
今回紹介するのは、「地球のバイオリズム-文明法則史学とは-」林英臣(カタツムリ社 1997年)の本です。わずか70頁ほどの薄いものですが、バイオリズムの本を探していて見つけたものです。如何に分析するかと言う課題について1つの示唆を与えられた思いがします。
まず周期とは、「ものごとは巡る」という考え方で、東洋文明がもっている特徴と考えられています。東洋哲学には、易や陰陽論というものがあります。陰と陽は巡るものであり、これを陰極陽転・陽極陰転というそうです。
「陰、極まれば、陽に転ず。陽、極まれば、陰に転ず」。たとえば、1日のうちに昼と夜の巡りがあります。夜があけると徐々に明かりがさし、気温も上がってくる。これがまさに陰極陽転です。昼が陽で、日が暮れるにつれ、陽から次第に陰である夜になっていく。
こうして毎日、陰と陽が繰り返されています。村山節氏は、これと同じように文明にも巡りがあり、およそ800年の周期で文明の創造力が豊かな時期と非常に衰亡している時期が交代で起きていることを発見されました。
800年周期の波状変動を発見された過程が正しくピリオダイゼーションそのものでもあり、過去を振り返る、また長期にわたって詳細に分析することの大切さを教えられた内容でした。そこで、村山節氏が文明周期を発見された過程を本の中から拾って見たいと思います。
『昭和13年、27歳の夏に不思議な体験をしたのです。そのころ散歩などの目的で八幡宮をよく散歩していたのですけれど、神に手を合わせたり、おみくじを引くことは一度もしませんでした。神様に頼っても仕方がないという気持ちがあったからです。
ある午後のことです。夕焼けが空一面を赤く染めていました。境内を散歩した後、二の鳥居近くの並木道を歩いていたとき、突然空から声が落ちてきました。「歴史は直線の分析より始まる」というのです。大きな声でね。心の中から起きた声ではなく、天からそういう言葉が降ってきて私の心を驚かせました。
「歴史は直線の分析から始まる」-家へ帰ってもこれが頭の中でわんわん響いてしかたがない。しばらくの間考えに考えて「直線は時間軸、分析といったら目盛を読むしかない。つまりこれは物さしかも……統計かな」と考えました。
当時私は.天才論の研究をしていました。天才学の世界的潮流はフランシス・ゴルトン。この人はダーウィンのいとこで、ユージェニクス(優生学)の開拓者です。彼は「天才は遺伝である」と主張しています。私は考えました。遺伝は社会的に大量に変動はしない。天才が平均分布するのならゴルトンの説は正しい。しかし、平均分布しないならば彼の説は間違いである。
そこで私がとりかかったのは、ギリシャの天才時代の研究です。広告の裏をつなぎ、直線を書いてそれに1センチ間隔で目盛りを入れていきました。紀元前800年から1000年間以上に渡り、ギリシャの政治、経済、文化、哲学、芸術などで活躍した天才の名前や生まれた年、没年などを記入していきました。そうしてわかったことは、天才は平均分布していないということです。ゴルトンの学説は成り立たないのです。
同様に次々と年表に記入しながら、中国、ローマ、フランス、イギリスと歴史研究を続けた結果、全体のパターンが似てくることに気づきました。どうも法則があるらしいのだが、これだけでは世界史全体の法則を云々するには資料が足りません。そこで大世界年表を作ることを思い立ちました。
これが文明法則史学研究の始まりです。まず幅1mくらいの紙をつないで廊下に敷き、これに目盛を入れていきました。1cmを10年としました。紀元前であろうと、二十世紀であろうとあくまで10年1cmの等間隔です。100cmで1m。人類6000年の歴史でもって6m。
六畳二室の勉強部屋のほかに家に長い廊下があったことが幸いしました。これに時間軸を直線で横に入れて、横線から上はアジア、下はヨーロッパ、中央付近は中央アジアとインドにして、さまざまな歴史上のできごとを毎日毎日書き入れていきました。寝ている間とトイレ、食事の時間以外は年表に向かいました。
文明のところは赤鉛筆にしよう、天才については紫にしようという具合に色わけして記入しました。廊下はガラスを閉めきってインコ小屋にしていたので、インコの糞が落ちてくる。その下データバコを吸いながら1日中年表をながめていたら、ある日ハッと気づくことがあったのです。
文明はかたまり、集合するらしい。赤や紫の鉛筆で記入したのが固まって出る。決して平均に分布するのではない。たとえば、紀元後四世紀。ここでギリシャ・ローマ文明が衰退する。
次に五世紀から十三世紀まで東洋の大文明。唐、宋、ササン朝、サラセンなどの大文明はみなこの時期に集中している。このアジアの大文明期にヨーロッパは中世、暗黒時代。そして1300年ころからヨーロッパがルネッサンスを迎えると、逆にアジアは衰退に向かっていく。どうも文明には西と東の二本の波があり、それが約800年で周期的に交代しているようだ。本当にそうか? と何度も何度も調べ直しました。
私が文明の法則を見つけだしてから10年以上経った1953年にワトソンとクリックらの学者によって遺伝子のDNAの二重螺旋構造が明らかになりました。文明もDNA同様に、東の文明波と西の文明波が二重螺旋になっているらしい。地球の北半球が夏のときに南半球は冬。同様に東の文明圏が栄えているときには西の文明圏は休止状態です。
こうして文明や歴史の流れをマクロ的にとらえて考えていきますと、法則史学の考え方ができてくるのです。
昭和16年のことです。ある日母親が私に言いました。「節、お前、鏡みたか?」。「いや、1年以上みていないよ」。「ちょっと見てごらん」。驚きました。すっかり自髪になっているんです。このあいだまで黒々していたのに。法則史学の研究に没頭している間にすっかり白髪になっていました。まだ結婚前ですよ。浦島太郎の話、本当なんだなあとつくづく・・・・。』
1つ1つのデータの入力から生まれた結果であったのでしょう。スポーツトレーニングについても同じことが言えます。マトヴェーエフ氏はこれと同じことを選手の競技記録とトレーニング量の関係を長期間にわたって追跡調査しました。
そして10年間にわたる研究結果から、男子は3年周期が2回繰り返され、女子は2年周期が4回繰り返されて、ピークを終えていることがわかりました。
しかし、トレーニングを正しく調整すれば、プラス2~3年はベスト・フォームを維持することが可能であると言っています。そのためには、各年度間の発達の状況を正確に分析することであるということです。
トレーニングにおいては継続的な量の管理が重要であり、トレーニング量のコントロールによって競技生活を如何に長く続けられるかということにもなるようです。何かのデータを1年間並べてみると面白い発見ができると思いますし、それが2年、3年・・・5年とならべていけば現状の結果について納得できたり、改善策が見つかるかもしれません。
毎年結果が直線的な向上を示すことはありえないことであり、トレーニングの量についても直線的な増量はオーバーユース、オーバートレーニング、バーン・アウトを招くということです。人生と同様で浮き沈みを重ねながら成長していくものなのでしょう。このことは素直に受け止めることでです。