わが肉体改造論|ニュースレターNO.172

前回のニュースレターで、外旋についての話題を紹介し、それに対する意見を御聴きしたところ、いろんな御意見を頂戴いたしました。ありがとうございました。いろんなとらえ方、考え方があり、参考になりました。やはり、物事の考え方やとらえ方は一面的ではなく、多面的であるということだと思います。絶対唯一のものはないということですね。

今回は、以前から興味があり、一度ゆっくり調べてみたいと思っていたことなのですが、非常に面白いことが分かりました。それは、最強の空手家と言われた大山倍達氏がどんなトレーニングをしていたのか、彼の肉体をつくる哲学というか考え方が分かったことです。

それは、「大山倍達:強くなれ!わが肉体改造論(講談社1985初版、2003、24版)」を読んでいてでてきました。肉体とをつくる原点は、「生活労働としての筋肉使用」ということのようです。これは、非常に興味深い内容です。近代トレーニングという考え方というか風潮が蔓延している中で、頭を切り替え、素直に受け入れ、現代のトレーニングにどう組み込んでいくかを考えれば、ひとつの壁が突破できるように思います。

上記の著書の一説を紹介しますが、ここから何を感じ取られるか、また何も思いつかれないか、それがトレーニングの専門家になれるかなれないかの差になると思います。

読まれて、何か思いをめぐらせていただきたいと思います。他にも食事や入浴法など、大山倍達氏がやってこられたことがいろいろ紹介されています。興味のある方は、1度目を通してみてください。

『ノーベル賞受賞者、ドイツの筋肉生理学者ヘッティンガー博士は「筋力は1日1回、6秒間ずつでも最大努力すれば確実にパワーアップする」と述べている。たったの6秒間でもよいから毎日、フルに筋肉強化を心掛け続ければ、必ず筋力は増加するというのである。

筋肉をはたらかせればはたらかすほど発達する作業肥大については先述した通りだが、その場合でも大事なことは、ヘッティンガー博士の「1日1回」、すなわち「尐しずつでもよいから毎日続ける」ということだ。

筋力は記憶力に似ている、という説を聞いて「なるほど」と思ったことがある。

記憶というものは時間が経てば経つほど加速度的に薄れてゆくかわり、ほんのわずかでも反復してよみがえらせるよう努めるうち、しだいに強く脳裏に刻み込まれ、定着していくものであるという。たとえば試験前に徹夜の丸暗記で詰め込んだような知識は3日も経てば薄れ、10日も経てば記憶から消え去ってしまう。

ところが同じ知識を毎日数分間ずつでもさっと読み返したり、メモにとってみたりするうちにその知識は、たんなる記憶ではないその人の頭脳の一部と化し、生涯にわたって身について役立つものだという。

夏が近づくとボディービルの商売は大繁昌だという。ハダカになったとき筋骨隆々たるところを見せようという魂胆であろうが、そのようにして一時的に“夏場の筋肉マン”になったところで、秋口になってボディービルをやめればあッというまに筋肉はやせ細ってしまう。ボディービルが筋力アップに関係がないなどといわれることの理由のひとつは、ボディービルそのものの問題ではなく、入門者の安易な動機づけや、いい加減な取り組みかたにあるのではなかろうか。

その点、日常生活的に、いやおうなしに毎日やらざるをえない、いわば「労働としての筋肉使用」の効果は素晴らしいと思う。

戦前から戦中、そして戦後まもなくの頃までの日本の武道界やスポーツ界には、漁業や山林業のひとびとの子どもたちから数多くの名選手が生まれたものである。

彼らは幼尐時から海に潜ってアワビやウニなどを採り、舟の櫓をこぎ、あるいは大木を斧やノコギリで伐採しては下まで運び下ろしたりして育った。そのことによって全身の「骨格筋」がいやおうなしに発達し、いわゆる足腰の強さや腕っ節の強さは抜群だった。

たとえば戦前、四国の塩飽という製塩地帯から次々と中距離、長距離、マラソンの名選手が輩出したことがあった。製塩は現在では塩化ナトリウムの化学的処理を工場でおこなっているが、当時は塩田に海水を引き入れ、天日にさらすなど万事ハードな肉体労働によって作られていた。その「労働としての筋肉使用」が、おのずから比類のない筋力パワーアップ効果をもたらしたわけである。

わたしは、筋力パワーアップ-筋力倍加法の要諦は、本当はこのような日常生活的な「労働としての筋肉使用」の復活がもっとも望ましい行き方ではないかと考えている。

かりにもし、わたしが中学・高校・大学一貫の体育学園といったものの運営と指導とを任されたならば、わたしはまず荒海と森林とを立地条件に挙げるだろう。櫓舟で漁をさせ、山林で伐採をさせ、田畑をクワで耕させながら武道やスポーツを学ばせる。

小学校を出たての12、13歳から21、22歳までの約10年間、毎日「労働としての筋肉使用」で筋力をパワーアップさせ、その上で最新の合理的トレーニングを実施したならば、日本はおそらく世界最強の武道王国、スポーツ王国の座を獲得することも夢ではあるまい。

いや、そうでもしないかぎり、今後さらに科学技術社会化がすすみ経済大国化するであろうわが国から世界的選手が生まれることは、まず無理なような気がするのだが、どうだろうか。』

『理想としては生活的な「労働としての筋肉使用」の復活が望ましいのだが、しかし現実問題としてその実現は至難のことであろう。

そこで、さしあたって考えるべき課題は、「骨格筋の鍛錬強化」をより日常生活的にはかるにはどうすればよいか、ということだ。

一般に筋力のパワーアップの方法自体は、ここ二十年来、以前とは比較にならないほどの進歩をとげている。科学的データに裏づけられた理論においても、いわゆる運動処方と呼ばれているような綿密なトレーニング実施法においても、そして何よりも施設や設備や器具の面においてである。

そうした点については各種の紹介の記事が氾濫しており、またスポーツクラブやヘルスクラブといったたぐいの施設がいたるところに開業しているから、今さらここでうんぬんするまでのこともあるまい。オリンピック委員会や体協その他の関連諸団体をはじめ、大学や高校、中学などの運動部、企業の運動部その他でのトレーニング指導のありようを見ていると、まさに世は「科学的、合理的な筋力パワーアップ」の見本市のような感じさえうける。

だが、それにもかかわらず、いっこうに世界的名選手、大選手が出現しないばかりか、陸上や水泳をはじめ大半のスポーツ分野においてわが国が年々レベル・ダウンしているという事実を、われわれはどう受け止め、反省し、対策を講ずべきなのか。その点になると、率直に言ってわたしは未だにひとつすら指導者の傾聴すべき提言を聞いたことがない。

わずかにひと握りの心ある監督やコーチ、ひと握りの優れた資質と努力を身につけた選手たちの“個人技”によって、幾つかの分野において辛うじて世界的水準を保っているだけの話ではないか。

では、どうすればよいのか?

わたしがまず第一に提言したいことは、前に触れたような理論面、運動処方面、施設・設備・器具面のすべてにわたってあまりにも科学的・合理的であろうとする、いうならば「科学信仰、合理信仰」を捨てて、このあたりで改めて「より生活的、より自然的、より人間的な心身の鍛錬強化」を優先させよ、ということである。

科学的・合理的なトレーニングが悪いと言っているのではない。それはそれなりに尊重すべきメリットがあることは認めた上で、しかしあまりにもそれに依拠しすぎ、乱用しすぎることのデメリットをも思わざるをえないのである。その前に、もっと素朴に、もっと地道に為すべきことがあるのではないか。

つまり「より生活的、より自然的、より人間的な心身の鍛錬強化」を優先させ、本当の地力、本当の底力を全身にみなぎらせた上で、最後に科学的・合理的トレーニングで磨きをかけるべきなのではないか、ということである。

それは、たとえば先述した「労働としての筋肉使用」を理想とするが、残念ながら現実には今のところ無理であるならば、せめてわれわれは日常生活の中で可能なようなささやかな試みからでも、何がしかの鍛錬強化の創意工夫を補完的に実行してみるべきであろう。

わたしが時折、弟子たちに「ふだんあまり使うことのない“裏筋肉”ほど鍛錬強化するよう心掛けよ!」と説いていることなども、そのひとつの例のつもりなのである。「裏筋肉」という呼称はべつに学術的な正式名称などではなく、あくまで便宜的なものである。

要するに、日常動作やある種の運動の際、直接的にとくに使われる筋肉に対し、さほど使われることのない筋肉のことである。

ということは、当然のことながら人それぞれによって「裏筋肉」の部位は異なってくる。たとえば机の前に腰掛けたきりの事務系統のビジネスマンとプロ野球の投手とでは筋肉の使い方が違うし、プロ野球投手とカラテ家、カラテ家と家庭の専業主婦…と、みなそれぞれに相違してくるからである。

したがって、自分の「裏筋肉」がどのあたりの部位の筋肉なのかといった見きわめは、各自が自己判断せざるをえないわけだが、いちおうの目安はまあ次の三点あたりにおけば分かりやすいのではないだろうか。

①陰になりやすい内側の部分、あるいは比較的、末梢的、末端的部分の筋肉。

②右利き、左利きなどという利き腕、利き足とは反対側の手足とかかわる部分の筋肉。

③生活習慣や運動パターンなどによって異なるが、その人がその行動をおこなう場合、あまり頻度(同じことが繰り返し起こる度数)の高くない部位の筋肉。

中略

以上ごく簡単に「裏筋肉」とその日常的な鍛え方を概説したが、またもや我田引水と評されることを覚悟の上でいえば、わたしは武道、とくにカラテこそ最善の「裏筋肉」鍛錬強化法だと信じている。カラテでは基本的に身体の左右、裏表、中心・末端のすべてにわたり筋肉をまんべんなく駆使するからである。

本章冒頭でわたしは、弟子に「変形するまで猛稽古せよ!」と叱陀激励するむねを記したが、実際にはカラテ家の肉体ほど変形しにくいものはない。「裏筋肉」が裏筋肉でなくなるような全身活用により、全身がバランスよく発達するからなのである。』

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