先週の17日、NHKの「ものしり一夜づけ」という番組で「なみあし」が取り上げられるということで見ておりましたが、ほんの数分間紹介されただけでよくわかりませんでした。普通の歩き方ではないかと思った次第です。
ほとんどの人は、つま先を外に向けて、脚を平行に動かして歩いていますし、私のスプリントから長距離までの指導においても、十数年前、カール・ルイスの出現と共にそのような動作を指導してきましたので、なぜいまさらという気がしました。
その根底は、二軸理論の確立にあると思われますが、これもなぜ理論化したいのか、私にはよくわかりません。物事を理論化しようとすると、必ずどこかでこじつけになるようなところが出てきます。行き着く先は、「自然に」ということではないでしょうか。
何かをするときには、何かの動作が必要になり、また何かをするときには別の何かをする必要があるように思います。それを1つにまとめることは大変なことであり、ひとつの理論になることはありえないと考えられます。最近、スプリントの動作を考えていますと、どんどん深みにハマってきます。
つまり何をやっても速くなるときがありますし、何をやっても速くならないときもあります。スポーツ科学の分野で動作解析が進むにつれ、いろんな分析結果がついてきます。そこに新しい走りかたができあがってしまうというか、あたらしい走りの理屈をつけられている気がします。
これまでの世界記録を出したスプリンターは、それぞれ個性を持ったスプリンターたちです。その一番速いスプリンターが一番よい走り方をしているという理屈は、納得できるようで納得できないところがあります。それぞれの身体特性を、もって生まれた動きの感覚やリズムをうまく最高のレベルに到達させた結果と考えるべきではないでしょうか。
こんなことを考えていると、ますますどのような走り方が一番速く走れる動きなのか、またどのような動作が素晴らしいプレイやテクニックを発揮できるのかというと、共通しているところがあるように思います。それこそ理論ではありませんが、「リラックスする」という共通のポイントがあります。
究極は、リラックスした自然な動きではないかと思っています。そのことを基本に、毎月北海道でT&Fのクリニックを行っています。
参加してくれる選手は、中学生から社会人までさまざまですが、「楽に」、「自然に」、「リラックスして」をポイントというか、そのことだけアドバイスしているようなものですが、そのクリニックから多くの高校生や大学生が全国インターハイに出場してくれることになったり、全日本インカレに出場できるようになりました。
また、クリニックを受けて、陸上が楽しくなり、ベスト記録を更新している選手も大勢います。
さて、肝心な話をしなければいけません。昨日の月曜日、テレビのダイエット番組で「デューク式ウォーキング」というものが紹介されました。これまで何度か見た事があり、本も出版されていますが、今回は4名の主婦の方に、2週間、デューク式のウォーキングを毎日10分間行って、その結果を見るというものでした。
このデューク式というのは、デュークという方が考えたウォーキング方法です。これは、二軸理論に対抗した直線上を歩く、それもしっかり腰をひねって歩くというものです。2週間、1日10分間のウォーキングの成果は目を見張るものでした。
食事などは普通にしており、10間のウォーキングだけが1日の活動の中で増えたというだけです。まず、1週間目の検査で、体重が2~3キロ落ち、血液検査で中性脂肪の値が1/2~1/3に減りました。それで2週間後のウエストの測定では、2.5~11センチも細くなったのです。被検者の主婦は、外見から特に太っているとはわからない方々でしたが、体型がよくなられていました
やせるためのウォーキング法としてこれまで何度も紹介されたのですが、これからはしばらく腰をひねった直線歩行があちらこちらで見られそうです。
結局、二軸とか中心軸ということではなく、目的と方法の関係だけが間違っていないことが重要と思われます。二軸で足を平行において歩くことは、また「なんば」で歩いたり、走ったりすることはエネルギー消費を抑えるためには効果的かもしれませんが、そのことがダイエットには不向きになるということです。
こうしたことから、歩行においてもすべて「・・・の歩き方」ということにはならないのです。
現在、「・・理論」なるものが多く見られますが、必要なことは理論ではなく、その場で何が一番適したことなのかという見分けができることではないでしょうか。
これまで何度もいってきたことですが、新しい情報は、またこれまでの情報もすべてが参考にする情報であり、それらを引き出しに整理しておくことです。
そして何か事が起こったときに、いろんな引出しから1つずつ情報を寄せ集め、最適な手段となるものを決定すればよいことだと思います。理論の活用も頭の柔軟性によって生かされるのでしょう。