2012年 5月 の投稿一覧

右回りで柔軟性が増す|ニュースレターNO.288

我々は地球の北半球に住んでいます。地球は傾いて自転しながら太陽の周りを公転しています。しかも鉛直方向の重力を受けながら回転し続けています。

椅子に座っていても、立っていてもけしてとどまって静止しているのではなく、動き続けているのです。そのことが我々のからだに様々な影響を及ぼしていることを知る人は少ないと思います。からだの不調やゆがみの原因にも大いに関係しているということで、逆にその原因を解決するにはその自然快の自然の法則を利用すればよいという考え方もできることになります。

「三軸修正法」(池上六朗著:自然法則がカラダを変える!三軸修正法〈BABジャパン〉)という考え方があります。物理の得意な人には非常に興味深いものだと思いますが、考え方を理解すれば大いに活用できることが多々あると思います。

その一部を紹介しますが、興味のある方はぜひ原著を読んでみてください。

『三軸修正法のコンセプトの一つに、カラダというモノを、今までのカラダに関する常識的な観点から離れて、「因果関係に基づいて、一般的なモノとモノとの間に、必然的に成り立つ、反復可能な、自然法則で見直してみよう」というコトがある。そのコトにより、ある因果関係に基づいてカラダに起こっていても、今まで見落とされていたカラダの秘密が発見されるかもしれない。

「回転している地球の表面でモノが動けば、その動きの水平方向のベクトルに対して、コリオリの力が働く」。その力は、空気や海水の粒子の流体運動にも働き、それは具体的には地衡風や地衡流の成因となっている。それは、ある緯度以上の、自由大気中の風(西高東低の気圧配置のときに、西風ではなく、北よりの風が吹く)や黒潮などという、具体的なカタチとして観るコトができる。

カラダを、地球の重力の支配下にある微細な粒子の集合体と見なしたときに、このコリオリの力が、その粒子の水平方向の動きに作用し、それがカラダの不都合な状態を収拾するきっかけとなりうる。

それは、カラダに与えられたある作用によって、カラダの粒子が動き、その動きに対して働く「コリオリの力」と、カラダのある部位を構成している粒子に働いている地球の重力と、それに隣接する部位を構成している粒子に働いている重力の「差」により誘発された、圧力の勾配によって生ずる「傾度力」との平衡の方向に粒子を動かし、その規則に則った粒子の動きによってカラダが変化し、カラダに内在する不均衡のポテンシャルが均される可能性がある、というコトを、かなりなページをさいて類比推理してきた。

あとは、実験あるのみ。はたして、類推による予測どおりのコトが、カラダの上に、だれの眼から見ても、ハッキリとしたカタチをとって現われるのだろうか?

もしこの実験の結果に、ほかの現象と違う特殊性が見出せれば、それは、理論的な背景に矛盾があっても、ある作用との兼ね合いで、そこに顕現(はっきりと現われるコト。明らかにあらわれ示すコト)した現象そのものは、発見と言ってもよい気がする。

とにかく、試してみよう。

ヒトを仰臥位にさせる。

  • 鎖骨のすぐ下の、胸の筋肉(大胸筋)を、上方から軽く押さえて、左右の同じ部位の硬さを比較する。同時に、その部位の床から(基準面から)の高さも観ておく(た。ぶん、床からの高さが高いほうが、押さえた感じが硬い)
  • 床から高い方の数センチ上方で、モノ(本、コップ、ペンなどを)ランダム(random、でたらめの)の方向に動かしてみる(動かすモノは何でもよい。かなり小さなモノでもかまわない)。
  • そうすると、いままで硬かった部位が軟らかくなり、圧痛もなくなり、床からの高さも低くなり、周囲との「差」が判然としなくなる。
  • この現象は、いま実験した胸の部位だけに起こる、特殊なコトではない。カラダのどの部位でも、床からの高さが異状に高い部位、周囲より異状に硬い部位の上でモノを動かせば、瞬時に周囲と均されてしまう。
  • 肩凝りや腰痛のヒトがいたら、仰臥位か、腹臥位になってもらい、先ほどの要領で適当なモノをランダムの方向に動かせば、カラダに内在していた「歪み」がなくなり、肩凝りや少々の腰痛が、嘘のようになくなってしまうコトがある。

もしこの現象が、コリオリの力に関係しているとすると、モノを、カラダの異状に高くなっている部位の、すぐ上で動かしたときに、そのモノに引かれて、カラダの粒子が動き、その向きが右に逸れ(北半球では)、それがきっかけとなり、いままでの均衡(二つ以上のモノ・コトの聞に、釣り合いがとれているコト)が壊れ、隣接部位との高さ(圧力)の「差」による傾度力が働き、高さを平均化したのではないかとイメージが持てる。

もしそうなら、高い(硬い)部分が周囲と均されたときに、そこに余分にあった粒子が、ちょうど、北半球において、風(地衡風)が高気圧のところから右に転向していくように、一ツブ一ツブは眼には見えないけれど、なにかの弾みでその部位に余分に集まっていた微細な粒子が、右回り(時計まわり)に回るように移動しながら、周囲と均されていく様子が、私にはダイナミックにイメージされる。

もし、イメージのようであれば、カラダの異状に高い部位、あるいは、硬い部位の上で、モノを右回りに回してみれば、ランダムに動かしたときよりも、効率よくその部位が周囲と均されるのではないかと予想される。

実際に実行してみると、予想したとおりのコトが起こり、高い部位は高さを下げて周囲と均され、硬い部位の硬度は下がり、圧痛は和らぐ。

それでは、前記とは反対に、異状に低く、軟らかい部位の上で、左回りにモノを回せば、低かったところが周囲と均され、軟らかかったところの硬度が増すのではないか?

これも実際に行なってみると、想ったとおりのコトが起こった。低い部位は高さを増し、周囲に均され、軟らかい部位の硬度は上がり、圧痛が起こるようになった。このような結果が現れたときには、驚いたと言うよりは、むしろ、カラダの不思議に感動を覚えた。

はしゃぎついでに、カラダそのものを、回転盤の上に立たせ、上から観て右回りに回してやれば、カラダを構成している粒子が拡散して、カラダの全体が軟らかくなり、カラダの柔軟性が増すかもしれないし、それとは反対に、回転盤の上に立たせたカラダを、左回りに回してやれば、カラダの粒子が収斂して、カラダ全体が締まり、柔軟性が減少するかもしれない。

実験してみると、そのとおりになるから驚きである。回転盤がなくても、回転椅子でも実験ができるし、被験者を立たせなくても、腰掛けていても同じような効果が現れる。

キャスターのついたベットに寝かせたまま前記の要領で、右回り、あるいは左回りにベットそのものを回転させても同様の効果が期待できる。

被験者が実験の最中に、意識的にカラダに力をいれ、カラダを硬くしていても、力を抜いてカラダを軟らかくしていても、その効果に変わらない。右回り(時計回り)では、カラダの柔軟性が増し、左回り(反時計回り)では、カラダの柔軟性が減少する。

この規則性はだれの眼にもハッキリ認識できる。

この事実を認めれば、カラダを前後、左右に曲げやすくしようと思えば、その位置で右回りに回ればよいし、左回りに回れば、さっきとは反対に、曲げにくくなってしまう。回転する地球の上で、モノが水平に移動すれば、そのモノの速度の大きさに比例した見かけ上の力であるコリオリの力が働く。その方向は北半球では速度の方向に直角右向きで、南半球では直角左向きである。また、このコリオリの力の大きさは、その位置の緯度によって異なり、その地の鉛直軸回りの角速度に比例する(コリオリ因子に比例する)。』

身体呼吸|ニュースレターNO.287

呼吸についてはいろいろな考え方があり、いろいろな呼吸法が紹介されています。胸式呼吸、腹式呼吸、鼻から息を吸い込んで口から吐く・鼻から吐くなど、スタイルは本当に様々挙げられています。

私は学生時代長距離選手だったので胸を膨らませて肺に酸素を吸い込むという考え方で呼吸をしていました。それが身についているせいか、腹式呼吸というのは苦手です。それと呼吸というものは無意識に自然に行っていると思っていましたが、物事に集中しているとほとんど息を吸い込んでいるという感覚はありません。むしろ息を停めてしまっていることの方が長いようです。

呼吸と脳脊髄液の流れの関係があり、呼吸運動を調整することで脳脊髄液の流れを調整できるという考え方もあるようです。大場弘:頭蓋療法から身体呼吸法へ(大場徒手医学研究所2010)を読むと、呼吸について非常に興味が持たれます。

頭から骨盤底まで空気の流れを通すイメージが持てると呼吸が楽になり、からだの中に一本の空洞を感じるようになったりします。呼吸に興味のある方は、一度原著を読んでみてください。

『身体呼吸とは、身体が全身で呼吸していることを伝えるために著者が使いはじめた言葉である。呼吸は必ずしも肺の呼吸とは限らない。たとえわずかな動きであっても、呼吸は全身的な運動である。まるで波動のように全身にわたって波及している。

そして身体内部にはあたかも潮の流れのように引いては寄せてくる体液の動きがある。身体の呼吸運動はこうした体液の力動性・流動性となって全身に伝播する。身体の体液的な内環境は、あたかも海の波と潮のように息づいている。

こうした身体内部の律動性は確かに存在している。この臨床的な重要性に最初に気づいたのは、オステオパシのドクターであるサザランドであった。彼は脳脊髄液の波動に注目し、伸縮性のない硬膜が介在して仙骨と頭蓋にシンクロナイズした動きをもたらしていると考えた(第一次呼吸機序)。

頭蓋骨は脳をおさめる脳頭蓋(5種7個の脳蓋骨)と顔面頭蓋(10種16個の顔面骨)からなる複雑な形態をなし、それぞれの骨体は独特の縫合によって連合しているが、まさにサザランドが形容したように、ある動きのためにデザインされているのである。ある動きとは頭蓋部の呼吸運動ということにほかならない。

身体の骨格軸である頭蓋骨・脊椎・仙骨・尾骨に協調して起こる呼吸運動、これが第一次呼吸機序ということになる。呼吸運動と言っても、それは目に見える肺の換気的な呼吸ではない。触れて分かるか分からないような微妙な全身的な動きである。頭蓋に触れて感じられるのは膨張収縮の微妙な動きであり、被験者をうつ伏せに仙骨底に触れると仙骨底が起き上がっては沈む伸縮的な動きである。

Dr.サザランドが主張した第一次呼吸機序とは、頭蓋骨と仙骨が上下の極となって、互いに相反的に圧しては引く波状的な律動性が、頭蓋と骨盤のいわば二つの極の間で軸骨格になびいていると理解できる。

脳・脊髄を包む硬膜は圧力の増減によってもたらされる力を、相対する極の間でおこる綱引きのように張力として伝える支持組織となっている。この硬膜が頭蓋骨に付着し、それぞれの頭蓋骨に独自の動きをもたらしている。

脊柱管にあっては、硬膜は脊椎椎体後面を走行する後縦靱帯に線維を延ばしところどころ連結しているものの、かなりフリーに懸垂している。すなわち後頭骨の大後頭孔(マグナム孔)周縁に付着し脊柱管内で脊髄を包む袋として懸垂している。したがって、仙骨から尾骨へとつながる硬膜は、頭蓋内と脊柱管内の圧力の増減によって、いわばテコとして、仙骨や各頭蓋骨に対して独自の動きをもたらす効果を及ぼしている。』

『身体呼吸は全身的である。しかも表層と深層では異なった質感がある。身体の表層は、波状的な膨張収縮が連らなり、骨格系の連結がまるで歯車が噛み合うように、一連の動きを伝えている。こうした全身的に一連の規則正しい呼吸運動が生じているとき、なんら機能的障害の無いいわゆる健全な状態にあると言える。

一方、身体の深層、その中身となる組織の実質内部には、リンパや組織間液などの体液の流動性がある。それに身体の内部は何層もの膜構造によって包まれ、たがいに分離仕切られ、組織・器官には間隙がある。この間隙あるいは膜系に沿って流れるリンパや組織間液がある。

こうしたいわゆる体液は、呼吸の内圧変動によって寄せては退く流動性を持っている。深層の潮流の流れ方は、身体の何層にも重なる膜構造の仕組みから、身体の呼吸の深みが増すにつれて段階的に異なった様相の呼吸運動を示してくる。

脊髄神経から末梢の神経においても、こうしたリンパ流に潮のような動きが生じていると思われる。したがって眠りに陥ったときのような深い横隔膜による呼吸運動が生じた際には、寄せては退くような潮の流れを末梢神経の走行に沿って感じることができる。

身体の実質にある潮の動きを感得することは難しく熟練をようするところであるが、眠りに陥った人をよく触診してゆくことでしだいにわかってくる。子どもやスポーツ選手のようによく引き締まった身体の人は、この潮のような流動性がストレイトに感じられることが多い。かたや、ただフカフカと海面の波が大きく漂うだけで、その底流は虚ろな感じがして実質的な潮流が起きていない印象を持つことがほとんどである。』

『全身に波及している微妙な動きを感じ取ることは、施術者の技能だけでなく、患者さんの状態もあるので、そうそうすぐに感じ取られるというものではない。最初に触れてみようとしても、まったく動きが感じられないと言った方が一般的である。たとえば、低血圧の人や低体温の人では身体の活動性が低調であり、鬱になっている人にあっては心も身体もそのはたらきはきわめて低調である。

こうした人達では、全身の身体呼吸を最初から感じ取ることはきわめて難しい。患者は体調の悪い方々であり、不定愁訴を訴える患者では触診してもわからないのは当然である。

身体呼吸が触診できるためには、身体呼吸運動を誘発してゆくことが必要となる。端的に言えば、患者に眠ってもらえれば自然に横隔膜の深い呼吸運動が生まれ、内圧変動が高まり、身体呼吸を十分に観察してゆくことができる。指圧・マッサージであれば、単調なリズムで背中を押圧し続ければ眠りにはいりやすいので、これも一つの方法であろう。

身体呼吸療法は指圧・マッサージとも異なるので、身体呼吸を誘発する操作として、ポンピング操作を下肢や仙骨部でおこなうと、これまでになかった律動性が創発する。

こうした簡単な操作から入ることでも、下肢の遠位部(ふくらはぎ)にも呼吸に伴った内圧変動を感じ取ることができるようになる。

さまざまな質感の変化を経てゆくと、身体呼吸が全身に広がり、施術者自身の意識(注意)の広がりも遠くにおよぶようになる。下肢に触れていても全身の動きが伝わってくるようになる。意識(注意)を遠く離れた部位に持って行くことができるようになると、どこに触れていても、身体のいたるところの様子を探ることできるようになる。

これは全身の動きが統一されて一つの揺らぎとして感じ取れるようになっているからである。左半身と右半身の二つの動きがしだいに融合し、全身に広がる動きが一つとして感じることができるようになるからである。こうしたなかで、身体のさまざまな動きの様子から、質感の違いが墨絵模様の濃淡のようにイメージとして感じられてくる。

筋骨格としての身体に一つに融合した動きが生じると、ある瞬間に、腹部にこれまで感じられなかった内圧変動の動きが下腹部を中心に始まってゆくことにふと気がつく。下腹部から始まった呼吸運動はしだいに力強い動きになり、頭部に向かって縦方向に律動性が明らかになってゆく。ここにいたって身体内部からの呼吸運動が圧倒的に支配し始め、目に見えるほどの動きが身体に現れてくる。

まさに身体が一つに揺れ動くのである。このとき被験者は眠りに入っているようであり、ときおり、ビックンと衝動的な体動がなんども現れることがある。緊張して固まっていた身体が、ビックンと弾けるように緩み始めているような印象を持つ。こうした下腹部から始まる呼吸運動は、横隔膜の深い呼吸運動による圧力が骨盤隔膜へ向かって降下し、それに反動して骨盤隔膜に律動性が現れているに違いない。

横隔膜と骨盤隔膜との相互的な内圧変動は、内臓臓器の活動にも大きな影響を与えるはずである。お腹に呼吸運動が入ると、腸が音を出して動き出すことからも蠕動運動を誘発していることがわかる。腹部内臓器官はたとえ複雑な形態であったとしても、発生学的には一本の腸管から分化してきたものであり、咽から食道・胃・腸にいたる消化器官は平滑筋の活動によって働きがいとなまれている。

この消化器官の平滑筋に対して律動性を伝播することによって、下腹部から頭部に向かって平滑筋の律動性を引き込んで、縦方向に呼吸運動が広がってゆくものと推察できる。』