2006年 7月 の投稿一覧

訃報|ニュースレターNO.148

最初に訃報をお知らせしたいと思います。私の最大の師であり、スポーツトレーニング理論の世界の宝であったL.P.マトヴェーエフ氏が肺がんで21日、午後5時に亡くなられました。82歳を直前にした81歳の死でした。私の入院中には、「学問、研究は、マラソン・レースだ。まずなんといっても、健康と長生きが肝心だぞ」と励ましのメッセージを頂きました。

そして、手術が終わったときには、「学校の仕事がたまっているかもしれないが、とにかく、十二分に療養するように言ってくれ。いやあ、よかったなあ。うーん、そうだったのか、安心した」というメッセージを頂いておりました。

しかし、私が退院する直前(5月末)に、定期健診で肺の間に腫瘍が見つかったという連絡を受け、日本で検査、手術ができないかという相談を受けました。6月6日に退院してから、マトヴェーエフ氏の検査結果とCT画像を数名の呼吸器系専門のドクターに見ていただきましたが、何れも見通しのよい返事はいただけませんでした。

最終的には、あと数週間という話を聞いていましたが、その通りになったことは、なんともいえない気持ちです。せっかく私が元気になったのに、またマトヴェーエフ氏は120歳まで生きるとおっしゃっていたのに、残念でなりません。5月25、26日にマトヴェーエフ氏の指導教官だったアレクサンドル・ノヴィコフの生誕100年を記念した学会があるが、それに来ないかということでその学会に招待していただいたのですが、入院でいけなくなってしまいました。

入院がなければ、お会いできていたのに、残念でなりません。退院後に、立場が逆転するなんて、なんともいえないものがあります。直ぐに駆けつけたいのですが、まだ私自身に制約があり、歯がゆい思いでいっぱいです。

モスクワからマトヴェーエフ氏死去のメールが入ったのが22日の朝でした。奥様は泣き通しで、ことばにならなかったようです。その日のうちに、哀悼の意を伝えるメッセージを送りました。それに対して奥様は、「ヒロノブとミチコには、ほんとうに感謝しています。大手術直後で、自分自身がたいへんなときから、親身に心配してくれてありがとう。

最後の最後まで、日本での治療に望みをかけていたようで、あなたから電話がくるたびに、ヒロノブは何と言っている?と乗り出していた。残るのは、思い出と、学問だけだけど、せめてそれだけでも、ずっと生きていってくれたらねえ」とおっしゃったようです。

皆さんとともに、マトヴェーエフ氏のご冥福をお祈りし、出会いから今日までをロシア訪問記から回顧してみたいと思います。マトヴェーエフ氏との出会いを通して、自分の考え方・哲学なるものができていった気がします。 感謝

1998年3月6日 奇跡的なマトヴェーエフ氏との出会い 今日は私にとって歴史的な一日であった。地下鉄のチェルキソフスカヤ駅から徒歩で15分くらいのところにあるロシア体育アカデミーに出かけ、昨夜お会いした学長のクージン氏に面会した。学長室に定刻通り行くと、数人の秘書と、何人かの待ち人がいて、モスクワ体育アカデミーと極端に違う雰囲気であった。

それはアカデミーの大きさそのものにあるのかも知れない。巨大なロシア体育アカデミーを指揮する人物であることが伝わってきた。定刻から20分ぐらいたってから、学長と会うことができた。学長室は広く、全ての教科書が並べられていた。実際に話をするというより、何をしてほしいのか、こちらの要求を述べるだけで、後は学長が電話で秘書に指示するというスタイルであった。

全て即決で判断を下していた。実に迅速ではあるが、権力者のイメージはねぐいされなかった。 面会は数分間で終わったが、学長に会う前に、ロシア体育アカデミーにマトヴェーエフ氏がいると聞いていたので、是非会いたいと申し出て、マトヴェーエフ氏と会えることになった。

マトヴェーエフ氏が授業中であることから、その間、副学長のツェレミシノフ氏と大学のカリキュラムについて話を聞いたが、カリキュラムをまとめたものがないという。またスポーツ用語辞典というか、トレーニング用語の辞書はないのかと尋ねたところ、あると言うことで見せていただいたが、新しいものはなく、93年につくったものであった。

それ以降は出ていないそうで、学生も手に入らないというが、ご自身のものを一冊いただいた。恐らくこれは、日本で誰も持っていないものであろう。貴重なものをいただいた。

この後マトヴェーエフ氏の研究室に行き、氏を待った。ここで会えるとは考えても見なかったことから、氏が現れた一瞬は、私にとって正に歴史的瞬間であった。一瞬渡辺先生を思いだしたほど、渡辺先生と体格も雰囲気もよく似ておられた。74歳と思えない元気さで、握手して手のぬくもりを感じたときは感動で思わず涙が出そうになったほど、そのほほえみには感激した。

本当にロシアにきた甲斐があった。これも大津先生のおかげである-感謝。マトヴェーエフ氏は、写真でも見たことがなく、活字でしか知らなかったトレーニング理論の大御所に会えたわけだが、自分なりに想像していた人物であった。

私の感動が氏に伝わったのか、非常に好意的に対応していただいた。研究室には、世界数カ国で翻訳出版された本が飾られていた。当然日本でも出版された「ソビエトスポーツトレーニングの原理」もあった。2時間、97年に出版した本のことについて語っていただいた。それは「スポーツトレーニング理論」から「スポーツ理論」への変換で、「トレーニング」という名称を取った背景について語っていただいた。

知らぬ間に時間がたち、2時間が経過していた。こちらが時間を気にして、そろそろ失礼すると言うと、「いつ帰るのか」と聞かれ、「8日の夜帰ります」というと、「そんなに早く帰るのか」と言われた。できればもう一度お会いしたいと言ったところ、「いつでもOK」という返事をいただき、では「明日いっしょに食事でも」ということで、明日午前中に連絡することになった。

最後に、97年に出された「スポーツ一般理論」と91年に出された「体育の理論と方法」、そしてこの2冊のベースとなる97年に出した「スポーツの理論と方法」の3冊いただいた。専門書は、印刷部数も少なく、91年のものはアカデミーのキオスクにもなかったのでマトヴェーエフ氏がお持ちのものをいただいた。

わたしの宝ができた。明日もう一度会えるとは信じられなかった。というのも、8日の日曜は国際婦人デーで女性をいたわり、たてる祝日で、明日から3連休になり、国民的お祭りをする日になっていると聞いていたからである。 その後、キオスクで本を買う予定にしていたが、明日から国際婦人デーで休みになることから今日はみんな早く帰ってしまったということで、結局本は買えなかった。

体育・スポーツ関係の専門書はこのアカデミーでしか買えないようになっていると聞いていたので非常に残念ではあったが、そんなことに変えられないほどの時間がとれたわけである。

1998年3月7日 マトヴェーエフ氏との親睦

今朝、マトヴェーエフ氏に電話を入れると、夜、家にこないかということになり、厚かましく寄せていただくことにした。地下鉄でクトゥーゾフスカヤまで行き、奥さんがいるかどうか解らなかったが、婦人デーにちなんでワインとケーキを買い、そして白タクに乗り継いで自宅に向かった。本来はバスに乗ってこいということであったが、時間がなかったので白タクにした。18時の待ち合わせ時間に5分ほど遅れたが、待ち合わせの近くに行くと、マトヴェーフエ氏が迎えにきていただいていた。

ジャージに運動靴といういかにも氏らしい雰囲気である。アパートの12階の家に行き、出迎えていただいたのは若い女性であった。娘さんと思いきや奥さんであった。30代である(後でわかったが、私より2つ下で、45歳であった)。アゼルバイジャンでトレーニング理論の勉強をしていた奥さんを気に入ってつれてきたということであった。

奥さんは、今年の2月まで中国で1年間「体育の理論と方法論」を教えていたという。現在は、マトヴェーエフ氏の跡継ぎのような形になっており、ロシア体育アカデミーで「体育の理論と方法論」を教えているそうである。 部屋には、世界各国に出かけたときの記念のお皿が壁に掛けられていた。奥さんといっしょに食事をいただき、ウォッカをあけながら、18時から22時過ぎまで、トレーニング理論の話をした。スポーツ、トレーニングの考え方など通じるものがあった。

日本にも是非きてほしいと言ったが、少なくとも2~3ヶ月滞在するのなら、ということであった。時差や環境の変化などに対応する必要からということであったが、氏の年齢からすれば、短期間での移動は大変であることが解った。 74歳の今になっても、トレーニング理論の確立に執念を燃やしておられ、話の中にもトレーニングの正当性を見いだし、理解し、実施することの大切さを強調される。

奥さんが持ち帰った朝鮮人参入りのウォッカを1本空け、「HIRONOBU」、「ドクター」と呼びあいながら、これ以上食べられないほど食事もいただき、幸せそのものであった。客人は、出された物を全部食べるのが礼儀だといわれたが、とても食べきれる物ではなかった。

時計を見ると、22時を回っていた。遅いと危ないから泊まって行けといわれたが、次回来たときにここを定宿にしたいといって失礼することにした。何を話しても、理論的、システム的な解釈や説明になる。氏の人柄が伺い知れるところであるが、なんといっても心の広さが素晴らしい。

帰り、「あなたは私のロシアの父である」といいながらバス停まで腕を組んで送っていただいた。 マトヴェーエフ氏は、ロシア体育アカデミーに50年勤めているという。以前は国立中央スポーツ科学研究所といったそうだが、マトヴェーエフ氏が学長になられた93年に名称を変更したそうである。

それはペレストロイカが大きく影響した。市場経済になってから、国からの支援は期待できない状況になった。そこで研究所も独立運営的な状況に置かれ、研究所としての運営も困難になった。そんな折りに、無理やり学長にさせられたようである。氏はとりあえず、体育アカデミーという名称にすることで存在を格付けし、援助を受けやすくされた。

結局は、1年で退かれた。格付けされたことで、いろんなことで益が大きくなり、そのことがお金のからみに直結することにもなったようである。大学運営上、不合理なこともしなければならなくなったことから、自分には耐えられなかったようである。自分は研究者であり、学長になることは拒み続けたが、大学の存続のためには仕方なかったようである。

結局は、大学を運営するために必要なお金を稼げる手段が必要になり、考えられないこともするようになった。その例が、敷地内を自由市場に貸しだし、所場代を得ると言うことである。自由市場には何百という数の店が出ている。またスポーツにおいても、強いチームや選手がたくさんいることから、大会出場やスポンサー契約などの面で大学側が大きく関わっているように思われた。

事実このアカデミーは、施設もきれいし改装なども行われているようである。大学教育の在り方からすれば考えられないことであり、マトヴェーエフ氏は学長の座を早く退きたかったわけである。

2003年9月20日 初来日

私がご夫妻を招待し、初の来日をされました。その日の様子を運転手をしていただいた岩井さんの手記に次のように書かれています。

『関西空港にお迎えに、魚住先生は無事乗られたのか心配され、それを聞いた渡邊先生は搭乗者名簿を調べて貰いましょうか?と本気で言われ・・・・・・約1時間遅れで無事到着、魚住先生も・渡邉先生もマトヴェーエフ氏と熱烈な抱擁です!!私は初めてお会いする方でそれも偉大な博士ですので、身も心も一歩引いた場所で歓迎いたしました!?

その後、ホテルのチェックインまで魚住邸でご一行をおもてなしされました。その席でマトヴェーエフ氏は自ら持ってこられたウォッカを出されて皆で乾杯を致しました。マトヴェーエフ氏はウォッカの飲み方をご教授され皆さんはマトヴェーエフ氏に薦められるままに魚住先生も渡邊先生も上機嫌で場はいい雰囲気で進みました。

マトヴェーエフ氏は今回のマトヴェーエフ氏の翻訳『スポーツ競技学』の出版に際し、世界でたくさん私の翻訳本が出版されているが、その中でも、魚住・渡邊、両先生の本はすばらしいと言われ大変褒めておられました。氏のお話を聞いていると世界の色々な事に精通されておられスポーツトレーニング以外の話題でも尽きることなく話されます。

博士はその理論の根本は哲学ではないかと思うほど、一つ一つの話題に対して丁寧に本質を追求されてこられた話をされます。そのつど、(魚住先生の奥様に)感謝と言いいろいろな題名をつけて乾杯をされます。私はこの方たちと今日会ったような気がしないほど、人を引き込む魅力は素晴らしいもので魚住先生が毎年モスクワを訪れ、博士を個人的に招聘される意味が実感を持ってわかりました。

その夜はホテルで歓迎の夕食会でした。魚住邸でもホテルでも私が飲まない事に通訳の方に(レギーナさん)イワイはなぜ飲まないのかと何度も聞かれ非常に気を使っていただきありがたく思っております!』

2003年9月22日 講演

私の母校である大阪体育大学で教員に対して講演をして頂きました。その後、懇親会を催しましたが、その席上で次のように述べられました。

『私の大事な皆さん、正直に申しますが、全く疲れておりません。それよりも皆さんのパワーをいただいたような気がします。暖かく歓迎していただけると予想はしておりましたが、これほどの歓迎とは思いませんでした。そして何よりも、同じ道を志す人々と一緒にいられるということ、これ以上の喜びはありません。

仲間と共にいると、真の人間らしい気持ちが生まれてきます。この喜びのために我々は生きているようなものです。皆様の健康のために、乾杯。これはヤクートで作った新しいウォッカです。ヤクート・サハ共和国はダイヤの産地として有名で、最も経済的に見込みのある土地です。皆さんの健康のために!』

また、9月27日には、熊本での日本体育学会で特別記念講演をしていただきました。その冒頭で、次のような挨拶をされました。

『ご列席の皆さま、今回、日本体育学会で講演するという名誉な出来事に対し、皆さま、そしてお招きいただいた組織委員会の方々に心よりお礼申し上げます。この出来事を私自身、心から喜ぶとともに、非常に高く評価しております。と申しますのは、私にとって、また世界の人々にとって、日本は古き伝統と近代的な技術を併せもった、高い文化の国であるからです。

さて、講演を始める前に、まず一言申し上げておきたいと思うのですが、今回はスポーツトレーニングに対するモデル・目標アプローチに関してお話するつもりです。このモデル目標アプローチというのは世界のトップアスリートの国際大会での厳しい競争の結果、生まれました。しかしスポーツだけに当てはまるのではありません。

人間が何らかの緊急事態、未知の状況に対応する時、できるだけ正確に、その状況が何であるか、如何にしてその状況を打開できるかを知る必要があるのです。例えば宇宙飛行士のためにはそれ相応の、特別な訓練を作り出さなければなりませんでした。つまりどの場合においても、人間が未知の状況でも最大限の可能性を発揮するためには、どれだけ予測ができるかにかかっているのです。

この問題について、世界各国の専門家達が粘り強く研究を続けてきました。四半世紀かかったと言っても過言ではないでしょう。しかしほぼ正確にシミュレーションできる技術が確立したのは、ここ数年になってからです。このように複雑な仕組みをもつアプローチですから、これを短い時間で完全に解説することは不可能であることは、皆さん自身も既にお分かりでしょう。

ですから今日は基本的な概念についてのみ、ガイドラインという形でお話していきたいと思います。テーマは広範囲に渡っているため、省略した形でしか紹介できないことを、あらかじめお詫びしておきます。ただ、最近やっと、アプローチに関して詳しい記述の成された本が出版の運びとなりました。

私の仲間であり同業者の魚住廣信氏、渡辺謙氏が日本語に翻訳し、世に出してくれたのです。このお二人の努力により、モデル目標アプローチは皆さまの知れるところになったわけですが、これが少しでも現実的な選手育成の役に立つよう、祈っております。またこれを問題提起のきっかけとし、新たな学説や研究テーマが生まれ、多くの研究者が参加して発展的なディスカッションができる日を楽しみにしております。』

2005年6月9~14日 8度目の訪ロで

マトヴェーエフ氏のご自宅で、いろんな話を伺いましたが、これが最後の会話となりました。

『食後一息ついたところで、いよいよ本題に入った。テーマは筋力とパワーについて。ロシアではパワーという用語はないようであるが、パワーというものをどのように考えているのかという質問であった。マトヴェーエフ氏が書かれた「体育の理論と方法論」の本を読んでいったが、その中でパワーという用語はなく、筋力、持久力、柔軟性、調整力という4つの要素しかなかった。

その内容を見ると、パワーという独自の定義も必要でなく、筋力というか、力というものをどのようにとらえるかという理解の仕方に問題があるように思えるし、事実われわれが誤解して理解していることが多いようである。マトヴェーエフ氏の説明から、筋力・力というものをよく理解することができた。

筋力・力は、力学的な考え方、捉え方もあるが、純粋な筋の能力として捉える必要があるということ。どのような能力かというと、筋肉がどれほどの収縮力を持っているのかということ、筋肉がどれほどの収縮速度を持っているのかということ、筋肉がどれほどの収縮の持続力を持っているのかということ、それぞれが筋力、スピード‐筋力、筋持久力といわれている。

パワーというのは、この中のスピード‐筋力の能力ということになる。また、スピードという概念も速度と混同してはならないという。スピードというのは、ある動作や動きの速さであり、純粋な筋の活動の速さではないということである。速度というのは、筋そのものがどれほど速く反応するかという能力でもあり、その反応と同時にどれほどの速さで収縮するのかという能力である。

したがってロシアでは、筋力、パワー、筋持久力という個別の要素ではなく、純粋の筋の能力として筋力、スピード‐筋力、筋持久力があるとしている。考えてみるとなるほどであり、パワーといってスピード‐筋力のトレーニングだけに打ち込んでも成果はさほど見られない。そこには、筋力も必要であるし、筋持久力も必要になる。個々の筋の能力をすべてバランスよく改善しなければならない。そのため組み合わせのプログラムと計画が必要になるということである。

それから、スピードについても同様で、スピードは動作・動きとしてのダイナミックな活動の速さを現すものであり、テクニックや調整力が必要になる。スピードには、筋の反応・収縮速度が絶対不可欠であることから、このことも忘れてはならない。常にそのための刺激を与えておく必要がある。

あまり改善が期待できないので、現状を維持するという考え方になり、そのためにいろんな刺激を与え、ステレオタイプ化しないことである。そう考えると、ラダートレーニングでスポーツ動作に関係なく、いろんな方向にすばやく足を動かすということも重要であるということになる。その目的は、反応・反射のレベルを落とさないで維持するということである。

筋力にしてもスピードに関連した筋力(コンセントリックコントラクション)もあれば、スピードに関連しない筋力(アイソメトリックコントラクション)もある。また、マイナスのスピードに関連した筋力(エキセントリックコントラクション)もある。

どのような筋力が必要であるかを理解するとともに、他の筋力も組み合わせながらトレーニングしなければならない。すべてが互いに関連し、相互作用を持って目的の筋力を発揮することができるということである。まさに、偏った筋力強化にならないように、ということである。

筋持久力も何秒間、何十秒間力を出しつづけるには持久力が必要であり、欠けてはならないのである。 またこんな話をしていただいた。走り高跳びの場合、選手の体重の10%を負荷にして、幅跳びの場合は下肢の重さの7~12%を負荷にして跳躍系のトレーニングを行う。ウエイトベストやアンクルウエイトの活用である。

また、男子の円盤投げでは3kgの円盤の投擲が効果的であるという研究結果を教えていただいた。陸上競技などではこのような指標がたくさんあるようだ。ただ闇雲にジャンプトレーニングをしたり、投げ込むだけでは結果につながらないということがよくわかる。このような研究グループが各競技団体で組織されなければ、科学的トレーニングにはならないということが理解できる。

科学的トレーニングの「科学」とは何なのか、もっとよく考えてみる必要がある。何が科学的なのか、ほとんどわかっていないのが現状のように思える。』

『3日間連続で夕食をいただくことになった。マトヴェーエフ氏がわざわざ作っていただいたきのこスープをいただく。食事の後、今日のテーマであったベルンシュタインの話と調整力(コーディネーション)について話を伺った。ベルンシュタインはもともと生理学者であり、スポーツの世界とは無縁であったそうである。

いわゆる生理学者であったが、巧みさについて素人向けに解説を試みたが、諸般の事情で出版にこぎつけられなかったそうである。その遺作が見つかって1996年にドイツ語で出版された。それを読んでわかることは、研究の成果ではなく、仮説的なところがほとんどで現実に使える内容ではないし、例えのところがよく理解できないものが多いという。

しかし、彼の研究がスポーツの中でコーディネーションについて取り上げられるきっかけにはなったと考えられるということである。

マトヴェーエフ氏は1980年代の後半にコーディネーションから運動調整能力という用語を用いて、運動調整能力を「運動における空間的、時間的、力学的指数を正しく配分し、調整する能力である」と定義された。そこからそれぞれの指数について十分分析し、適切なプログラムを実施すれば誰しもトップアスリートになれる可能性があるといわれた。そこにどれだけの分析と計画的なプログラムの実施ができるかということである。

このことは、昨日の筋力やパワーについても同様の考え方が成り立つということである。』

HSP(ヒートショックプロテイン)について|ニュースレターNO.147

早くも蒸し暑い7月に入りました。私のほうの体調は、日々よくなっています。6月6日に退院して、5週間が過ぎました。その間に、HSSRのスペシャル講座が3週間続きました。13時から18時前までの講座と、その後23時過ぎまでの懇親会があり、楽しい時間を過ごすことができました。

3回の講座とも、定員をオーバーする参加者がありましたが、尐人数のせいもあり、それなりに満足していただけたものと思います。その感想は、一部の方のものではありますが、ホームページに掲載しております。

コンディショニング講座がⅠとⅡの2回、リコンディショニング講座はⅠが終わり、22日のⅡを残すだけとなりました。講座の目的は、いろんな考え方を理解してもらうことと、その考え方を実践を通して体得していただくことにあります。決してベストなものではなく、いろんなことに応用が利く考え方と実践方法をお教えしたのです。

それは、教科書に載っているものではなく、私がこれまでに実践してきたことを通しての考え方と実践方法を披露したものです。したがって、受講された方は、身体調整の方法やトレーニングというものの考え方と実践方法がよく御理解できたと思います。考え方を尐し変えるだけで、こんなことができるのかという新しい発見があります。今回の講座は、正に参加者の方々にとっては、新しい発見であったと思います。

これまでの3回の講座は、定員オーバーであったのですが、22日のリコンディショニング講座Ⅱは、定員に達していません。それは、何をするのかよくわからないからだと思います。実は、この講座が参加者にとっては一番自分のものになる講座になっているのです。特別なテーマはなく、現在自分が現場で困っていることについて、その解決方法を実践を通してアドバイスするというものです。

治療法からトレーニングにいたるまで参加者の抱えている問題に対して相談にのるということです。参加者が尐なければ、それだけ一人の方が多くの疑問点を解決できることになります。現場で困っている事があればぜひその解決にこの講座を活用していただけたらと思います。

さて、今回は「温める」ということについて取り上げたいと思います。現在では、「アイシング」という「冷却」が主流になっていますが、それと正反対の考え方である「温める」ことの有効性を訴えている方たちもいます。以前、私が水分補給についての二面性の話をしましたが、「冷やす」ことと「温める」ことの違いとそれぞれの特性について理解しておくことも必要だと思います。

今回紹介するのは、田澤賢次、伊藤要子共著の「運動能力アップの新手法」(生活情報センター 2005)です。温める手法がソルトレイク冬季オリンピックで距離スキーの選手たちに取り入れられ、効果があったと報告しています。温めることで、HSP(熱ショックプロテインが)が増加し、運動能力が向上するというものです。

これも最近注目されてきた療法です。HSPについて、詳細を知りたい方は伊藤要子著「からだを温めると増える HSPが病気を必ず治す」ビジネス社 2005 を読まれることをお勧めします。

『がん細胞は、正常細胞に対して熱に弱いといわれています。まれに起きるがんの自然退縮が「熱」と関係があることを、1868年にドイツの学者がはじめて報告しました。実際に、肺炎などにかかったがん患者さんが、4~5日も高熱が続いた後に、がん細胞が消えてしまっていたという症例を医師たちは経験することがあるといいます。

その一方で、温度を上げてもがんは縮小せず、かえって高温に強くなる症例も出てきたのです。そこでさらに熱とがんとの関係を各大学や研究機、関が追求したところ、私たちの体やがん細胞に、熱に対する生体防御のための特殊なたんぱく物質が体内に生産されることが発見されました。そして、熱に対応するたんぱく物質であることから、これをヒートショックプロテイン(HSP)と命名したのです。

しかしHSPは、熱から体を守るだけではなかったのです。体内のあらゆる悪環境からも、細胞を守ってくれていたことがわかってきたのです。壊れた細胞の修復、寒さや活性酸素、重金属、アルコール、炎症などによる体内のストレスから、細胞を守っていたのです。このようなことから、HSPをストレスたんぱくと呼ぶことがあります。』

『新しい医薬品の有効性は、まず動物実験を繰り返して確かめられるのですが、HSPの体内での有効性も、はじめは動物実験で確認されてきました。しかし、人の体内でも動物と同じ有効性があるとは限らないことから、慎重に人体の臨床テストをしなければなりません。

このため、大学のスキー距離競技選手10名によって、HSPの有効性の検証が10日間の合宿で行われたのです。合宿中は、食事や生活が同じですから、同一条件下で行わねばならない実験には最適なのです。

この10名のうち加温群5名、残りの5名は加温をしない非加温群としました。そして加温群のみ、遠赤外線加温装置を使って全身を加温し、非加温群の5名とともに血液検査、リンパ球内のHSPの検査などを行いました。

加温群5名には、41℃~42℃に設定した遠赤外線加温装置に、うつ伏せ、あお向けそれぞれ20分ずつ、合計40分の全身加温を行って検査をしたところ、リンパ球内のHSP産生は、加温48時間後で平均2.64倍、加温後96時間後では平均2.07倍と増加していました。

このような検査結果から、ヒトの場合でもHSP産生の最大誘導時間は、個人差にもよりますが、加温後48~96時間の間であることがわかります。これはなにを意味するのかといいますと、加温後48~96時間後に運動すると運動能力が向上するということです。』

『ランニング機器のトレッドミルを使って、予備加温の効果を試してみました。

まず、予備加温するグループと予備加温しないグループとに分けて、2日後のトレッドミル運動中に、血液中の疲労物質にどのような変化が現れるのかを調べました。血液中の疲労物質の代表格は乳酸ですが、この乳酸の量が多いほど疲労が大きいということがわかるのです。

この実験で予備加温したグループの、運動を開始してからオールアウト(もうそれ以上運動ができない運動の限界)までの血液中の乳酸量と、予備加温しなかったグループのそれを比較したところ、予備加温を行ったグループでは、明らかに乳酸の産生量が抑えられていることがわかりました。そして同時に、オールアウトに達するまでの時間も長くなっていたのです。このような結果から、HSPは運動競技力の向上にもたいへん効果があることが証明されたのです。』

『10日間の合宿期間中、3日目に遠赤外線による加温装置で加温した予備加温群と非予備加温群の血液検査を行って疲労物質を調べました。

この場合は、やはり疲労の度合いを示す総ケトン体、アセト酢酸、3ヒドロキシ酢酸の蓄積の程度を調べたのですが、予備加温4日目に、加温群の血液中には疲労物質の蓄積はあまり見られませんでしたが、非加温群5名中の2名が、特にこれらの疲労物質の蓄積が多くなっていました。

このような結果は、数日間の激しい運動を行っても途中で加温しHSPを産生することによって、疲労の蓄積を軽くすることができることを証明したものであり、またこのようなHSPの働きは、疲労の蓄積で起こりやすい事故の予防などにも役立つことになります。』

『加温によってHSPが増加し運動能力がアップするなら、毎日連続して加温すれば、HSPが増加し続け、運動能力はどんどん向上することになります。

そこでこれまでは、運動前2~4日の1回だけの全身加温によるHSPの量を調べていましたが、改めて、1回だけ、2日連続、4日連続というように、加温の連続期間によるHSPの変化を追ってみたところ、意外な結果が出たのです。なんと加温でHSPの量が最も増加したのは、1回目のみで、2回目以降はほとんど反応がありませんでした。つまり、運動の2~4日前の1回だけの加温が、HSP産生を誘導するには最も効果的であることがわかったのです。』

『予備加温によるHSPの誘導は、時間的にどのくらいの期間、そのエネルギー効果を発揮してくれるかという実験は、マウスを使って行ってみました。

マウスの足を42℃で30分問予備加温し、そのあと1日後、2日後そして7日後に、51℃で再加温しました。その結果、予備加温したマウスの高エネルギー物質の枯渇時間は、延長していることがわかりました。しかし、予備加温7日後のマウスでは、非加熱マウスとの差が認められず、予備加温によって産生するHSPが筋肉エネルギー有効利用率を高める効果は、およそ1週間以内であることを確認しました。』

『前述のことからもわかるように、あらかじめ、私たちの生体に温度ストレス刺激を加えることによって、前もって生体防御能力を運動競技前に向上させておくことで、疲労しにくい体をつくり、代謝能力が向上し、細胞の能力を強化することができることがわかったのです。その結果、疲れにくく、運動能力が向上することがわかったのです。

生体防御能力の向上は、運動能力の向上のみならず、私たちが怪我を負ったときにその傷を修復する能力を向上させますので、怪我の治りが早くなることもわかっています。病気の予防、身体機能の回復への応用など医療面からも広く利用できるものと期待されています。』

『水は加温すると蒸気になり気体になります。また、冷たくすると氷になり固体になります。

一方、冷たいバターを温かいパンに塗ったときのように、脂も温めると軟らかくなって液体になり、冷たくすると固まりとなります。物質は一般に温めると軟らかくなり冷たくすると硬くなります。スポーツなど運動するときには、体をある程度温めて行わないと怪我をしやすく危険度が増加するのです。

また、体温が低下した状態での運動は、血液循環も悪くなっていて、酸素やミネラルが細胞に運ばれず、したがって細胞の疲労も早くなりますので、体を温めて運動することが大切です。このように、冷たい体での運動はとても危険なのです。』

『筋力を持続させるには、運動する2~4日前に遠赤外線加温装置を利用して体を温めておくほうがはるかに効果的であることが、実際にソルトレイク冬季オリンピックの選手たちによって証明されたことは前述しました。

このような効果は、スポーツ選手だけに見られるのではありません。運動の2~4日前に、あらかじめ体に40℃~42℃くらいの熱を与えておくと、あなたの運動能力だってアップするのです。これを予備加温効果というのですが、遠赤外線サウナとか、温泉などで一度しっかり体を温めておく、つまり予備加温しておくことで筋力が持続し、運動能力を高めることができるのです。』

『ヘルストレーニングでは、筋力をつけることはいいことだというわけで、さまざまなメニューが試みられています。「筋力」は、筋肉に取り込まれたブドウ糖が、赤血球が運んできた酸素と反応したとき発生するエネルギー量に支配されます。

従ってこのエネルギー量が多いと、筋肉の収縮と弛緩によって生じる体の各部位の運動能力がアップするので、特にスポーツ選手たちは筋力をつけるためのさまざまなトレーニングに挑戦するわけです。

といっても、運動選手には筋力だけではなく、運動に必要な行動するためのそのほかの体力、すなわち筋肉および呼吸機能の持久力、瞬発力、機敏さ(スピード性)、そして筋骨隆々の体ではない柔軟性と、さらに例えば野球なりテニスなり、あるいはマラソンなど、それぞれの運動に応じた体の特性がなければなりません。

このようなことは、スポーツ選手であれば当然要求されることですが、一般的に私たちが健康のために何か運動をしようとする場合にも、スポーツ選手ほどではないにしても基本的な狙いは、このような行動あるいは運動するための体力の向上にあると考えてもよいでしょう。目的はなんであれ、運動には筋力の影響は大きいのです。そこで、より効果的に筋力をつけるためには、筋肉の量を増やさねばなりません。

筋肉のエネルギー源は、大量のブドウ糖と酸素です。そして、ブドウ糖が足りなくなると、肝臓にためてあったグリコーゲンをブドウ糖に変えて補うのです。私たちが気づかなくても、体内では体のあらゆる部分の筋肉の状態に応じてこのような作業が絶え間なく続いています。

筋肉の量が多いと、この作業で筋肉の量に比例してブドウ糖の量も増えるわけで、その分筋肉の量が尐ない人よりも、筋肉エネルギーもあり、筋力が強いことになります。

同じ体重の男女で腕相撲でもしてみますと、勝つのはほとんど男性です。これは男性のほうが筋肉の量が多いから、筋力が持続し勝てるのです。しかし、いかに筋力があっても運動などで筋肉は疲労します。それは、生体側にとってストレスになるわけです。また、スポーツの競技などは、観る人たちにとっては大変楽しいものですが、選手にとって競技は一種のストレスにさらされることになります。

ところで細胞の中には、普段から細胞内の代謝にかかわっている生体防御機能をもったHSPというたんぱくが存在しています。そして、ストレスや疲労、あるいは傷害などを受けると細胞はより一層多くのHSPたんぱくをつくって細胞の損傷を修復するのです。つまりHSPは、細胞の危機を救うレスキュー隊員の役割をしています。

HSPのストレスに対応するこの働きをさらに効率よく利用するには、予測されるストレスを体が受ける前に、予備的に体におだやかなストレスを与えることで、HSPをより多く細胞の中に誘導して、本番のストレスに対抗してもらおうという発想が、予備加温です。このように、HSPはストレスによって増加しますので、ストレスたんぱくとも呼ばれています。

スポーツ競技や試合、あるいは運動という本番のストレスに直面する前に、加温という穏やかなストレスを与えてレスキュー隊員を増員、配備しておけば、本番のストレスによる筋肉のダメージは、予防、軽減あるいは速やかに修復され、その結果、筋力が回復またはアップして、運動能力を高めることができる、ということが現段階で証明された最新の筋力トレーニング法として注目されているのです。』

『・・・運動によって筋肉の中では、さまざまな変化がおきています。筋肉のエネルギー源がブドウ糖であることは、すでにお話ししました。体がエネルギーを必要とするときには、肝臓はたくわえていたグリコーゲンをブドウ糖に変えて血液に送り込み、それが筋肉の活力源となります。

しかし困ったことに、グリコーゲンをブドウ糖にかえるときに乳酸という筋肉の疲労物質が生じて血液に入りこんでしまうのです。そして筋肉で乳酸の量が増えてたまってしまうと、筋肉はついに動けなくなります。もちろん、これで筋肉の寿命が終わるということはありません。

それを救うのは、酸素です。酸素の運搬役は赤血球です。赤血球が運んできた酸素は、その乳酸を水と炭酸ガスに分解し体外に排泄できる状態に変身させ、筋肉の疲労を回復させてくれるのです。

とはいっても激しい運動などで筋肉中の乳酸の量が増え続けると酸素の供給が追いつかず、ついに筋肉の力は衰えていきます。

そこで筋肉を疲労させないためには、大敵の乳酸の生産をおさえればいいわけで、このときこそ、予備加温で増員され配備されたHSPというストレスたんぱくのレスキュー活動がはじまるのです。

最初にお話しした予備加温による競技成績の向上をもたらしたのは、まさにこのレスキュー隊により、選手たちの筋肉に疲労物質である乳酸の蓄積を減らすことができたことも大きな要因でしょう。

また、体の疲労は、細胞の酸化作用でもあるわけです。疲労が進行するほど酸化も進みますが、この疲労による酸化の予防あるいは軽減は、健康上そして運動の成果をあげるにも重要な意味があるのです。

この点でも、予備加温後2~4日の競技データに、十分その効果が現れていました。

こうしたことは、スポーツの競技ほどではなくても一般の人たちが行う運動は、個人差はあるものの筋肉に一種のストレスを与えるということでは、同じです。
いま、最新の筋肉トレーニング法として、ストレスたんぱくHSPが注目され始めたのも、そのような理由からだといえましょう。

ここでいう運動とは、特殊なものだけではなく、家事全般その他日常生活に必要なすべての行動も含まれると考えたほうがいいのです。なぜなら、筋肉の動きを必要としない動作は、ほとんどありえないのですから。』