新年早々の11日と12日、札幌でT&Fクリニックをしてきました。12月に続いて1ヵ月後だったので、前回教えたことが忘れずに残っていたようです。クリニックでは、ほとんどが中学の1、2年生で、大学と社会人が尐しでした。
特に中学生を対象としたかったので、12月のクリニックから一部30名とし、3部に分け、それぞれ90分ずつ教えるスタイルにしました。中学生が多かったので、3部は中学生と大学・社会人が一緒にやるというスタイルにしました。レベルは、初心者からトップレベルまでいました。このクリニックは、2003年からスタートし、今回で22回目を迎えました。
クリニックの中から全国大会に出場する人や日本のトップレベルで活躍している人たちが出ています。私にとってこのクリニックは、いろんな考えや指導法を試すよい機会になっています。できない子どもや選手にどのように教えるか、できる選手にさらに高いレベルのことを教えるには、ということを常に課題にしています。
目指すことはシンプルに教えて最大の効果を出すことです。参加している中学生の指導者も一緒に見ていただいているので、私の指導法を理解し、現場の指導に役立てていただいているようで、そうであってこそクリニックの意味があると思います。
何よりも生徒、選手に“何のために何をしているのか”ということを頭で理解させることと、実際に自分のからだで変化を感じ取ってもらうことが指導の基本となっています。指導に悩んでいる方には、一度見学されることをお勧めします。
今のところ、参加者には以上の目的が理解されているようで嬉しく思っています。このクリニックは今後も長く続けられたらと思います。クリニックの参加者の感想は、HSSRのホームページに掲載されていますので、興味のある方は読んでみてください。感想を読めば指導法に関わるヒントも得られると思います。
さて、今回のニュースレターでは、「錐体路と錐体外路」というテーマを取り上げました。以前に脳の話を紹介しましたが、結局は“意識”と“無意識”ということになり、いかに無意識の状態で事を起こすか、動くかということが最大のパフォーマンスを引き出すことになるということです。
「錐体路」「錐体外路」という形で動きを捉えるということで、指導において参考になると思います。以下に紹介するのは、コーチング・クリニック2008年10月号のFeature Articlesで「武道の極意とスポーツトレーニング」として記載されている中から抜粋したものです。興味のある方は、全文をお読みください。
『錐体外路系による運動は、脳の内部にある小脳から指令が出て、錐体外路を通って筋肉に伝えられて、意識にのぼらずに行われる運動(不随意運動)です。意識にのぼらない運動、例えば、歩くときに自然に腕を振るなどの動作で、無意識に骨格筋の動きを制御し、筋の緊張を調節しています。
古流武術の武術家は、長年の生活習慣や反復運動などによって、錐体外路系をかなり鍛えています。錐体外路系が発達しているために、身体を守る反応が表れやすい傾向があります。したがって、錐体外路系が鍛えられている当時の柔道家たちは、三船十段にとって空気投げの格好のえじきだったのかもしれません。
一方で、現代の柔道選手が空気投げを再現しようとしても、これがなかなかできません。原因は、技を掛ける側ではなく、技を掛けられる側にあると考えられます。
通常のスポーツ動作は錐体路系による運動です。錐体路系の運動は、意識的に行われる運動(随意運動)であり、大脳皮質前頭前野の運動野から指令を出して、錐体路系と呼ばれる神経回路を通して、必要な筋肉の収縮や弛緩が行われます。日頃行っている筋力トレーニングは錐体路系の運動なので、錐体外路系は鍛えられません。
現代の柔道選手は錐体外路系が鍛えられていないから、件の隠し技を使っても狙った反応が出ず、空気投げが再現できないのです。
余談になりますが、錐体路のトレーニングばかり行っている現代の選手は、競技パフォーマンスがメンタルの影響を受けやすいといえます。錐体路系による運動の指令を出すのは前頭前野の運動野です。前頭前野は感情や感性も司っているので、錐体路系による運動は、ほんのちょっとした思考やメンタルの変化であっても、影響を大きく受けてしまうと考えられるのです。
ところで錐体外路系の運動の指令を出している小脳は、感情を司っていなません。したがって、錐体外路系を鍛え、錐体外路系による運動ができていれば、思考やメンタルの変化の影響を受けることがないといえです。』
『錐体外路系による動きは、速くて適切な反応が不随意で行われるという特徴があります。
例えば、家族や友達といった大切な人の顔にアブがとまったら、頭で考えるよりも先に手が出ていると思います。その動作は、アブを払おうと考えて手を出すよりも圧倒的に速く、しかも力の大きさや空間の位置、タイミングも含めて、高度に自動制御されています。これは、危機的な事態に対する動きが錐体外路の動きとして表出されるように、これまでの経験から習得されているからです。
では、具体的にはどのようにして錐体外路系を鍛えればよいのでしょうか?古流武術は錐体外路系の動きに基づいているので、古流武術での鍛え方が参考になると思います。まず、現代のトレーニングのやり方と、古流武術の鍛え方とを比べてみましょう。
現代のトレーニングは常に競技種目を念頭において、競技に限定した目標に向かって行います。通常の種目の練習はもちろんそうですし、筋力トレーニングも競技動作を意識しながら筋肉を動かすように指導されており、常に錐体路から筋肉に指令を出して行っています。
一方、古流武術では、剣術も柔術も空手も、その競技だけを目的にトレーニングをすることはありません。目的をずらして、日常生活のなかで鍛えています。代表的な例は、24年前に大ヒットした映:画『ベスト・キッド』のなかにあります。空手を修行する尐年が、ミヤギ氏から命じられて車のワックスがけや床磨き、壁や塀のペンキ塗りをするシーンがありましたが、まさにそれが古流武術の鍛え方です。
日常的に行う動きは、人はできるだけ楽にやろうとします。楽をするためには錐体外路系を使わざるを得ません。だから日常的なことを繰り返し行うことが、錐体外路系を鍛えることになるのです。映画ではミヤギ氏がペンキ塗りを命じていましたが、空手に必要な手首のスナップを鍛えるためです。
しかし、尐年は手首のスナップのトレーニングとは思っていません。終わったら何をしようかと、別のことを考えながらペンキを塗っています。実はこのように目的をずらすのがいいのです。この発想が重要で、古流武術の武術家たちの長年の経験から生まれた鍛え方なのです。』
『私の道場の例で紹介すると、ストレッチングや準備運動もしないですぐに稽古に入ります。稽古は連続で4時間行いますが、体験に来られた方は準備運動もしないで身体がもつのかとよく驚かれますが、実は稽古の前に、掃除や片づけなどの日常的なことをしっかりやっており、それが知らず知らずのうちに十分な準備運動になっており、かつ錐体外路系を鍛えることにもつながっているのです。
例えば、柔道の場合は、家や道場のお手伝いとして、のこぎりひきや薪割りをやらせればよいと思います。のこぎりひきは、柔道の引き手のトレーニングになります。野球で考えると、大型のローラーや金属製のトンボなどを用いてグラウンド整備をさせるとよいでしょう。
これで足腰を鍛えることができます。目的を外している分、足腰のトレーニングとして行われる古タイヤを用いて行うダッシュなどよりも、より錐体外路系を鍛えることができるはずです。
先日、板金加工の面打ち作業を目にしましたが、あれも錐体外路系を鍛える素晴らしい作業だと思います。特殊なハンマーで鉄板を打って曲面を出していきますが、仕事で何時間も打ち続けなければならないため、その動作は必然的に筋肉が疲れにくい錐体外路系の動きであり、効率的かつ正確な動きになっています。それが、腕を振り下ろす動作の格好のトレーニングになっているのです。
忘れてならないのは、本来の目的からずらして行うこと、つまり、スポーツのトレーニングとは思わずに行うことがポイントです。トレーニングだと意識して行うと、錐体路のトレーニングになってしまいます。指導者は競技動作を狙って行わせるとしても、やっている選手本人にはそれを悟られないようにして、掃除、洗濯、片づけ、料理、畑仕事などの日常生活の動作をただ繰り返し行わせればよいのです。』
『目的をずらすことがポイントと紹介しましたが、目的をずらすことには、物理学的にも影響を及ぼします。特に、パワーの発揮に関係します。ボブ・サップは日本で戦い始めた頃ダントツに強かったのに、プロに転向し、ジムに入ってトレーニングするようになってから、負け続けるようになってしまいました。
サップはアメフト選手なので、それまではアメフトのトレーニングしかしていません。突然リングに放り込まれどう戦えばわからない状態で、アメフトの広いスペースのイメージのままのスピードで動いていたのだと思います。パワーは、質量×スピードで表されるので、広いグラウンドを動き回るイメージが速いスピードをもたらし、大きなパワー発揮につながり、相手を倒すことができていたのです。
それがリングで戦うためのトレーニングに専念した途端に、狭いリングで戦うイメージで動くようになって、スピードが低下し、発揮パワーも低下して、相手を倒せなくなったのではないかと考えるのです。』
『目的を外すといい結果がでることを、経験的に知って利用している人もいます。子どもが腕相撲をしているのを見ていると、身体が大きくないのに腕相撲の強い子がいたので、どうして勝てるのかを聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「相手の腕を倒そうとするのではなくて、倒す腕の先にあるお菓子を一刻も早く取ろうとすればいいんだよ」と。ちょっとしたトリックなのですが、イメージを変えて動くことで、発揮パワーが大きくなったり、作用一反作用の影響を回避できたりするのです。
ある武道家がよくデモンストレーションで行っている動きも同様です。強く踏ん張っている相手の身体を片手で押して倒す動きですが、相手の身体を見て押すのではなく、遠くの山に向かって手を伸ばすようにし.て前に進むと、自分より大きい相手でも簡単に倒すことができるのです。
私の道場では、相手を片手で押して倒すときに、10kln先にある岡山駅の新幹線ホームを想定して行います。発車ベルが鳴って新幹線に飛び乗るというイメージで前に進むと、相手は簡単に倒れます。逆に、相手を引っ張るときには、5kn1くらい後方にあるビルの近くにあるマンホールを想定します。
マンホールのブタが外れてそこに水が吸い込まれるのと一緒に自分も吸い込まれる、というイメージで行うと、簡単にできるのです。』
『錐体外路系を鍛えるトレーニングに話を戻しましょう。では、具体的にどのようにして、日本選手の錐体外路系を鍛えていけばよいのでしょうか。そのヒントは、海外にあります。
スイスは入口750万人の小さな国ですが、K-1元王者のアンディ・フグ(故人)や男子フィギュアスケートのステファン・ランビエールなどの一流スポーツ選手を輩出しています。スイスからスポーツ選手が出るのは、その生活環境が関係しているのだと考えています。
まず、スイスでは家が山の中腹にあり、隣家や村までの距離がかなりある上に、アップダウンも激しいので、生活のなかで足腰が鍛えられているのです。また、冬は長くて寒いので、冬に備えて薪割りを日常的に行っており、筋骨隆々の身体をしています。スポーツのためでなく、生きるための動作をして鍛えられているのですが、それがスイスのスポーツ選手の強さの秘密ではないかと思われます。
科学的なトレーニングを行っているといわれるアメリカでも、そうです。アメリカ選手というと、体格がよくて筋肉量も多いので、筋力トレーニングを相当行っていると思われていますが、実際には我々が思っているほどには行っていません。
アメリカの国土は世界で3番目に広いことからわかるように、自分の家から学校や町までかなりの距離があります。いったん家を出るとどこに行くにも移動距離が長いので、足腰が鍛えられます。何もスポーツのためだけにトレーニングをしなくても、彼らも日常生活のなかで錐体外路系が鍛えられているのです(筋力トレーニングやメンタルトレーニングによって、錐体路系を鍛える必要があった)。
また、日本でも、スイスやアメリカのような環境ではありませんが、今のような豊かな生活が訪れる前は、掃除、洗濯、料理などの家のお手伝いや兄弟の世話などをしていました。そういう子ども時代を過ごしてきた明治の柔道家が、欧州を転戦して屈強なプロレスラーたちを次々と倒すことができたのは、日常生活で錐体外路系が鍛えられていたからだと思うのです。
しかし今の日本には、錐体外路系が鍛えられる環境はありません。しかも、エリート選手であるほど、スポーツに専念すればよい環境になっていきます。その上、トレーニングといえば、欧米を真似て筋力トレーニングばかり行っています。筋力トレーニングは、競技に直結する前頭前野を使った、つまり錐体路系のトレーニングです。錐体路系ばかりで、錐体外路系を鍛えることが疎かになっているのです。
今の日本選手がより強くなるためには、アメリカやスイスの田舎町に2年問くらいホームステイさせる、あるいは日本のなかに、昭和初期の生活をさせるような環境をつくり、そこで生活しながらスポーッをするとよいと思います。稽古の前に道場のぞうきんがけを行う、大釜で料理を作るために薪割りをする、井戸で水汲みをする、20kgの米俵を運ぶ、畑仕事をする、そのような生活をすることで、錐体外路系が鍛えられると思います。』