2006年 6月 の投稿一覧

理論を作り上げること|ニュースレターNO.146

退院して2週間、手術をして4週間がたちました。20日の火曜日に診察を受けてきました。心臓のほうも引き締まってきたという表現を使われましたが、元の状態に近づきつつあるそうです。食欲も旺盛で、必要なトレーニングをしているせいか、身体の方はますます元気になっています。

さて、今回のニュースレターでは、理論の構築のむつかしさについて考えてみたいと思います。世間では、「・・理論」と名がつけば、また優秀な選手がそのことにかかわっていると、尚更「・・理論」は疑いもなく取り入れられたりします。私も「魚住理論」と呼ばれたりする事がありますが、それはきっぱり否定しています。

私なりの「考え方」というものはありますが、「理論」と呼べるものではありません。私の場合は、生理学的な「理論・理屈」を基礎にして、いろんなトレーニング方法やリコンディショニングの方法を自分なりに理由付けて考え出しています。

世間では、簡単に「・・理論」と勝手に名づけている人たちがいますが、それが現場で指導者を悩ましている原因になっています。「・・理論」というならば、それを証明する科学的データなどの集積がなければいけません。ほとんどの人たちは、データの集積、分析などとかかわることはありませんので、「・・理論」といわれると、それを正直に信用してしまう方が多くいます。

学生にもよく言うことですが、何事に関しても「これだけ」「この理論」がすべてということはありえません。これは、一面性の考え方に陥ることになります。必ずいろんな方向から考えて、この理論は納得できるか、検討しなければいけません。その理論もすべて否定することも無いと思います。

何かに関して、その理論が使えることもあるわけです。ただし、その場合には、「理論」とは呼べません。理論は、いろんな方向から検討して、すべて納得できる結果が証明されなければならないのです。「・・理論」と「理論」を使わずに、「・・の考え方」という方が無理はありません。「理論」と「考え方」の使い方には、気を付けなければいけません。

「・・理論」に関して、トレーニング科学研究会の機関紙に面白い記事が出ていました(深代千之 トレーニング科学Vol.18 No.1・2 2006)ので、紹介したいと思います。ここ数年間に出てきた「ニ軸理論」について、その理論を科学的に証明し、その理論に対してバイオメカニクスの立場での分析から、互いの論点を比較し、誌上で討論しようという企画が立てられました。

私も楽しみにしていたのですが、その企画は残念ながら実現しなかったようです。その企画の経緯と実現に至らなかったことが紹介されています。今回は、その一部をピックアップして紹介したいと思います。詳細については、上記の機関紙をご覧ください。正に、「・・理論」と名乗ることの難しさが見て取れます。

「・・理論」と「理論」をつけて、世間的に広がればそれなりの説明責任を持たなければならないはずです。「理論」を証明できないことなどありえないし、証明できるから「理論」のはずです。

『このバイオメカニクス研究結果を追うような形で、最近では古武術や身体技法を用いた、ナンバ走り・二軸走行・常歩(なみあし)などが提示され、スポーツ選手だけでなく一般のスポーツ愛好家にも注目されるようになってきている。しかし、これらの走り方が、理屈にあっているのか、本当に速いのか、などについては未だ明らかにされているわけではない。この点を誌上で検証してみたい。

そこで、誌上討論として、二軸・常歩などを中心になって提唱している京都大学の小田伸午氏と、バイオメカニクスの観点からスプリント理論構築に中心となってきた大阪体育大学の伊藤章氏に執筆をお願いし、速い走り方に関するディベートを企画した。これは、意識と動作、主観と客観などという対立軸で考えることができるが、このディベートを通して、速く走るメカニズムの主観と客観が深まることが期待される。』

『速く走るスプリント理論構築の基となったのは、私もスタッフとして参加した1991年の東京世界陸上競技選手権のバイオメカニクスプロジェクトであった。このプロジェクトでは、日本陸連と世界陸連のバイオメカニスト約80名が東京に10日間泊り込んで、すべての種目を高速度フィルム・ビデオ撮影して3次元解析した。

・・・これを10日間続けた後に、それぞれの種目のフィルム・ビデオを自分の大学や研究所に持ち帰り、大変な労力を使ってデジタイジングして運動学的・運動力学的変数を計算し、種目ごとに要点をまとめあげた。

それを広く一般に公開するために、日本陸連が中心となって作成した報告書とともに、ベースボールマガジン社の協力を得て、種目別全10巻のビデオとして販売したのである。撮影時のスタッフの旅費・宿泊費そしてビデオ作成に関わる費用は(我々スタッフのデータ解析の人件費はもちろん含めずに)何千万円にもなった。

京都大学の小田伸午氏は、その市販ビデオを“私用”して、「ターンノーバー」などの持論を展開してきている。次号で、小田氏には「二軸走行(仮題)」に関して、(一般の人ではなく)スポーツ科学者にわかる形で論を展開して説明していただく。

その論説の中でお願いしたいのは、個々の理論の構築について、明確に出展を上げて、誰のどの研究を基にしているのか、自分で実証してきたのはどの部分なのかなどを明らかにしながら説明してほしいという点である。あくまで、学術的な議論をするためである。

それに対して、次々号で、伊藤氏にバイオメカニクスの観点から、小田理論を検証するということを依頼したい。この誌上討論によって、速い走り方に関して、よい点・問題点・改善点などが浮き彫りになり、さらに進んだスプリント理論ができあがることを期待している。』

『前号に掲載した「誌上ディベートの企画意図」を同封して、京都大学の小田伸午氏に執筆依頼を行った。その返答は、残念ながら「原稿執筆否。せっかくの企画ですが申しわけありません」というものであった。そこで、次のような文面を電子メイルおよび郵送で送り、再考をお願いした。

トレーニング科学会の依頼「誌上ディベート」に、否の返事をもらい、大変残念に思います。これを企画した意図について、若干補足説明します。企画理由は次の2点です。

1:最近話題の「ナンバ、二軸、常歩」などに関して、書物や講演などで啓蒙活動を中心的に行っている、小田先生の理論を、じっくりと読み解いてみたい。

2:小田先生の「ターンオーバー」などの論の発端となっているのは、我々「東京世界陸上バイメカプロジェクト」の資粋なので、公に説明責任がある。

特に、2についでは、世界界陸上のプロジェクト班のほとんどの人がもっているものです。小田先生は競技会での動作を対象に3次元解析をしたことがないのでわからないかもしれませんが、次のような多大な苦労があります。

グランド内あるいはスタンド最上段にカメラを設置することの許可を陸連および審判部から得る(当時は陸連と審判部を説得するのに、委員長の小林寛道先生を中心に何度もお願いの会議を行い、結局「ビデオ審判」を兼ねるということでようやく了解を得ました。

撮影では夜間なので暗さとの戦い(夜の撮影時にはカメラの絞りを秒刻みにトランシーバーで確認しあうという状況でした)、朝のキャリブレーションの後に観客が尐しでもカメラにぶつかれば校正がすべてだめになるという一日を通してのカメラ管理、そして特に大変なのは、フィルム・ビデオの3次元解析です。

解析では、もちろん今流行りのモーションキャプチャのようにはいかず、足先・足首・膝…などの点を1コマ最低20点(3次元なので最低2カメラ)、1秒間100コマデジタイジングしますが、夜の撮影で対象が黒人選手であることはデジタイジングをさらに困難なものにしました。細かくいえば、まだまだありますが、報告書や市販ビデオに到るまでには、日本陸連とベースボールマガジン社の政治的・経済的な支援とともに、我々プロジェクトチームの無償の苦労があったのです。

小田先生は、その市販ビデオを利用して二次処理を行いました。このようなデータの使用は許可なくして許されるものではないでしょう。それも、非営利な学術誌に研究論文として発表するのならばまだしも、さまざまな商業誌に公表している。

したがって、小田先生には説明責任があるだろうし、その機会をあえて与えたということなのです。出典を明確にして学術的な議論をしようということです。ご再考ねがえませんか?

しかし、このメイルの返信がくることはなかった。実は、私は小田氏の著書「運動科学」を「体育の科学」誌で書評している。運動科学では二軸理論に多くの頁を割いているが、その書評では「二軸理論については、今後の発展を期待したい」という書き方で論評を避けた。というのは、感覚を基にした決め付けが多く評価できないということと、放っておいてもメジャーになることはないだろうという考えからであった。

また、同僚がスポーツ科学を啓蒙しようとしているのだからそっとしておこうという「武士の情け」もあり、二軸理論に触れないでおいたのである。

その後、陸上・短距離の末続慎吾選手が2003年フランス世界陸上200mで銅メダルを獲得し、コーチの高野進氏が「ナンバ」という言葉を発して以来、ナンバ・二軸・常歩が俄然注目されるようになった。近代日本が打ち消そうとした日本古来の身体文化や動きに振り返って注目する、これ自体は好ましいことで、私自身もエールを送った。ただ、内実はどうかという不安はあった。』

『・・・著者の織田氏は、小田氏の説明を引用して「科学的」としているが、小田氏の説明自体が理解しがたいのである。例えば、「ナンバ…」の82頁に、走りで「抜き、脱力感覚で傾きを抑える(これもよくわからない表現であるが)」ということについて、小田氏の次のような説明を引用している:「右足が接地するとき、地面からの力(反力)を受けて、離地した左足は上がっていく。

しかし、慣性と重力の法則で左腰と左肩は上から下へと流れていくんです。…」。バイオメカニクスを尐しでも勉強した者には、この文章は難解だ。地面反力を受けて振込脚は上がっていかないし、左腰と左肩が上から下へとながれるというのはどういうことか、そもそも、ここでいう慣性と重力の法則とは何を示すのか、と。

・・・小田氏の著作では、「膝を抜く」あるいは「二軸」という記述がたくさん出現するが、言葉の定義がなされていず、曖昧なままに語られている。小田氏の説明は力学や生理学用語をちりばめているが、それがさらに理解を難しくさせているのである。また、小田氏の定性的な動作の説明が個人特有のものなのか、一般化できるものなのかも読み取れない。

・・・また、100mの前世界記録保持者モーリスグリーン選手と日本記録保持者伊東浩二選手の股関節問力を比較している(運動科学123頁、図5-8)が、グリーン選手は追い風で伊東選手は向かい風のデータである。

短絡的な比較といわざるをえないし、そもそも小田氏自身が、関節トルクや関節間力がどのように計算されて、どのような意味をもつのか理解しているのだろうかと問いたくなる。例をあげればきりがないが、このように納得する説明がなされないままに、断定的に「二軸はよい」と論を決めつけているのである。自分たちに都合のよい局面の姿勢だけを取り出してきて、都合のよい論を立てている。小田氏らの論の組み立てはいつもこのような形のようだ。』

『・・・ナンバ・二軸・常歩…これを意識することで、上手な身体の使い方を発見することがあるのかもしれない。自分たちのグループ内だけで、感覚や現象をおもしろがっている分には誰も何も言わない。ただし、それを世間に提唱するからには、それなりの責任が生じるのは当然である。堂々と議論できない人たちが勝手な情報を世間に流してよいはずはない。

このグループの中で、小田氏の立場は(織田氏の本をみてもわかるように)科学側にあるのだろう。しかし、小田氏らが提唱する動きに理論づけができておらず、スポーツやトレーニングの世界が混乱し、無視しておくわけにはいかなくなったので、今回の誌上ディベートを企画したのである。二軸グループのディベート拒否は、アカデミアのリング内にもどることを自ら拒んだ、つまり、自分と同調する人たちの輪だけで生きることになるということを覚悟しての結論ということになる。』

今回の長期入院について|ニュースレターNO.145

6月6日(火)、元気に退院しました。術後の経過もよく、身体はいたって元気です。多くの方にご心配をおかけしましたが、これで再スタートです。徐々にコンディションを整えながら、現場に復帰していきたいと思います。

1月中旬に不調を感じ始め、下肢のむくみが上半身にも移行してきたところまで、3ヶ月ほどの期間があり、むくみ対策だけができないでいたところ、ある人からの話のきっかけで心臓の検査が必要ではないかという結論になり、4月28日(金)に富永病院に検査入院することになりました。このときすでに心臓は末期状態の心不全になっていたようです。

むくみはすべて水であるということで、入院してすぐに身体の水抜きを行ったところ(利尿剤)、体重の減少とともにむくみも減少していきました。1日で11kgちょっと体重が減少したという考えられないことを体験しました。約1週間で体重が20kg近く減少し、むくみも同様に消失しました。それだけ水分を溜め込んでいたのかと驚きのなにものでもありませんでした。

人間の身体は実に不思議です。その後はむくみもなく、体調もよくなりました。体調は入院して利尿剤の点滴を打った直後からよくなり、歩いても何ら問題を感じなくなりました。

原因は、と考えると高血圧と水分摂取かもしれません。血圧が高いのはなぜかな、と思っていたのですが、まさか、心臓の弁が悪くて血液が逆流していたとは想像できませんでした。いろいろな検査の結果、心臓弁膜症とわかり、状況について説明を受けましたが、いずれも納得するものでした。血液を送っても逆流して戻ってくるようでは、よくも呼吸できていたものです。40日間の検査、手術、術後でいろいろと考えることもできました。

もっと早い段階で、心臓の検査を受ければよかったということになりますが、自分のこれまでの経験と知識から、まさか心臓に問題があるのではというところに行きつかなかったのです。そこに行きつくまで3ヶ月以上かかったのは、一面性の考え方をしていたからでしょう。腹部の不快と心臓の関係がまったく頭の中になかったということです。

いずれにせよ、良い病院と優秀なドクターにめぐり会えたことに感謝しなければいけません。病院は、知人のところでしたが、以前は脳神経が専門で、心臓・循環系もやっていることを知らなかったのですが、調べると心臓のほうも扱っていると事がわかりました。お世話になった三名のドクターは優秀で若く、自信に満ちている方々でした。主治医の南方ドクターは、判断、決断も早く、事もスムーズで、説明も明瞭、私のリズムとぴったりであったことも幸いしました。

検査から手術まで24日、手術から退院まで16日、遅いようではありますが順調であったと思います。学校も落ち着き、現場を教職員に預けて安心できる状況であったことから、ゆっくり静養をかねさせてもらいましたが、家族にも教職員にも、当然ドクターや看護師の方々にも感謝しなければなりません。

我が身を傷つけて体験したことは、何よりも貴重な勉強であり、今後のいろんな指導にも生かせると思います。体調に注意しながら、ますます意欲をもってこれからの生活・仕事に励んでいきたいと思います。

最後に、多くの方々にご心配いただき、またメールや見舞いにきていただきました。ここに慎んでお礼申し上げます。 感謝

手術後の経過
5月22日(月)49.5kg(16.3%) 1480cc

朝の血圧は、93/75であった。7時に浣腸し、8時に心臓の薬を飲み、8時30分に点滴と筋肉注射を打った。心臓弁膜症の治療として僧帽弁と三尖弁の手術と心房のメイズ手術を行った。弁の手術は、いずれも人工弁輪による形成術であった。この形成手術は、弁尖部の接合を確保し、逆流を消失させるものである。

あと1つ、心房のメイズ手術は、左右の心房の拍動を同期させ、心房の振動を調整するために、電気的に内部を数箇所焼く。この3つの手術は無事に終わった。この他に、心房の外側にある左心耳、右心耳を除去した。

手術室に9時30分に入り、15時40分にでてきた。手術時間は、4時間37分だった。そのままCCUに入った。手術室に入り、手術台に乗り、全身麻酔の注射をしますよ、といわれて20~30秒で眠りに入り、これからかと思ったら「終わりましたよ」という声が聞こえてきた。感覚的には、2~3分であった。

CCUではっきり目覚めたのが24時ごろであった。傷の痛みなどはまったく感じなかった。全身麻酔だけで特に痛み止めの注射は使わなかったということである。ただ、身体を動かせないので、わずかに身体を動かすと、肋骨に痛みを感じ、後は首をほとんど動かすことができなかった。喉には人工呼吸器が入り、口には酸素マスクをつけているのでしゃべれない。

喉が渇いてきて、朝10時に氷を1つもらうまでが長くつらい時間であった。身体のいろんなところにチューブが入っており(頸部、腹部、鼠径部など)、これらがある程度取れないと歩けない。

23日(火)3190cc

夜中は、つば、タンなどが喉にたまり、何度も吸い出してもらって朝を迎えた。熱が少しあるということで、大きなチューブ抜きも延期になった。この日は、喉の人工呼吸器が取れ、話ができるようになっただけで、動かずに寝ているだけの1日となった。動かないことは、正に「拷問」であった。

24日(水)3400cc

朝、心臓の補助装置を働かせるために入れていた左股関節の管を抜いたので両脚が動かせるようになった。午後には、首と腹部にあるチューブを抜いたので、夕方に立つことができ、歩行訓練を行った。距離的には、100mほど。普通のペースで歩けた。歩行はまったく問題がなかった。食事もこの日の朝から食べた。

25日(木)50.5kg 1573cc

血圧が上がらないということで、いろいろ調べたところ、胸部X線で気になるところがあり、胸部のCTをとったところ、手術の影響で左の肺に空気と水が入ったようで、肺気腫になっていた。CTを見ると左の肺は、半分ぐらい塞がれていた。それで午後に左肺の空気と水抜きをすることになった。ベッドの上で行ったが、実に強烈なものであった。

空気と水抜きをするとすぐに肺が広がった感じがした。このままチューブを突っ込んだままで、様子を見ることになった。歩くことに問題はない。夜は、このチューブの影響で、左脇、左胸、左脇の後方などに、痛みが転々とし、苦痛を伴う眠りとなった。

26日(金)50.2kg(17.6%) 1050cc

今日から入院して5週目に入る。夜中、いろんなところに痛みを感じたが、同時に汗もしっかり出た。朝、汗を拭いて着替えをしたのですっきりとした。昨夜からご飯食にしたので、食欲はある。夕方、胸部のチューブを抜いた。これも強烈な痛みであり、ドクターもよくうらまれると言っていた。しかし抜いた後は、気分壮快である。後は、ペースメーカーのコードだけである。

27日(土)49.8kg(17.3%) 1100cc

チューブもほとんど抜けたので、寝返りができるようになり、長い睡眠が取れるようになった。起き上がりも一人でできるようになった。肺も膨らんだままで、状態もよいことから、午後に一般病室に移ることになった。これで面会も自由となる。

28日(日)49.2kg(17.6%) 1300cc

体調はよい。まだ、寝ているときに不整脈が出るということで、明日、電気ショックを受けることになった。後は、課題の不整脈の対応だけである。寝ているときに、身体の細胞が活性化しだしたことを感じる。

29日(月)49.7kg(18.7%) 1300cc

廊下を8周歩ければ、明日シャワーを浴びられるということで、8周歩くことになった。通常歩行で歩くことには全然問題がなく、歩行後の血圧は152/97、HR76であった。呼吸調整して歩かなかったので、血圧は少し高めとなったが、動悸や息切れはまったくなかった。夕方、電気ショックを受ける。いわゆるAEDである。刺激を三段階に分けて、電気ショックを与えたようである。

ぼんやりした麻酔をかけての実施で、最後まで意識はあったが、電気ショックのときは当然であるがわからなかった。終わったという声とともに自分でおきて、部屋まで帰った。電気ショックの成果はすぐに見られなかったようで、4~5日様子を見ることになった。成果が見られなかったら、もう一度トライしようか、ということになった。電気ショック後は、心臓が軽くなり、呼吸もより楽になった。

30日(火)48.8kg(17.2%) 1550cc

身体の代謝が上がってきているせいか、体重が減ってきた。1日1700kcalでは、当然やせてくる。午後、
5回目の心エコーをとった。左室駆出率(EF:ejection fraction)は、通常60%であるが、手術前の30%から50%に大幅に改善が見られた。身体はますます元気になってきた。

31日(水)49.1kg(17.9%) 1100cc

今日は検査も何もない1日であった。見舞いの多い1日でもあった。腹から入っているペースメーカーのコードだけが気になる程度で、身体は本当に元気である。できるだけ時間を取り、左胸のリンパドレナージュをした。おかげで、左胸が軽くなり、胸郭を拡くのも楽になった。後は、左肩と肩甲骨の間の不快感(左肩を動かすと痛みを感じる。これは手術のとき長時間、左の胸郭を広げていたことが原因と思われる)と不整脈の対応だけである。

6月01日(木)49.5kg(16.7%) 1500cc

検査も何もない1日。初めて階段練習をした。1階から5階まで101段を2往復したが、特に動悸や息切れもなく、少し汗ばんだ程度であった。後はのんびりした。午前、午後ともに見舞いがあり、それで時間もかなりつぶれた。

02日(金)50.0kg(18.6%) 1400cc

昨日の階段の影響が少し脚に残っている。午前中に最後のペースメーカーのコードが抜けた。これで身体からすべてのコード・チューブ、点滴の針が抜け、元の身体に戻った。気分壮快。身体に何もつけていない状態は、もう1ヶ月以上になる。月曜日に採血、胸部X線と心電図をとり、それで問題なければ退院ということになった。

03日(土)50.0kg(16.7%) 1200cc

今日も何もない1日。午後、シャワーを浴びてすっきりした。ますます身体は元気になっていくのを感じる。退院まで、あと少し。

04日(日)50.6kg(18.1%) 1450cc

入院して38日目、最後の日曜日。今日も何もない1日であった。身体のあちこちのきしみなども取れ、気分のよい1日であった。問題がなければ火曜日に退院ということになったので、よりよいコンディションで退院できるように努めたい。食欲もあり、ここ2~3日、よく食べているので体重も増える傾向にある。今後は、体力アップが最大の課題になる。

05日(月)50.9kg(16.3%)

朝の採血、胸部X線、心電図、いずれも問題なく、明日退院ということになった。夕方、南方ドクターより、今回の手術にいたる経緯と今後のことについて説明があった。弁の手術については、僧帽弁は漏れもなく完全にとまっているが、三尖弁については少し漏れが見られるものの問題はないということであった。

後1つ課題の心房細動であるが、手術後は正常に戻ったが、2~3日でまた出たという。しかし、3~6カ月の間に正常になることもあるので、様子を見ていくということになった。今後は、薬の処方を守り、徐々に体力アップを図ること、という指示があった。明日、いよいよ退院である。

06日(火)51.3kg(17.7%)

朝食をとって、退院手続きを行い、元気に退院した。長いような短いような40日であった。そのまま学校に向かい、メールなどをチェックし、昼食をとって、帰宅した。家には、山ほどの郵便物があり、その整理をし、落ち着いたら夕方になっていた。当然ながら、我が家は落ち着く。