身と下半身のバランスが取れない場合には、動きのスタートが上半身・下半身のどちらを先にするか、しているかによるのではないだろうか。
超スローモーションでやれるようになれば、そこまで神経を研ぎ澄ますというか、身体の隅々まで動きを理解できていることになる。これが、イメージトレーニングかもしれない。最初は意識して、神経を過敏にして自分の身体のパーツの動きを一つずつ感じ取る・気づいていく。
それぞれのパーツの動きが分かるようになれば、連続した・連結した動きはできるようになるので、そこでは最初の動き出しの動きだけやればよい。そうしないと、各パーツの動きを意識して連続した・連結した動きをやろうとすれば、意識が働いているので、当然動きは速くなり、緊張したものになる。意識する段階・ポイントがまずあって、次に動作全体のイメージがくる。
そこまで理解できるようになれば、後は無意識でその動作ができるようにしていくことになる。このとき必要になるのは、リズムだろう。リズムを取った動きの中で、無意識に動作を繰り返し、ポイントでのタイミングを、これも身体で覚える・気づく・理解することである。この後、リズムを持って何度もイメージを繰り返す。
それは、もっと強く、もっと速く、ということではなく、「もっと力を抜いて」ということだけになるだろう。力が抜ければ、自然にスピードが上がるからであり、何かを意識すれば、そこに制御がかかることを思い出すべきである。』