2005年 9月 の投稿一覧

ボディワークについて|ニュースレターNO.128

前回のニュースレターからはや2週間がたちました。平成スポーツトレーナー専門学校の授業は10月からなので、今は教員の研修をやっています。午前中は、レジスタンストレーニングの理論、午後はウォーミングアップや身体調整法の実践を繰り返しています。

これまでに知識として学んできたことを実践の中でどのように応用するか、またそのことをどのように指導すればよいのか、教員にとって一番大切なところです。何度も繰り返すことで、新しい情報を獲得できるだけでなく、これまでに勘違いしていたことなどが明確になります。

特にスポーツトレーナーを目指す学生にとっては、コンディショニングやリコンディショニングのなかで何らかの身体調整テクニックを習得する必要があります。それが最大の強みになるわけです。それを指導する教員の養成も私の努めであります。

身体調整テクニックの重要性から、これまで7月の終わりと8月の頭に朝から夕方まで4日間の特別講義を行ないました。それに参加した学生はかなり高いレベルのテクニックを身に付てくれました。通常の授業ではなかなか集中してできませんので、このような特別講義を開講しました。

引き続き、今月の終わりにまた4日間の特別講義を実施します。この特別講義を通して、学生が日々力を付けていることを見て非常に頼もしく思っています。外に出て、そのテクニックを指導できるところまで来ています。そして、参加した学生は、夏休みの中でいろんなところでトレーナー活動に出かけて技術を磨いておりました。

スポーツトレーナーに必須の身体調整テクニックとして、どんなテクニックを習得すればよいのか、大きな課題でありますが、平成スポーツトレーナー専門学校では、リンパドレナージュ、モビリゼーション、筋膜リリース、操体法、ストレッチング、PNFテクニック、イオン棒調整テクニックなど、いろんなテクニックを教えております。

それは個人によって何が適切であるか、個人に見合った、フィーリングにあったテクニックを見つけてもらうためです。もちろん、それらのテクニックを習得することで将来の独立も可能になるわけです。興味のある方は、一度授業を体験していただければと思います。

それで、今回のニュースレターでは、いくつかの身体調整テクニックとして使えるものについて紹介したいと思います。概略的なものですが、宝島編集部扁「ボディワーク・セラピー」JICC出版局(1992)からアレクサンダー・テクニーク、野口体操、フェルデンクライス・メソッド、ロルフィングについて、その考え方をまとめてみました。具体的な手段については関係著書などを調べられればわかると思います。

 

アレクサンダー・テクニーク

『わたしたちは毎日毎日を首をすくめて生きている。そんなことはない、といばっているつもりのひとでも、じつはそっくりかえることで首のうしろをやはり圧し縮めている。どちらにしろ、首が「ネック」になって、頭からの命令が体に行かないし、体からの情報が頭にとどかない。アレクサンダー・テクニークは首根っこの解放により、すべてを解放する。

F・M・アレクサンダーはオーストラリアの若い有望な俳優で、特にシェークスピア劇の朗唱を得意としていた。しかし致命的なことに声が出なくなり、どの医者にみてもらっても治らなかった。日常会話では声が出るのに、いざ“To be 、 or to not to be…”とやろうとすると声がでない-ということは、その瞬間に彼自身のなかで何かが起こるのだ。

それをつきとめれば、自分でなおすことができる、と彼はきめた。三面鏡でぐるりをとりかこみ、セリフをしゃべるときに自分が何をするか観察した。ようやくわかったことは、発話の瞬間に、自分が首のうしろをちぢめ、頭をうしろへひき、下へおしさげている、ということだった。その結果、声帯に無理がかかるのだった。

その反対に、首をらくにすれば、頭は上と前へ行き、よけいな緊張なしに、エネルギーがスムーズにながれる-あらゆる動作がやりやすくなる-という発見にいたり、これをひとにおしえはじめた。

1900年ごろに彼はロンドンにきて俳優たちにおしえはじめたが、そのうちに知識人や、身体障害をもつひとや、あらゆるひとたちが来た。首をらくにすれば、あとは自然に良い方向へむかうことがわかっても、わたしたちは首をあまりにもちぢめているので、ゆるめるということがわからない。

そこで先生が手つだって、ゆるめることの実感、そして上と前へいくとはどの方向かということを体にわからせることが必要になる。

アレクサンダーはオーストラリアのいなか出身で競馬がすきだったが、競馬のはしりかたを見ると、首から前へ前へと走っているのがわかる。手綱はゆるめておかなくてはならない。手綱を引くと止まる。わたしたちはたいてい自分で手綱をひきながら、自分をむち打って走らせているようなものだ。

生物学でもルドルフ・マグヌス(1926)やG・E・コグヒル(1929)の研究以来、運動は頭からはじまり下方へ、局部へつたわる、という全体的パターンが発見されている。』

 

操体法

『人が健康であるために必要な呼吸・飲食・運動・精神という4つの要素は、他人にかわってもらうことのできないことであり、自己の責任でバランスを整えなくてはならない。この4つのアンバランスがつづくと、日常生活における悪い姿勢や、職業的な姿勢の偏り、右利きなども影響して、ねじれ現象ともいえるゆがみができ、「気」「血」「体液」などの循行アンバランスや滞りが始まり、体の調子が狂いはじめることになる。

・・・

操体法では、ゆがみのないからだを「正体」、ゆがみのあるからだを「歪体」と呼んでいるが、ゆがみのないからだは、自然治癒力や免疫機能が正常で、病になりにくいからだである。また、こりや痛みなどの不定愁訴をはじめ、感覚異常や臓腑の機能異常の原因は、からだのゆがみにあると操体法では考えており、次に述べる段階を経て疾病にいたり、回復するという、操体法独特の疾病観をもっている。

①肩がこる、目が疲れる、足や腰がだるくて重いなどの症状があらわれたり治ったりする。こうした場合、本人はゆがみに気づかないが、上肢や下肢の運動機能に陰陽アンバランスが見られ、動きづらい機能ができている。これに疲労や無理などがかさなると、ゆがみはしだいに大きくなっていく。

②前記の症状に加えて、首や背のこり、足、ひざ、腰などの感覚異常が増えはじめ、運動機能の左右差は自分でもわかるようになり、からだは半健康状態へと進む。

③「歪体」を放置し、呼吸・飲食・運動・精神などのアンバランスをつづけていると、前記の感覚異常に加えて、五臓六腑の機能異常が始まる。たとえば、小腸の主機能である「清濁分別」が正しく行われないとか、食欲が減退するなど、臓腑の協調性に問題が生じる。しかし、現在の検査体制では病気ではないと診断されるケースが多く、からだは半病状態へと進むことになる。

④さらにゆがみが増大すると、下肢および上肢の運動機能の異常に加えて、肋軟骨や横隔膜の伸展、収縮機能が低下し、肺や心臓の機能異常、胃や腸の機能異常が進み、かぜが治りにくくなり、食欲がなくなり、下痢をしやすくなる。これらの症状が慢性化すると、潰瘍が広がって器質破壊へと進むことになる。

現在の医療体制では、この時点でやっと病名がついて治療法が決まり、局所療法が始まることになるが、機能異常の原因であるからだのゆがみは除かれないままなので、また別の臓腑の機能異常が起きることになる。

⑤健康状態を回復するには、まず、前述した自己責任努力の4つのバランスを整えることが重要である。なかでもからだにできたゆがみは、早く除く必要がある。ひとりでできる操体を毎日根気よく実行すべきで、できれば、夫婦や親子でゆがみを除きあう「2人操体」が望ましい。こり、痛みはもとより、健康回復を早めるとともに、人間関係をよくする効果もある。』

 

野口体操

『そもそも体操とは何か? ヨーロッパで発達した体操には、デンマーク式、ドイツ式など、さまざまなスタイルがある。野口氏によれば、当時、日本で採用されていたのはこのうち「スウェーデン式」と呼ばれるものだった。このスウェーデン体操は、分析科学の解剖学、生理学の考え方にもとづいてつくられていた。

「からだの各部分をバラバラに分解して考えている。死体、それもバラバラにされたからだなんて、こりゃもう形骸です」

と野口氏がみずから語るように、人間のからだを機械と考える人間機械論および還元主義的手法は、最近になってこそ、ようやく東洋的手法との両立が叫ばれてはいるものの、いまだ全世界を席巻している。もちろん、当時は、異論を唱える者など、皆無に等しかっただろう。そのせいか野口氏は、体操の教育要領を無視し、オリジナルな指導を始めた。

「群馬県で野口という教師が、低学年にすごいことをやらせている」 そんな評判が全国に広がるまでに、たいして時間はかからなかった。なにしろ、小学4年に、鉄棒の大車輪をやらせる、という破天荒な指導なのだ。

やがて時代は、日中戦争から第二次世界大戦へと進み、まもなく終戦を迎える。終戦時、東京体育専門学校の教官となっていた野口氏は、空襲で焼け野原となっていた東京の街を見て、ショックを受けた。

「人間や人間がつくったものは、全部壊されて、残ったのは大地だけだ。(中略)地球上のすべてのモノがなくなっても、大地にとってはたいしたことはない。人間の営みなんて、地球という自然にとってみたら、とるに足らないものだ、という実感であり、ひとつの宇宙観みたいなものが出てきたようです」

野口体操における、基本的信念の芽ばえである。が、しかし、戦争という時代の流れにどっぷりと浸かっていた野口氏は、しばし呆然自失の日々を送っていた。

「信じられるものといえば、自分のからだがあること、それだけだ。それで改めて、自分のからだを叩いてみたり、つねってみたり……」

「そうだ、これだけは信じられる。本当に信じられる、間違いがない、という気がしだしてきたときが、ぼくの戦後の再出発だった」

そこから、からだにとって気持ちのいいこと、あるいはからだのなかにあるさまざまな感覚への気づき、からだからの答えを求めて、野口体操の基本がつくられていったわけだ。なお、この過程では、サーカスや舞踏家など、生命を賭けて自分のからだとつきあっている人びととの交際から得たものが、尐なからずあったともいう。

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野口体操の特徴は、なかなかその実態がつかめない、という点にある。その理由としては、まず、どんなジャンルにもあるはずの、系統だったマニュアルがないという点があげられる。もちろん、体操の種類はいくつもあるが、どれが初級でどれが上級という区別や、1日に何回、あるいは1回何分といった最低限に思える制約さえ、いっさいないのだ。

野口氏にいわせれば、「最初の運動はこうで、次はこれで、1、2、3、4、と何回やって、1日に何分、1週間に何回やれば効果がある。そんな考えは一見わかりやすいけれど、ぼくの体操の考えとは違う」のだという。

この、時間が長かろうが短かろうが、そんなことはどうでもいい、という言葉は、逆をいえばひとつの体操のなかに、あらゆる必要な要素が含まれているんだぞ、という自信の現れでもある。大自然にはすべてがある。そして人間も自然の一部である以上、人間のからだのなかにも、あらゆるものがすべて入っているはずだ。

ならば、たったひとつの運動でも、あらゆる答えが含まれているはずである。唯一の問題は、からだを「まるごと全体」使ってやることだろう。そうすれば、体操をやるたびに、毎回、必ず、何か新しい発見もある。からだが自分から教えてくれるのだ。』

 

フェルデンクライス・メソッド

『フェルデンクライス・メソッドの根本は、人間が生まれてから成長する課程で体験する学習プロセスを再体験させることで、ゆがめられた習得物を解体して再構成することにある。その際、神経系の機能に直接はたらきかける方法がとられる。からだを動かすことにより変化する身体感覚に気づくことが、その手がかりとなる。

動きはそれ自体が目的ではなく、気づき(Awareness)を呼び起こすための手段にすぎない。だから、その際用いられる動きは、独特の要件を満たすことが求められる。フェルデンクライスのメソッドが「動きによる気づき」と名づけられているように、レッスンの目的はあくまでも気づきにあるのである。からだの動きは自分自身を映す鏡であるが、そこに映るものを自身の内側からの感覚でとらえかえさなくてはならない。

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最初のうちレッスンは、ほとんど仰臥の姿勢で行われる。人間が直立するということは、重力に抗して姿勢を保持することである。人が成長をするということは、(抗)重力体験を積みかさねることであるが、社会的な規制のもとに長年それをつづけると、同種の動きをくりかえす結果、筋肉は習慣的な運動パターン、つまり癖を習得してしまう。

癖を個性ととり違える錯誤が横行しているが、個性というものは、癖という習慣的パターンを解体して有機的な自然を再発見したときにはじめて開花するもののことである。

仰臥した場合、直立姿勢では無意識のうちに使用している抗重力性の筋肉を不必要な緊張から解放することがよりたやすくなる。したがって、その姿勢で動きを行えば、不必要な筋肉のはたらきと必要な筋肉の有機的な再組織に気づくことができるようになる。すると、エネルギーの使い方は改善され、全身の動きは自然なものに変わってくる。

そのような身体感覚の目覚めによって、直立した場合にも動きは自然に改善されてくる。

動きのさまざまな癖は、中枢神経系のゆがんだ運動パターンの反映である。このメソッドの本質は、そのパターンを変化させること、脳の運動皮質と筋肉組織の連絡回路を再組織することにあり、悪い習慣や慢性的緊張、身体的外傷によって短絡したりゆがんだり断絶したりしている神経回路を修復し活性化することをめざす。

そうすれば、神経系は自然なバランスを回復し、誰しも生まれながらにもっていた無限の可能性を再発見することができるのである。

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このレッスンの本質的な側面は、その進め方にある。体操やダンスなどにしてもそうだが、通常のからだの訓練では、教えるものがまず模範を示し、学ぶものはそれを模倣することによって行われる。しかし、このメソッドでは教えるものはいっさいの模範を示さない。

動きの説明は言葉によってなされるだけである。学ぶものは指示に従って試行錯誤をくりかえしながら、自分で動きを発見していかなくてはならない。これによって、いくつかの動き方のなかから自由な選択をしながら、各自が固有の能力に沿って進んでいくという自然な学習過程が展開される。』

 

ロルフィング

『ロルフはこう述べている。「筋膜が姿勢を形づくっている器官である。このことをいったものは誰もいない」 われわれが身体構造を考えると、まず硬くしっかりした骨格を思い描くであろう。しかし、それをひとつの動的構造としてまとめあげている組成器官は、伸縮性と可塑性に富んだ筋膜なのである。

ロルフィングの最大の特徴は、筋膜にはたらきかけることである。筋膜とは骨・内臓・神経・筋肉などをくるみこんで保護し、それぞれの位置に支えている伸縮性に富んだ網状の組織である。筋膜は状況に適応しようとするとき、収縮と密着という形をとる。

たとえば、腕が本来の関節の許容量まで後ろに回せない場合、その動きに関連のある筋肉を包む筋膜が硬くなり、筋肉が十分伸縮できなかったり、時には筋膜どうしがぴったりくっついてしまい、連動すべきいくつかの筋肉が動かないといった状況がある。ロルファーは手技によって筋膜をやわらかい状態へと復元し、筋肉、腱、靱帯、骨格などの解剖学的に適正な位置と機能をとりもどすのである。

現在、圧力によって細胞がかたまったジェル状態から、流動的なゾル状態に変わることは知られているが、自分のからだのなかの硬いものが人の手の下で溶けていくのを感じるのは不思議で深い体験である。からだがこんなにも早く変わる、やわらかい存在であることにも驚かされる。

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ロルフィングのもうひとつの特徴は、重力に対してからだ全体のバランスをとることである。もしからだの一部のバランスがくずれると、重力に対する力学的作用でそれを補う方向に力がかかる。それが次々に波及して、からだ全体のバランスがくずれてしまう。それゆえバランスのとれた構造に再統合する場合、問題のある部分にはたらきかけるだけでは十分ではなく、10回のセッションを通じてからだ全体にはたらきかける必要がある。

そのことによってからだがひとつのシステムとして、よりエネルギーに満ち回復力に富んだものになることをめざしている。生物学的にみれば、人間とは直立二足歩行をする種である。しかし、それはまだ達成されたわけではなく、そこに向かう途上といってよいであろう。

ロルフは考えすぎなのかもしれないが、と断って、「人間の攻撃性とその奥にひそむ恐怖の根源になっているもののひとつは、環境重力の場に対して無意識に感じている、絶え間のない不安なのではないだろうか」と語っている。』

2005夏を振り返って|ニュースレターNO.127

もう9月になってしまいました。今年の夏は三重での勉強会、久留米での勉強会、北海道でのUHPCクリニックと、外での活動はこれだけでした。しかし、来訪者も多く、いろんな方とお会いすることができ、私にとっても貴重な夏休みであったように思います。

近頃は、お会いする方々と話が弾むと、平成スポーツトレーナー専門学校の夢ばかりを語っているようです。まだ私自身2年目なのですが、ようやく足元が固まり、それに似合った学生を集める段になりました。こんな人たちに来てくれたらどこにも負けない教育をして、立派に独立できるようにします、と言い続けています。

それだけの準備ができたという自信もありますし、そのように言い続けることによって自分の夢をかなえようとしているのでしょう。

事実、平成スポーツトレーナー専門学校を尋ねていただいた方々には、そのことを納得していただいています。とにかく、現場を見ていただくことが一番です。どこにも負けないカリキュラムと教育体制が自慢です。また、編入制度も整え、専門学校や体育系の大学を卒業された方に、2年間ではなく、1年間で自分が必要と思う講義を自分で選択してもらえるようにしました。まさに、良いところ取りです。

もっと突っ込めば、上記の卒業者は、丸1年間受ける必要もないと思います。前期だけで、1・2年生のカリキュラムから自由に選択し、それでOKと思えばそれ以上受講の必要もなくなるでしょう。基本は、その人にとって一番特になることをしてくれたら、ということです。

大学や他の専門学校では絶対学べない将来独立できる技術・テクニック・手技をぜひ学んでいただけたらと思います。本学の入学に関していろんな相談も受けますので、遠慮なくお尋ねください。意欲・夢を御持ちのかたがたが集まっていただけることを期待しております。

さて、今回は私が夏休み期間に購入した図書の中から、すべてではありませんが目を通したものを紹介したいと思います。そのリストは次のようなものです。

「野口体操 感覚こそ力」 羽鳥 操 春秋社 2002
「野口体操 ことばに貞く」 野口三千三語録 羽鳥 操 春秋社 2004
「野口体操 おもさに貞く」 野口三千三 柏樹社 1999
「野口体操 からだに貞く」 野口三千三 春秋社 2002
「野口体操 野口三千三+養老孟司」 野口三千三、養老孟司、羽鳥 操 春秋社 2004
「野口体操入門 からだからのメッセージ」 羽鳥 操 岩波アクティブ新書 2003
「原初生命体としての人間」 野口三千三 岩波書店 1996
「操体法 「ひずみ」を正せば体が治る」 佐藤 武、池田克紀 家の光教会 2000
「コアビリティトレーニング超走」 山下哲弘 ベースボール・マガジン社 2005
「筋膜リリース:神経発達学的治療への応用」 古澤正道、中徹共訳 協同医学出版社 1998
「整体法 からだの自然を取り戻せ!」 井本邦昭 三樹書房 1999
「構造医学 自然治癒のカギは重力にある」 吉田勤持 エンタプライズ 1999
「身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生」 斉藤 孝 日本放送出版協会 2002
「センター・体軸・正中線」 高岡英夫 ベースボール・マガジン社 2005/08/30
「Tarzan特別編集 100m末績慎吾」 マガジンハウス 2005
「身体の文学史」 養老孟司 新潮文庫 2001
「自分の頭と身体で考える」 養老孟司、甲野義紀 PHP研究所 2004
「ゆる」身体・脳革命 不可能を可能に変える27の実証 高岡英夫 講談社+α新書 2005
「整体入門」野口晴哉 筑摩書房2005
「ボディワーク入門―ロルフィングに親しむ103のテクニック」 小川 隆之他 朱鷺書房 2005

この夏休みは、特に身体調整ということをテーマにいろいろ調べてみました。ホームページからもいろんな情報がえられました。それら全体を見ていく中で共通している事があります。それは『重力』というキーワードです。

我々は地球上にいることから、重力に対していつも抵抗したり、緊張して生活しているということです。その抵抗因子である「重力」といかに仲良くするかということが、からだに、また局所にストレスや緊張をためないことになるということです。いわゆる『自然体』が理想ということになるのでしょう。

その自然体を取り戻す方法としていろんな考え方があり、いろんな方法があるということです。野口体操、野口整体、整体法、操体法といわれるものは、自ら体を動かして緊張を取り去ろうというものです。

骨格構造の修正ということになるのでしょうか。また、筋膜リリース、筋膜マッサージ、ロルフィング、またSIテクニックと呼ばれるストラクチュラル・インテグレーションという方法もありますが、これは身体の結合組織である筋膜にアプローチするものです。その考え方は身体の形を形成しているのが筋膜であり、筋膜が緊張やストレスを受けていると短縮したり変形してしまうということにあります。

上記の方法は、いずれも効果があります。非常に興味深いものばかりです。私も自ら体を動かすことで緊張がどんどん取れてきています。今までは、立っているときにも脚の筋肉の緊張を感じていたのですが、最近では脚の筋肉の緊張を感じることはなく、骨で支えて立っているように感じます。

その分、筋肉が膨らみ、脚が太く見えるようになりました。また、背部や腰部の緊張も取れ、身体そのものも軽くなってきました。本当に、重力に逆らわないこと、重力をうまく活用すること、それによって身体のバランスがよくなるだけでなく、スポーツパフォーマンスにもよい成果がもたらされます。これまで言ってきた「楽にやりなさい」ということにますます拍車がかかりそうです。

今回は、筋膜を見直すということで、非常に参考になるRegi Boehme著「筋膜リリース神経発達学的治療への応用」共動医書 1998の中から、ポイントになるところをピックアップして紹介します。

『一般に膜組織は身体の各部位を適切な位置に保ち、支えておく機能をもっている。膜組織は組織内で細胞を結びつけると同時に、器官を形成するために特殊な組織を結合させる役割もある。膜組織は神経とともに器官や血管を支持し、代謝の輸送の援助もしている。

筋肉は、不規則な格子の形状に編まれた筋膜に包まれている。筋肉は、筋膜が平行な方向に密に編まれた組織である腱を通じて骨に付着している。骨と骨は、関節を構造的に安定させる特別な組織の靱帯で連結されている。

筋膜組織には、有効に機能していない身体の部位を補足的に支える働きがある。姿勢のうえでストレスを生じやすい部位では、筋膜は短縮して互いにつながりあってしまう。したがって筋膜は姿勢と運動に大きな影響を与える。』

『筋膜はコラーゲン(膠原質)から成る。コラーゲンには組織に強度を与え、形状をつくる役割がある。エラスティン(弾性素)には筋膜に形状を保つ役割と、粘弾性を与える役割がある。コラーゲンの分子は、線維芽細胞内でつくられる蛋白質のゆるやかな鎖として始まる。

1つの蛋白質の鎖は左方向へ回旋した螺旋構造となっているが、他の2つの鎖と接続するまで線維芽細胞内で浮遊している。3つの鎖は並び、右方向へ互いに螺旋状に巻きあって、結果として構造的に強さを増していく(Juhan1987)。この三重の螺旋構造がコラーゲンの1分子となる。

コラーゲンは線維芽細胞の外へ出ると、損傷や感染やストレスのある部位に細胞間物質のリンパを通して移動する。このリンパは生卵の白身のような粘りをもつゲル状の液体である。コラーゲンは筋線維間の摩擦を減少させ、筋肉の運動を容易にする。コラーゲンは煉瓦(レンガ)の壁のように寄り集まり、重なり合い、横から横へと結合していく。コラーゲン分子どうしは水素結合し、丈夫で安定した構造となる。

線維芽細胞は身体のどの部分にも移動する能力をもっている。線維芽細胞は局所の状態に応じて化学的変化をおこし、身体からの要求に応じて特殊な組織形態をつくる(Juban1987)。瘢痕組織は線維芽細胞によってつくられる新しいコラーゲンである。

コラーゲン分子の結合様式は、線維芽細胞によってつくられる細胞間物質の局所の性質によって規定される。細胞間物質の粘稠度または密度は、高濃度から低濃度まで変化する。細胞間物質の濃度が高ければより厚みが増し、柔軟性に乏しい筋膜となる。』

『膜組織は全身に連なっている。この膜の連なりは、次のような身体内ネットワークとして考えられる。

1.頭部からつま先までの全身に連続する鞘状構造とそのネットワーク
2.表層から深層に至るまで連続するネットワーク
3.肉眼的レベルから微細なレベルまでの連続したネットワーク

したがって膜組織は区分されたものでなく、また構造的にも分割されたものではない。その意味で膜組織は単一組織であるが、部位によって組織の密度や役割は異なっている。

以下に膜組織のいくつかのタイプを紹介する。

漿膜は体腔に添うように存在し、器官を包んでいる。同様に漿膜は血管や神経を包んでいる。漿膜では体液に対する線維数の比率は低く、柔らかく弾力性のある性質となっている。脳室腹腔(V-P)シャントや胃チューブを支える組織はこのタイプの膜組織である。動きを得るために腹部を緊張させ固定に使おうとすることがある。このとき漿膜は短縮され、またかなり可動性を失ってしまい、腸や直腸に圧迫が与えられてしまう。

2つめのタイプは皮膚のすぐ下にある表層の膜組織である。これは漿膜よりも体液に対する線維成分の比は大きく、あらゆる方向に大きな可動性をつくるため、ゆるく不規則な格子状に並んだ形態をとっている。

長期にわたり痙性の影響をうけると表層の膜組織は可動性を失い、皮膚は光沢をもち張りつめた状態になってしまう。これはとくに痙性のある手の母指の指間腔、肘屈筋の表面、痙直型両麻痺児の股関節内転筋の表面で観察される。また痙直型四肢麻痺児や片麻痺児の頚部や腋窩にもみられる。

深層の膜組織は体液中の線維成分の比率が高く、より密な編み方となっている。この膜組織の線維は不規則に配列しているので、加わる力に応じて線維の配列を変える。筋肉はこの深層の膜組織の中にある。健康な状態ではこの膜組織は柔軟でしなやかで、筋肉を効率よく収縮させたり伸張させたりする。

同じ深層の膜組織でもさらに密な形態となった膜組織は、筋肉と筋肉を分ける仕切りの役割をする。この膜組織は局所では筋鞘をつくり、体幹や四肢ではそれらを包み込む。この膜組織は高い密度で整然と平行な状態で並び、腱や靱帯をつくる。もっとも深層の膜組織は中枢神経を包んで支える硬膜の管をつくる。』

『望ましくない膜組織どうしの癒着は、炎症、傷害、姿勢へのストレスを生じさせ、最終可動域までの全自動運動を妨げる。このような状況のもとで、ある姿勢で身体を支えようとすると筋膜には短縮がおこり、さらに骨格の非対称パターンの中で膜組織は隣接の組織と癒着してしまう。

本来機能的に分かれて存在していた構造物どうしが癒着すると、双方の自由に滑り合う能力が損なわれてしまう(Rolf1977)。癒着が進むにつれて、個々の筋肉の活動は妨げられてくる。肩甲帯の場合、僧帽筋と菱形筋が胸郭や脊柱に癒着するだけでなく、双方の筋肉どうしも癒着しやすくなる。

これらの筋膜の癒着は肩甲帯の上方および下方回旋を妨げ、リーチの幅を制限し、姿勢コントロールを非能率的にする。殿筋とハムストリングは互いに癒着しやすく、股関節の分離した運動を妨げる。横隔膜と腹直筋が癒着すると、呼吸運動を円滑にすることができなくなり、呼吸機能は低下する。

この部位での短縮が著明な場合は、脊柱の伸展運動を妨げる。神経学的損傷をうけた患者では、癒着により二次的に姿勢緊張の不均衡が生じる。

望ましくない癒着は組織内に蓄積物を過度につくる。関節周囲では厚く結合組織が巻きついた状態になり、筋腹では堅い線維性の索や嚢包をともなって線維性の腫脹が生じる。線維性の索は腰部伸筋群や股内転筋周囲の軟部組織内によくみられる。

筋膜内のこれらの制限因子は筋活動を低下させ、非効率的なアライメントで骨格を支え、運動学的に骨に対する筋肉の牽引の角度を変えてしまう。結合組織の過度な癒着は痙性が存在している部位と関係している。癒着はその中心となる部分から近接の組織へと広がっていく。

全身的に弛緩した症例や、弛緩した四肢、そしてポリオの症例にも誤った筋活動が共通してみられる。筋膜の短縮は、関節周囲での筋肉の協調した活動の欠如によっておこる。たとえば股関節筋群の活動が乏しいときに立位で股関節外転筋を機能させていくことは困難であるので、大腿筋膜張筋に吊り下がり寄りかかるかのような立位姿勢をとる。

筋膜の短縮は大腿筋膜張筋にかかるストレスによって悪化する。この短縮は筋線維の滑動性を減弱させ、すでに制限されている股関節外転筋の活動をいっそう妨げる。短縮は筋肉が大腿骨に癒着するように進行する。このように筋活動の乏しさが明白なときには、筋線維の滑動性を増加させるために、筋膜リリースを使用する。そうすれば筋活動を改善することができる。』