失敗学|ニュースレターNO.168

心臓の手術をして、早いものでもう一年がたちました。昨年の5月22日のことでした。この一年、コンディションを取り戻すために、いろんなことをやってきました。そのおかげで興味深いこともいろいろ体験することができました。現在のコンディションはベストに近いといえます。20kg近く減った体重も元に戻りました。

手術にいたるまでと、手術後の1年間は身をもって勉強する期間が与えられたものだと思っています。また、同時にいろんな方々の支えがあったことにも感謝したいと思います。これからも前向きに、愚痴もこぼすことなく積極的に活動していきたいと思います。

さて、前に「発想学」ということについて紹介しましたが、「失敗学」という学問も存在しました。人は失敗しながら成長するといわれますが、一度の失敗によって人生を狂わせてしまう人もいます。逆に、その失敗をバネにして成功を勝ち取った人もいます。その人の精神構造が、プラスかマイナスのどちらに作用したかということなのでしょうか。

人生や指導においても失敗はつき物です。問題は、その失敗を財産にし、次にどう生かせるかということではないでしょうか。失敗の原因を分析し、冷静に問題点を見つけ、どのように対処すればよいか考える必要があります。テレビで失敗学の話を聞き、興味を持ちました。そのときの講師の方の著書を調べ、購入し、早々に読んでみました。その本は、畑村洋太郎著:失敗学のすすめ(講談社文庫2007)でした。

失敗の原因を分類し、その対策についても細かく書かれています。基本は会社の組織の話しのようですが、スポーツの指導の現場でも十分役立つものです。特に、思うような結果が出なかったり、悪い結果になってしまった場合など、冷静に振り返るための手助けになると思います。ここでは、本の一部をご紹介するだけですが、詳しくは本を読んでみてください。

『失敗の原因を分類すると、次の十の項目に大別することができます。ここで、十番目の未知を除けば、番号が大きくなるにつれてより高度な判断ミスで、社長など組織のリーダーが起こす失敗の原因だと見ることもできます。

①無知……失敗の予防策や解決法が世の中にすでに知られているにもかかわらず、本人の不勉強によって起こす失敗です。以下略

②不注意……十分注意していれば問題がないのに、これを怠ったがために起こってしまう失敗です。以下略

③手順の不順守…:決められた約束事を守らなかったために起こる失敗です。以下略

④誤判断……状況を正しくとらえなかったり、状況は正しくとらえたものの判断のまちがいをおかしたりすることから起こるものです。以下略

⑤調査・検討の不足……判断する人が、当然知っていなければならない知識や情報を持っていないために起きる失敗や、十分な検討を行わないために生じる失敗です。以下略

⑥制約条件の変化……なにかをつくり出したり、あるいは企画するとき、必ずあらかじめある種の制約条件を想定してことを始めます。そのとき、はじめに想定した制約条件が時間の経過とともに変わり、そのために思ってもみなかった形で好ましくないことが起こるのが制約条件の変化による失敗です。以下略

⑦企画不良……企画ないし、計画そのものに問題がある失敗です。以下略

⑧価値観不良……自分ないし自分の組織の価値観が、まわりと食いちがっているときに起きる失敗です。過去の成功体験だけを頼りにしたり、組織内のルールばかりに目を向けていると、経済、法律、文化などの面からいわゆる常識的な評価がきちんとできなくなり、この種の失敗に陥りやすいのです。以下略

⑨組織運営不良……組織自体が、きちんと物事を進めるだけの能力を有していないケースでの失敗です。
以下略

⑩未知……世の中の誰もが、その現象とそれにいたる原因を知らないために起こる失敗です。以下略』

『ひとつの失敗から教訓を学び、これを未来の失敗防止に生かしたり創造の種にしたりするには、ひとつには失敗を事象から総括まで脈絡をつけて記述すること、もうひとつは失敗を「知識化」する作業が必要です。知識化とは、起こってしまった失敗を自分および他人が将来使える知識にまとめることで、失敗情報の正しい伝達には不可欠なことがらです。』

『ふだん私たちの目に触れる事実は、すべて起こった結果でしかありません。起こるにいたった脈絡、経過は見えていないのです。しかし本当に失敗を生かして次に失敗をしないようにするには、必ず結末にいたるまでの脈絡を自分で把握する必要があります。脈絡を知らないと、本当に失敗を知ったことにはなりません。

しかし様々な形で表現される失敗は、結果だけ、さもなければ簡単な原因と経過が書いてあるだけです。それでは次に生かせないので、記述のしかたとして、脈絡を正しく表現することが必要なのです。

失敗を知識化するための出発点となる「記述」は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。そのとき、「事象」、「経過」、「原因(推定原因)」、「対処」、「総括」などの項目ごとに書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。この書き方については、後にじっくりと説明することにします。

記述した失敗情報は、次に「記録」をしなければなりません。前者は当事者の覚え書き程度のものでも構いませんが、それらをデータとして利用しやすいように整理する作業が「記録」です。失敗情報を手軽に使える知識にするには、必要に応じてすぐに検索できるように工夫することも必要です。

じつはだいたいの人が、記述するところまでで終わってしまいます。しかしさらに記述を記録にまで進めれば、自然に人に伝わり、役に立つものができるというのは大きな間違いで、それだけでは絶対に伝わりません。

企業や官公庁には、事故やトラブルが生じたとき、失敗の過程をまとめたものが事故報告書などの形で残されています。しかし担当者が苦労してまとめたこれらの書類は、ほとんどかえり見られることはなく人目を避けるように資料室で眠っているケースがほとんどです。その大きな理由は、失敗情報のまとめ方が、記述して記録するところで終わっているので、後でこれを見る人が活用できないからです。

大切なのは、記録のあとに「知識化」という作業を入れることです。知識化してはじめて使える失敗情報になるのです。

そして最後にくるのが、「伝達」というプロセスです。失敗が一個人だけのもので、そこから得た知識も「個人しか活用できないものであれば何も伝達する必要はないのですが、個人の周辺や組織に関わるものは、関係者に対する積極的な情報伝達が必要です。これを怠ると、他の人が同じ過ちを無意味に繰り返すことになりかねないからです。

この伝達は、時間や空聞を越えて広く伝えられていく場合、伝承という呼び名に変わります。なお、失敗情報には、放っておくと消えたり、隠れたり、不正確になるなどの性質があるので、システム化された形で情報や知識を正しく伝えていく必要性があります。』

『「論理的思考」という言葉があります。これは、第二章で使った「樹木構造的思考」という言葉に置き換えられたり、あるいは「筋道の立った思考」という言い方もできるでしょう。いずれにせよ、失敗体験からまったく新しいものをつくり出す創造行為に不可欠な思考のように考えられているものですが、私はこの考え方はあまり正確ではないと思っています。

相手に自分の考えを話すとき、人は論理的な説明のしかたというのを好んで使います。起承転結のきちんとした説明、筋道の立っている説明のことで、たしかに受け手はそうした話し方をしてもらった方がわかりやすいのです。ところが実際、人がどうやってものを考えているかを観察すると、「論理的」という言葉を使うことにはやはり無理があります。それはとくに、創造的なことを考える場面にいえることです。

あるテーマから、筋道だった展開があって、目的達成というゴールにいたる創造の道を最初からたどることは、現実の思考の中では滅多にないことです。実際には、まずテーマがあって、その次に達成目標を思いついて、その後にこれを補強するための筋道を立てるというプロセスをたどるほうがむしろ自然です。あるいは、いきなり目標だけがぼっと頭に浮かんで、その後にテーマや筋道が立つことも、場合によってはあります。

人が思考しているときに、現実に頭の中で起こっているこのプロセスは、その}部始終をほかの人にそのまま話しても、これを聞く第三者はおそらくほとんど理解できません。そこで便宜上、ほかの人には整理し直してから話す、「論理的」なる説明を行うというのが真相のように思います。

この仕組みを理解せず、「失敗から新たな創造を生み出すには論理的思考が不可欠」などと誤解しては、やはり真の創造力は身につきません。現実の場面で、貴重な失敗を新たな創造に効率よく生かすこともできないのです。これでは意を決して忌み嫌われている失敗に真正面から向き合った甲斐がないというものです。』

『人間が思考するとき、そのアイデアの種になるソース(源)にはいろいろなものがあります。学校などの勉強でインプットした知識もそのひとつです。また山勘的な思いつきもあるし、さらには自らの失敗体験のように経験的に学んだものももちろんあります。これらのアイデアの種が、生き方や好みといったその人個人のフィルターを通して、すべてひとつの思考平面という思考の場へ落ちてくることから、思考作業はスタートします。

このアイデアの種は、瞬間的かつ同時にたくさんのものがなんの結びつきも論理性もなくバラバラに現れるのが特徴で、これを「孤立分散仮説」と呼ぶことにします。この段階では、各々のソースから生み出されてきたアイデアの種は完全に孤立し、お互いの結びつきなどまったくありません。そして、孤立したこのアイデアの種と種を結びつけ、脈絡を持たせる作業が思考の中でも最も大事な部分なのです。

アイデアの種と種を結びつけていくこのやり方は、本当に人それぞれです。それぞれのアイデアの種の結びつきを何度も繰り返しやり直すことは当たり前です。失敗と創造とが密接に結びついていることを証明しているこのプロセスをわかりやすくパターン化して示すことは不可能で、この方法にはまさに無限大の広がりがあります。

まったく新しい道筋を見つけるときには、この孤立したアイデアの種と種を結びつけ、最初はとにかくなんでもいいから始点から終点まで脈絡をつけてみるのがコツです。ときにはどうしても脈絡がつかず、つながらないこともありますが、そのときは潔く試していた脈絡をあきらめて、まったく別のやり方でつなげてみるのです。こうした試行錯誤を「失敗学」では「仮説立証」と呼んでいますが、まさに創造を行う中で失敗を何度もくり返すのは当たり前のことで、これが「創造には失敗がつきもの」といわれるゆえんでもあります。

ちなみに、創造力に優れている人には、この脈絡のつなぎ方に「思考のけもの道」のようなものができていることがあります。動物が警戒することなく安心して歩けるような、いわば安全に便利にいつでも使える思考パターンです。

脈絡づくりにもいくつか「思考のけもの道」をもっていると、それだけ経験する失敗の数も少なく、早く解に達することができます。こうした「思考のけもの道」を多く持っている人が、まさしく真のベテランといえます。

なお、学校の授業で教える知識は、すでに改良が加えられて、課題から結論までが無駄なく一直線の状態にあるものがほとんどです。一方、実際の創造の作業は、最終的に導き出された模範解答もさることながら、研ぎ澄まされた完成形になる前の段階の、こうした思考平面に投影されたばらばらのアイデアの種が脈絡づけられて解へといたったプロセスが大切であることもこの機会にぜひ覚えておいてください。』

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