年があけても寒い日が続きますが、皆さんの体調はいかがでしょうか。早く暖かい日がやってくることを待ちたいですね。こんな気持ちは、自分自身の人生の中にもいえるように思います。いつになったら気持ちのよい天候の中で思う存分動き回れるようになるのか、といった気持ちです。
ただ待つだけではなく、自分自身の努力の積み重ねでしかそんな日々を引き寄せることはできないでしょう。一つ一つ課題をクリアーして行きたいと思います。皆さんも今年の目標突破に向かって地道に進んでいただきたいと思います。ライブドアーの堀江前社長ではないですが、急激な上昇は避けたいものです。
さて、今回のニュースレターで紹介したいのは、オイゲン・ヘリゲル著「弓と禅」(福村出版1992)の一節です。ひとつのテクニックを習得する上で、指導者と選手の関係がよく見えます。なかなか習得できない過程での、選手の葛藤に対して指導者がどのような心構えで対応すればよいのか、その示唆を得られるように思います。
著者のオイゲン・ヘリゲル(1884~1955)は、ドイツ人でバウハウス派の建築家ブルーノ・タウトと並んで、日本文化紹介者として日本でもよく知られている方のようです。ヘリゲルは、大正13年から昭和4年まで東北帝国大学の講師を勤め、弓術の稽古に励む一方で、本業である哲学講師として師の哲学の普及にも努めました。
ここに紹介する「弓と禅」は、弓術の指導を受ける中で禅の心を理解していく過程が書かれていますが、その過程が指導の現場において大いに役立つものと思われます。一部を紹介しますが、みなさんはどのように捉えられるでしょうか。
『「あなた方も同じようにして下さい。しかしその際、弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではないということに注意して下さい。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません。
これができて初めてあなた方は、引き絞って射ることが“精神的に”なるための条件のひとつを満たすことになるのです。」
こういって彼は私の両手をとって、ゆっくりと、これから私が自分の手で行うべき弓射の諸動作を、ひとわたり指導してくれた。私が感覚的にその運動になじむように。
初めは中位の強さの弓でやって見たが、その時私はすでに、弓を引き絞るためには、かなりの腕の力を、いやそれどころかほとんど全身の力をさえ使わねばならないことに気がついた。これは日本の弓が、ヨーロッパの遊戯のための弓のように、肩の高さで止められ、したがっていわば弓の中に自分を押し込むことができるのとは全然わけが違うという理由にもよるのである。
日本の弓はこれと違って矢がつがえられるとすぐに、ほとんど伸ばし切った両腕で高く捧げられる。それで射手の両手は自分の頭の上に来ることになる。したがって両手を均等に左右に引き分ける外に仕方がないのである。
そして両手が互いに遠ざかるに従って、曲線を描きながらますます低くさがり、ついに弓を持っている左手は腕を伸ばし切ったまま目の高さに、弦を引っ張っている曲げられた右腕の手はこれに反して右肩の関節の上に来る。
こうして約1メートルの矢は、その先のところがほんの尐しばかり弓の外端の向うに突き出ることとなる-それほど大きく弓を引き絞るのである。ところでこの姿勢のまま射手は、射放す頃合いになるまで、しばらくの間持ちこたえていなければならない。私はこの慣れない、引き絞って持ちこたえているというやり方のために力を出さねばならなくなり、その結果数秒の後早くも私の両手が震え始め、呼吸が次第に苦しくなって行った。
次の週の経験もまたこのことに変りはなかった。引き絞るのは依然として苦しい仕事であり、熱心な練習にもかかわらず、どうしても“精神的に”なりそうもなかった。自分を慰めるために私は、ここにはある骨(コツ)が大切なのに違いない。師範は何かの理由でこれを人に打ち明けないのだろうという考えを自分でひねくり出して、この骨を発見することに私の功名心を賭けたのであった。
かたくなに自分のもくろみにしがみついて、私は稽古を続けた。師範は注意深く私の努力の後を追い、落ちついて私のぎこちない姿勢を矯(ただ)し、私の熱心を褒め、私の力の浪費を責めたが、その他は私のなすままにまかせていた。
ただ彼は、その中に覚え込んだドイツ語の“力を抜いて”(gelockert)という言葉を、弓を引き絞る際私に向かって呼びかけたが、その時には相変らず私の痛い所に触れるのであった-根気よさと礼儀正しさは失わなかったが。しかし根気をなくしたのは私であって、私はいいつけられた通りの仕方では、どうしても弓を引くことができないと告白せざるを得ない日がやって来たのである。
「あなたにそれができないのは、呼吸を正しくしないからです」と師範は私に説き明かした。「息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息をゆるやかに圧し下げなさい。そこでしばらくの間息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと一様に息を吐きなさい。
そして尐し休んだ後、急に一息でまた空気を吸うのです-こうして呼気と吸気を続けて行ううちに、その律動は、次第に独りでに決ってきます。これを正しく行っていくと、あなたは弓射が日一日と楽になるのを感じるでしょう。
というのはこの呼吸法によって、あなたは単にあらゆる精神力の根源を見出すばかりでなおさらにこの源泉が次第に豊富に流れ出して、あなたが力を抜けば抜くほどますます容易にあなたの四肢に注がれるようになるからです。このことを証明しようとするかのように、彼は彼の強い弓を引き絞り、私に彼の後へ行って彼の腕の筋肉にさわって見るようにいいつけた。
その筋肉は実際何らなすべきことがないかのように全く力が入っていなかった。
この新しい呼吸法は、さし当りまず弓矢なしで、それが淀みなく行われるようになるまで練習された。最初は何だか頭がぼんやりするような感じだったが、これはすぐに治まった。
師範は、息を吐く時、できるだけゆっくりと、連続的に吐き出して次第に消えて行くようすることに、非常な重点を置いた。それで我々が覚え込んで自由にこなせるようになる便宜のために彼は息を出す時に、むむという音声をこれに伴わせるようにさせた。
そして最後の吐息と共にその音もなくなってしまった時、初めてまた空気を吸うことを我々に許したのである。ある時師範はいった。「吸気は結び、結び合わせる。息を一杯に吸ってこれをぐっと止める時、一切がうまく行く。また呼気は、あらゆる制限を克服することによって、解放し完成する」と。しかしその当時我々にはまだその意味が分らなかった。
師範はこの呼吸法を-それはもちろんそれ自身のために練習されたのではないが-遅滞なく弓射に関係づけることに移って行った。弓を引き絞って射る統一的過程は、次の区切りに分解された。すなわち、弓を手に取り-矢をつがえ-弓を高く捧げ-一杯に引き絞って満を持し射放つことの五動作がこれである。
これらの各動作は吸気によって始められ、圧し下げられた息をぐっと止めることによって支えられ、呼気によって完了された。その際おのずから次の結果が生じた。すなわち呼吸法は、だんだんうまく行って、ただに個々の姿勢や操作を意味味深く強勢づけたばかりでなく、またリズムをもった分節でこれらを相互にしっかり結びつけたのであった-各人ごとに彼の呼吸能力の状態に応じて。
それゆえ、前に示したように、弓射はこれをいくつもの動作に分解して行われたにもかかわらず、その過程は、全く自身からまた自身において生きているひとつの業のように思われたのであって、体操のような練習とは遠く離れていて比べものにならなかったのである。
というのは体操では、その部分的動作が任意に、付加されたり除去されたりすることができるのであって、そのことによってその意味と性格とが打ち壊されるようなことがないものであるからである。
私は当時のことを振り返って見るたびごとに、いつも繰り返し、この呼吸法の功徳を発揮させることが、初め私にどんなに困難であったかを想い起さざるを得ない。いかにも私は技術的には正しく呼吸したが、しかし私が弓を引き絞る際、腕と肩の筋肉の力を抜いたままにしようと注意すると、思わず知らず私の両足の筋肉組織が、それだけ激しくこわばるのであった。
あたかも私がしっかりした支えや安定した足場に頼ることになっていて、アンタエウスさながらに、地面から一切の力を吸いとらねばならないかのように。師範はしばしば電光のようにさっと私に近よって、何もいわず、ただ右または左の脚の筋肉の、特に敏感なところを痛くなるほど圧しつけるのであった。
そんな場合私は一度弁解のために、「それでも私は力を抜いたままでいるよう誠心誠意苦心しているのです」といったことがある。すると彼は答えていった。
「まさしくそのことがいけないのです。あなたがそのために骨折ったり、それについて考えたりすることが。一切を忘れてもっぱら呼吸に集中しなさい。ちょうどほかには何一つなすべきことがないかのように」と。
私が師範の要求する通りに呼吸ができるようになるまでには、もちろんなお相当な時間がかかった。しかしついにうまく行った。私は尐しも気をもまないで呼吸法に没入することを覚えたので、時には自分が呼吸するのでなく、ずいぶん奇妙に聞えるであろうが、呼吸させられるような気さえしたのである。
そして私が反省的に物事を思索する時には、この奇妙な考えに反抗したけれども、この呼吸法が師範の約束した通りであるということについては、もはやどうしても疑うことができなかったのである。
そしてたまには、また時の経つにつれていっそうしばしば、全身の力を抜いた状態で弓を引き、最後まで引き続けていることに成功した。そしてどうしてそうなるか、私は全く語る術を知らなかったのである。
この成功したわずかの試射と依然として失敗した多くの試射との間の質的相違が、その際あまりにも確信的であったので、私は弓を“精神的に”引くことがどういう意味でなければならないかを今やついに理解したと自認するのにためらわなかったのである。』
『「放れが台なしにされないためには、手が衝撃的に開かれてはならないことはよく分ります。しかしどのように私が振舞ってもいつも逆になるのです。私が手をできるだけしっかり閉じていると、開く時の動揺は避けられません。
これに反して手をゆるめて放そうと苦心すれば、弦がまだ十分に引き絞る広さに達しないうちに、ついうっかりと、やはり早過ぎて引き離されます。この二通りの失敗の間を右往左往して、私は抜け道が見出せないのです」と。
師範は答えていった。
「あなたは引き絞った弦を、いわば幼児がさし出された指を握るように抑えねばなりません。幼児はいつも我々が驚くほど、そのちっちゃな拳の力でしっかり指を握りしめます。しかもその指を放す時には尐しの衝撃も起りません。なぜだかお分りですか。
というのは、小児は考えないからです-今自分はそこにある別の物をつかむためにその指を放すのだとでもいう風に。むしろ小児は全く考えなしに、また意図も持たずこれからあれへと転々して行きます。それで小児は物と遊んでいる-同様に物が小児と遊んでいるとはいえないにしても-といわねばならないでしょう」と。
「先生がこの比楡で遠回しに教えようとされることは、おそらく私にも分るでしょう。」
私は語をついでいった。
「しかし、私は全く別の状況に在るのではないでしょうか。私が弓を引き絞ると、今すぐ射放さなければ引き絞っていることがもはや堪えられないと感じられる瞬間が来ます。その時思いもかけず何が起こるでしょうか? ただ単に私に息切れが襲ってくるだけのことです。それゆえどうなろうと私は自分で射放しないわけには行かないのです。私はもはや射を待っていることができないのですから。」
師範は答えていった。
「あなたに対して難点がどこに在るか実によく述べられました。あなたがなぜ放れを待つことができないのか、またなぜ射放される前に息切れになるのか、御存じですか。正しい射が正しい瞬間に起らないのは、あなたがあなた自身から離れていないからです。
あなたは充実を目指して引き絞っているのでなく、あなたの失敗を待っているのです。そんな状態である限り、あなたはあなたに依存しない業をあなた自身で呼び起すより外に選ぶ道がないのです。そしてあなたがその業を呼び起す限りは、あなたの手は正しい仕方で-小児の手のように開かれません。熟した果物の皮がはじけるように開かれないのです」と。
私は師範に、この説明は私をいっそう混乱させたと告白せざるを得なかった。「というのは結局」、私は再考を促していった。
「私が弓を引き射放すのは、的にあてるためです。引くのはそれゆえ目的に対する手段です。そしてこの関係を私は見失うわけにはいきません。小児はこの関係をまだ知りません、が私はこれをもはや取り除くことはできないのです」と。
その時師範は声を大にしていい放った。
「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ! あなたがあくまで執拗に、確実に的にあてるために矢の放れを習得しようと努力すればするほど、ますます放れに成功せず、いよいよ中りも遠のくでしょう。あなたがあまりにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。あなたは、意志の行わないものは何も起らないと考えていられるのですね。」
「しかし先生御自身、今までしばしばおっしゃったではありませんか」
私は異議をさしはさんだ。
「弓射は決して暇つぶしや目的のない遊戯ではなく、生死を賭けた一大事である」と。
「それはどこまでも主張します。我々弓の師範は申します、一射-一生と。これはどんな意味かあなたは今のところまだお分りにならないでしょう。が同じ境地をいい表している別の喩がおそらくお役に立つでしょう。我々弓の師範は申します。射手は弓の上端で天を突き刺し、下端には絹糸で縛った大地を吊るしていると。
もし強い衝撃で射放すなら、この糸がちぎれる虞れがあります。意図をもつもの、無理をするものには、その時天地の間隙が決定的となり、その人は天と地の間の救われない中間に取り残されるのです。」
「では私は何をすればよいのでしょう」 私は思案しながら尋ねた。
「あなたは正しく待つことを習得せねばなりません。」
「しかし、どのようにしてそれが習得されるのでしょうか。」
「意図なく引き絞った状態の外は、もはや何もあなたに残らないほど、あなた自身から離脱して、決定的にあなた自身とあなたのもの一切を捨て去ることによってです。」
「それでは私は、意図をもちながら意図のないように成らねばならぬ」と思わず私の口から漏れた。
「そんなことを今まで尋ねた弟子はありません。だから私は正しい答を知りません。」
「では何時この新しい稽古が始まるのですか。」
「時が熟すまでお待ちなさい。」