
以前、テレビでリラックスするとパフォーマンスが改善すると言うものをやっていました。確か、プロゴルファーが普通にスイングした場合と、リラックス運動をした後のスイングでの飛距離を比較すると言うものでした。
結果的に、リラックス運動させた後の方が飛距離が出て、プロゴルファーが驚くと言うものでした。その時のリラックス運動が、からだを緩める「ゆる」と言うものであったと思います。それを紹介したのが高岡英夫氏でした。
高岡氏の著書については、何冊か鍛錬と言うものに関する著書を読んだことがありますが、少々難しすぎて、十分理解できなかったというのが正直なところです。そこで高岡氏の著書を調べてみたところ、身体意識に関する著書が何冊か見つかりました。
早速それを購入し、読んでみました。実際に我々が実践できそうな情報は、前半に少しありますが、後半は概論的な紹介ばかりでした。
結論としては、人間のからだを構成しているものについては、全て意識があり、それをコントロールすることができると言うことです。それがコントロールできる状態にある人は、素晴らしいパフォーマンスを発揮できると言うことです。
その代表に、剣豪宮本武蔵やイチローを挙げています。そういえば、昔、私の母校である大阪体育大学の副学長をされていた大島謙吉先生の歩き方を見て驚いたことがありました。まるで雲の上を歩かれているように見えたのです。
静かでスムーズで、全くリラックスしたスタイルでした。大島先生は、三段跳びでオリンピックに2回出場され、ロサンゼルスオリンピックでは銅メダルを獲得されています。
また、シドニーオリンピックの男子100m決勝のスタート前にモーリス・グリーンが舌を出してからだを左右にくねらせながら動いていたことを思い出します。
私も高岡氏の著書をヒントに、意識を持って関節を動かすことをやってみましたところ、首、肩、背中、腰などの緊張が取れ、非常にリラックスすることができるようになりました。
意識を持って関節を動かすこと、ゆすることは、言い換えるならモビリゼーションであり、確かに関節周囲の緊張は取れるのでしょう。力を抜くことは難しいもので、力が抜けることによって、身体はつながりを持った効率の良い動きができるようになります。
筋力トレーニングが全盛になってきた現在、筋肉を太くすると言うことと平行して、リラックスと言うことも学ばなければいけません。当然、ストレッチングや柔軟体操だけで解決できるものではありません。そんなヒントが高岡氏の著書に隠されていたように思います。
以下に、高岡氏の最新の著書(からだには希望がある:総合法令出版)をから抜粋したものを挙げておきます。これだけでもヒントはあると思います。
『身体に柔構造が進んでいる人というのは、身体のあらゆるパーツ、つまり全身の内臓、筋肉、骨の存在、構造、質量、物性、力を感じる一方、地球の中心をとらえて、それらの関係を、時々刻々、絶妙に感知し、バランスをとり続けながら存在しているのです。』
『身体をゆすることによって、自分の身体がよりよくゆれる、ゆれる気持ちになる。そして身体がゆれ、気持ちがゆれると、身体がゆるみ、気持ちもゆるむ。そうなると、よりゆすりやすくなる。ゆるんできたものはゆすりやすいのです。
そこでゆする、ゆれる、ゆるむということを意識して、ゆすり方や気持ちの持ち方を工夫していくと、ゆする、ゆれる、ゆるむということが、ぐるぐるサイクル状になって回っていく。お互いに次々に影響をし合い、らせん階段を上っていくようにどんどんいい状態になって、各パーツの連結が解放されていくことに気が付いたのです。』
『「ゆる」は、身体に適度なストレスを与え、脳を刺激することにより、ゆる後に心身をリラックスさせ、脳がうまく活動できる環境をもたらします。だから「ゆる」をすると、様々な仕事、運動の能率が上がる可能性があると推察できます。
それをやること自体に疲労はないにもかかわらず、運動効果が得られるところが「ゆる」の味噌です。また、体力が乏しい高齢者、怪我や疾病からのリハビリを必要とする人々、さらに精神的な抑鬱や、現在先進国を中心に増え続けている病気の1つである鬱病に苛まれる多くの人々にとって、「ゆる」は効果があると思われます
というのは、元気のない抑鬱の人が運動するにはそれなりの決断が要るからです。そういう人は運動をする気になれないのが普通ですから、「ゆる」のようなあまり気合いを入れなくても取り組め、効果が出る簡単な軽運動は大変魅力的です』といいます。・・運動生化学者の話』
『意識にはどういう種類のものがあるかを考えました。間違いなく意識は、人間の感覚器から得られるあらゆる意味での情報を元に成立しています。そこで感覚器ごとにみてみると、目で見て入ってくる様々な情報、視覚情報を元にして成立している意識がある。
耳から入ってくる情報、これには言葉も入っていますが、そのような聴覚情報で成立する意識がある。そして、それ以外のたとえば、触覚、嗅覚、味覚、平衡感覚、筋紡錘にある感覚器から感じる筋肉の感覚、内臓の感覚などの体性感覚からくる情報を元に成立している意識がある。
そこで私はその各々に「視覚意識」、「聴覚意識」、「体性感覚的意識」と名づけ、人間の意識をこの3つに分類しました。さらに体性感覚的意識を略した言葉として「身体意識」という言葉を考えました。』
『人間がおなかの中に宿って、一番最初に生まれる意識は、その三分類でいうと体性感覚的意識です。おなかの中で赤ちゃんは、お母さんが言葉をかける以前に、お母さんの情動、身体運動、栄養状態などを感じ取りながら存在し、体性感覚的意識を育てています。
ですから人間は、体性感覚的意識が一番優位な状態で生まれてくる。そこから段々親の働きかけやいろいろな刺激を受け、視聴覚意識も育っていくのです。
このように人間の意識を整理してみると、たとえば下丹田や「腰」といった身体の各部分に形成される意識とは、体性感覚的意識、つまり身体意識であることがわかりました。体性感覚的意識は身体中どこにでも存在し得るし、身体の外にも存在し得るのです。』