2010年 9月 の投稿一覧

パーソナルトレーナーに必要な知識・実践力・応用力|ニュースレターNO.248

上記のテーマでの講演内容を岡山のパーソナルトレーナーの方がまとめていただきました。素晴らしいまとめです。勉強会で学びとった内容などもその都度、ご自身のブログ(http://blog.livedoor.jp/oka0418/)でまとめられていますのでぜひのぞいてみてください。

勉強会で学びとったことを実践でトライされており、その状況も書かれているのでパーソナルトレーナーを目指す方には参考になると思います。

『最近はトレーナーになるためのハードルは低くなってきています。その中で大切になってくるのは、「自分は誰を対象にして何をしたいのか?」ということを考えて行動していかなくてはならないということです。

様々なトレーナーの団体の資格が世の中に多くありますが、どれも基礎を学んだことを証明するだけのものであって、実践が伴っていなければ役には立ちません。 そもそもトレーナーの定義とは? 「Trainerとはtrainする人。train:教育する、身体を鍛えさせる、教え込ます、身につけさせる」などの意味を持っています。

トレーナーは教育者なのです。そして、パーソナルトレーナーとは、「マンツーマンでtrainするスペシャリスト」なのです。本物のトレーナーであるかどうかは、このスペシャリストがつけられるかが問題なのです。

似たような言葉に専門家というのがありますが、専門家は、ある特定の事柄などを専門に研究・担当し、それに精通している所謂学者さんのことです。対してスペシャリストは、特定のものに関して優れた人のことを表します。 トレーナーになるためのハードルが低くなっている今、他のトレーナーと差別化できなければ生き残ることはできません。

ですからスペシャリストでなければならないのです。「~の資格を持っているではなく、何ができるか、できないか」をきちんと自分が理解しておくことが大切なのです。そうでなければ、お客様に対して、ごまかしたり、嘘をついて指導していることになります。1時間何千円と貰うのであれば立派詐欺になってしまいます。

パーソナルトレーナーとは、「コンディショニング(身体的、防衛的、精神的、栄養、休養のレベルを上げる)+リ・コンディショニング(コンディションの要素の内、レベルが下がってしまっているものを元のレベルに戻す)+身体調整テクニック」を理解し、高いレベルで実践することができる人です。

そして、その中でも「結果を分析し、反省し、改善できる」スペシャリストが本物のパーソナルトレーナーなのです。 常に自分が指導したことが良い結果になっているかを考え、上手くいかなかったら、反省し、次はこうしてみようと改善していくことが大切なのです。 本物のパーソナルトレーナーを目指すには、資格ではなく、実力をつけることが求められます。

本やビデオなどは知識は増えますが、実践が伴いませので、教わった内容が上手くいかないお客様に出会った時にきちんと指導することができません。本物はただ本を読んだり、セミナーで話を聞くだけでなく、その人の考え方にまで理解を深めていくことで、自分なりのアイデアで1人1人のお客様に合わせて応用することができます。

それが、他のトレーナーとの差別化となるわけです。 トレーナーに必要な知識については、まず世の中には「~理論」というものが用いられているケースがよくあります。理論の定義は「どう考えてもそうするしかない」ということです。数学などの理論はどの方向性から考えてみてもそれでしか答えを導き出すことができないものなので~理論がよく用いられます。

しかし、スポーツやトレーニングに関しては、ある一方から見てみると正当性を感じるが、ある一方から見るとおかしいと思うようなものばかりです。 つまりスポーツやトレーニングで用いられているものは理論ではなく、「~という考え方」なのです。

本やトップアスリートがやっているものを一般の人がただ真似るだけでは上手くいかないのは、それが理論ではなく、考え方だからなのです。そして、トップアスリートはいつも同じやり方はしません。毎年変わります。「考え方は毎日変わる」のです。常にその考え方に基づいて取り組み、進歩しているからです。

コンディショニングの指導をするにもまずは、方法を知ることから始めるのではなく、身体の構造や機能、各関節の動きと機能を知っておかなくてはいけません。それから動きを見る目、自分なりの自然な動きのイメージを持ち、動きの問題かコンディショニングの問題かを判断することができなければなりません。

それから初めてトレーニングするなどの方法が用いられるのです。大切なことは、「目的・目標があって、方法を選択する」ということです。 これは、リ・コンディショニングでも同様です。まずは、身体や関節の構造や機能を理解し、どの身体的要素に問題があるのか、どのようにして元のコンディションに戻すのかを判断し、いろいろな身体調整テクニックを用いて自然な動きを習得させます。

これも目的・目標があって、方法を選択するといことです。 その方法を選択する時に肝心なのが、「5W1H」(だれが、いつ、どこで、何のために、何を、どのようにやるのか?)です。基本であり1番重要なことですが、ここを抜いて指導していては応用力は身についてこないでしょうね。

「目的は~だから、これを・・・しましょう」という指導を心がけたいものです。 トレーナーとして大切な実践力は、「動きを見る目、情報を得る手の平」です。動きを見る目は、良い立ち方は?歩き方は?走り方は?などを自分なりにイメージしておかなければ、何度繰り返し見てもどこが崩れているとか、どこに余計な力が入っているなどを見抜くことはできません。

私自身「骨で立つ」ということを体験して以来、少しずつ見えてき始めたような気がします。まだまだ先生のようにパッと見ただけでというわけにはいきませんが・・・ そして、手の平は相手の身体に触れると相手の身体の感覚が伝わってくるそうです。緊張しているとか緩んでいるなど。

相手の身体の情報が伝ってくる領域まではまだまだ遠いですが、これも経験だそうです。ですから、学校を卒業したばかり、経験が5年や10年のではそう簡単に本物を名乗れないです・・・先生ですら日々いろいろなものを考えたり取り組まれているのですから、私など本当にひよっこです。

一般の方に対して指導していく上での重要なキーワードは、『日常が元気に暮らしてもらえるように指導すること』です。相手にきちんと正しい立ち方、歩き方をインプットさせることができていなければなりませんので、セッションのフィニッシュにやり方が非常に重要です。

そうしなければ、次に来た時もやはりクセがついたままですから、きちんとtrainしたことにはならないのです。1週間に1回、1時間のセッションでどれだけいい状態にするだけでなく、次のセッションまでの何十時間の内、何時間いい状態で生活できるかもトレーナーとしての技術なのでしょうね。

トレーナーに必要な応用力は、まず基礎理論(基本的な考え方)を持ち、それを1人1人のお客様に合わせて応用していくということです。ですから、セミナーで教わった内容をそのまま使う人まねではなく、自分の哲学(考え方)を持って指導にあたらなければなりません。それがなければ、自分の看板がないのと同じですから、お客様が来るはずはありません。

その結果トレーナーとしてやっていくことができなくなります。 そして、最終的には「畳一畳」でW-up、筋トレ、持久力、調整力、クーリングダウンなど全てをできるように日々考え続けなければなりません。道具も一切ありません・・・いつも自問自答し続けなければ辿りつくことができないであろう永遠の課題ですね。

何をすれば良いかを考える時にもやはり自分なりの定義や基礎知識がなければ考え付くことはないでしょう。(持久力は何に刺激を与えて反応を導き出すのか?筋肉が肥大していくための要素は?など) その他にも素晴らしいお言葉を頂きました。 ・「知っていることとわかっていることは違う」

・「分かっていることと教えられることは違う」
・「教えるとはできるようになること」 ・「間違いに気づき、ごまかさず、すぐチェンジできること」 ・「知識は実践できれば本当に理解できている」 ・「ごまかしのない指導ができること。裏付けのある指導ができること。昨日の考えと今日の考えは違う」 ・「結果に嘘はない。結果は真実を映し出す鏡である」 どれも学び・実践し続けることでしか本物の力を身につける近道はないということです。本当に心に響いてきます。

特に学ぶに関しては、「本物から学び取ること、誰から学ぶのか?」ということが本当に大切です。そして、人から知識・技術を教わるのに投資を惜しんではいけないということです。その方自身がその知識を身につけるために多くの投資をしたからこそ教えていただけるのですから、それ相応の対価は払わなくてはなりません。

結局お客様から高いお金を頂くわけですから、自分は高いお金をもらいながら、安く知識や技術を手に入れようなんて虫が良すぎますね。私自身は先行投資という認識でいつも勉強させていただいております。今後お客様からお金をいただくようになった時に、お金を払っても指導してもらいたいというトレーナーでありたいですからね。』

素人発想|ニュースレターNO.247

今回は、金出武雄著:素人のように考え、玄人として実行する(PHP文庫 2004)を紹介します。著者はロボット工学の専門家で、スーパーボウルで使われたアイビジョンシステムなどの先進研究開発を創生され、「考える時は素人として素直に、実行する時には玄人として緻密に行動しろ」という考えを持っておられます。

また、「成功を疑え」とも言っておられます。このことは、私が昔から勉強会や講演で話をしていることです。一般的には、誰かの講演や講習で聞いた話、専門家という方が書いた本を読むことから、知識を得て実戦に結び付けようとしています。しかし、人の話や本に書いてあることは、すぐに納得して受け入れないようにと言ってきました。

私の話や本に書いたことも同様です。あくまで参考にすることです。それは、そこから応用を利かせられるかどうか考えるということです。

そういう意味でも今回紹介するものは、情報の得方、勉強の仕方、その理解の仕方、アイデアの生み方という観点から大いに参考になると思います。文庫もので、細かくテーマに分けて書かれているので、気になるところを拾い読みされたらよいと思います。

『発想は、単純、素直、自由、簡単でなければならない。そんな、素直で自由な発想を邪魔するものの一番は何か。それはなまじっかな知識-知っていると思う心-である。

知識があると思うと、物知り顔に「いや、それは難しい」「そんな風には考えないものだ」という。私などのように、大学の教授とよばれる職業の人間はつい、「その考えはね、君、何年に誰それがやろうとしたけれどうまくいかなかったんだよ」と知識を披露したくなるものでもある。

実際、専門家というのは「こういう時にはこうすればうまくいくはずだ」「こういう時にはそうしてはならない」というパターンを習得した人である。その分野を知っているだけに発想を生む視野が狭くなってしまう。

もともと発想は「こうあって欲しい」「こんな具合になっているのではないか」という希望や想像から生まれる。希望や想像は知らなくてもできる。とらわれがないとかえって斬新な発想を生み出す可能性がある。「できるのだ」という積極的態度につながる。

しかし、発想を実行に移すのは知識が要る、習熟された技が要る。考えがよくても、下手に作ったものはうまくは動かない。やはり、餅は餅屋なのだ。

コンピュータの進歩を見てもしかりである。コンピュータは最初、大型で高価、特別な安定化電源を必要とし、完壁な空調のきいたコンピュータルームに鎮座する存在であった。次に現れたミニコンピュータは、電源を壁のコンセントからとり、普通の部屋に置かれ、おもちゃのような磁気テープ装置をもっていた。大型コンピュータを見慣れた者にはなんだか危なっかしいものに見えた。

そんなミニコンピュータを考えついて、コンピュータを、科学計算をする機械からシステムを制御する機械へと、その応用範囲を飛躍的に広げたのは、IBMでもユニシスでもない、DECという新参の会社であった。

さらに、一人一台、机ごとに置く、IT革命のもととなる日常情報処理のためのパーソナルコンピュータという「もったいない」コンピュータのあり方を考えついたのは、計算機の会社ではないゼロックス社のパロアルト研究所であった。

また、現在のヒューマノイドやベットロボットの火付け役は、ロボット開発の枠外にいたと思われるホンダであり、ソニーだったのだ。しかし、DECも、ゼロックスも、ホンダも、ソニーも超一流の技術会社であることは言うまでもない。だから、アイデアを物にできたのだ。

私はこの現象は、研究開発においてその秘訣を衝いていると確信し、「素人発想、玄人実行」という標語にまとめ、学生や仲間に言っている。この本の題はそこからきたものである。』

『外国に住み着いて長く生活した人の誰に聞いても、共通する現象が二つある。

一つは私が素人社会学と名づけた現象である。彼我の比較をして、「アメリカでは、日本では」と言い始める。さまざまな習慣や考え方の違いに日々遭遇するものだから、自分の専門でなくても、文化や社会制度に関してまで自然とそれなりの意見が、比較的簡単に出てくる。

そして、その話の中には自分の経験やエピソードが自慢話として織り込まれる特徴がある。

もう一つは、「愛国的」になる現象である。日本の話題が出た時には人が自然と、日本人である自分のほうを見るから、ほめられている時はいい気がする。そうでない時は弁護したり反論したりする。そうしているうちに、だんだんと日本の代表のような気がして愛国的になっていく。

テレビを見て日本が変な扱いを受けていると妙に憤慨する。それと同時に、自分が「日本を代表して」文句を言われなくてもすむようにというところもあってか、日本にはああしてもらいたい、こうしてもらいたいという注文をつけるようになる。

私も御多分にもれず、このどちらの現象ももち合わせているようである。だから、日本のいろいろな方に会って食事をしたりすると、よくそんな話になる。先の「素人発想、玄人実行」もその一つである。

そんな私の話を聞いて、「あなたの話には、まるで嘘、ほとんど嘘、冗談、本当のような話、本当の話、自慢話、そして結構役に立ちそうな考えが、ないまぜになっていて面白いじゃないか」と言ってくれる人が何人かいた。それなら、それらを集めて本にしたら、ということになってできたのがこの本である。』

『私の研究者としてのモットーは、「素人発想、玄人実行」であると言った。書家に揮毫(きごう)してもらった額を自宅の居間に飾っている。研究開発に必要なのは、アイデアは素人的に自由に発想する、それを玄人的なやり方で実現していくことだという考えである。

この時、意外と難しいのは、専門家としての知識、つまり玄人としての成功体験を疑うことである。』

『素人は知識や経験がないから、固定観念にしばられずに自由な発想ができる。なにせ、「できるかどうか」より「こうあってほしい」という希望がすべてのもとなのだから。それは「できるのだ」という積極的でポジティブな態度につながる。

そもそも専門家とは、「こういう場合には、こうすべきだ」というパターンを習得した人である。逆に言うと、その型にとらわれてマンネリにもなるし、飛躍した発想がかえって出にくい危険性がある。既存の方法でうまくいったという経験と知識が、発想の貧困を招くこともある。

プログラム可能なコンピュータという現在のコンピュータの原型を考えた超天才フォン・ノイマンでさえ、FORTRANというコンパイラー言語のアイデアを示された時、

「コンピユータのプログラムを書くのに機械語以外のものがどうして要るのか」

と気に入らなかったらしいし、アセンブラ言語を機械語に直すプログラム(アセンブラー)を作って、ノイマンのコンピュータで走らせた学生には、

「そんな事務員でもできることをコンピュータにやらせるなんて、無駄だ」

と怒ったというから、玄人の思い込みは恐ろしい。

ここで、誤解してほしくないのだが、私は、一つのことをするのに素人と専門家の両方を入れたチームでやれ、と言っているのではない。そういうプロジェクトのやり方もありうるが、あくまで、「考える時は素人として素直に、実行する時には玄人として緻密に」行動しろと言っているのだ。物事を推し進めていくためには、自分がこの両方を合わせもち、使い分けなければダメなのだ。

そのためには、玄人として、せっかく築いてきたものでも捨てなければならないことがある。プロとしていい仕事ができるか、できないか、アイデアを完成できるかどうかの分かれ道は、捨てて変える決断力、勇気があるかであろう。

最近は失敗学などという学問もある。「成功から学ぶ」とか「失敗から学ぶ」ことは誰もが考えるが、実は「成功を疑う」のが一番難しい。』

『前出のMITのミンスキー教授はいつも一風変わった、しかし真実をつくことを言う人である。

ある時、私はテレビのインタビューで彼と一緒になった。私が、「ミンスキー教授、あなたはいろいろな分野で、創造的で、しかもほかの人たちの興味をそそり、新しい方向に導くような考えを多く出してきた。その秘訣は何か?」

と訊いた。彼は、答える。

「それは簡単だ。みんなの言うことの反対をしていればよい。みんながよいという考えに大体ろくなことはない」

なんだかうがった見方のように聞こえるかもしれないが、確かにあたっている。

コロンブスはみんなが東回りで航海してインドに着いている時に、西に向かいアメリカに着いた。江崎玲於奈博士はみんながダイオードの不純物リンの濃度を下げて、よいダイオードを作っている時に、不純物をもつと増やしてトンネルダイオードを発明した。

こんなすごい発見、発明でなくても、私自身にも似たような経験がある。産業用ロボットの腕はギア(歯車)を通じてモーターにつながって動いている。このギアというのはなかなか厄介なもので、摩擦はある、バックラッシュとよばれるガタはある、中にあるグリス油は温度で性質が変わるわで、速い動作を実現するのに必要な、運動を正確に予測できるモデルを作るのが難しい。機械技術者はみんなギアのよりよいモデルを研究していた。

八〇年代の初めにカーネギーメロン大学で、当時京都大学助手、現在MIT教授の浅田春比古博士と一緒に、「ならいっそ、ギアをとってしまえば」とギアを全部取り除いて、モーターを直接関節に埋め込んだロボットを作った。世界最初の直接駆動型マニピュレータというものである。

複雑なギアがなくなったので、簡単なニュートンの式でその運動が記述できる。その簡単なモデルを使って、従来の十倍以上速い動きのロボットができた。「ニュートン卿が予測したとおりに動くロボット」と言って説明したものである。

後述する「仮想化現実」技術につながった、複数カメラを使ったステレオの理論は、当時キャノンからの研修生として私の所に来ておられ、現在は東京工業大学教授である奥富正敏氏とともに考えたものである。現在、「複数基線型ステレオ」としてさまざまなロボット視覚システムで使われている。

この考えは一言で言えば、基線長(二つのカメラの間の距離)の長いほうがステレオの精度は高いという常識に反して、短い基線長のステレオを複数使ったほうが賢いというものである。

日常でも、株取引の人に訊くと、上がった株を避けて下がった株を買うといいという。

というわけで、ミンスキー教授の「みなの反対をしろ」との考えは結構当たっているようだ。』