2005年 2月 の投稿一覧

身体操作とは|ニュースレターNO.113

平成スポーツトレーナー専門学校も今週の27日の日曜日と、3月20日の入試を残すのみとなりました。意欲ある学生が少しずつ集まってくれています。嬉しいことです。

先般判明したことなのですが、学則を変更するために学則を読み直していると、「転入」が可能であるということがわかりました。すなわち、途中から本学に転入できるということです。ということは、他の専門学校で1年勉強してきてわたしの学校に2年生に転入できるということです。

通算、2年間で卒業できるということです。細かなことはいろいろ出てくるでしょうが、わたしの学校にきていただけるチャンスが拡大したということです。興味のある方は、学校のほうにお問い合わせください。

今年から、カリキュラムも大幅に変更になり、身になる授業がたくさんあります。内容につきましては、今月号のトレーニングジャーナルをご覧下さい。平成スポーツトレーナー専門学校について詳しく紹介いただいております。

さて、今回のニュースレターでは、栢野(カヤノ)忠夫著「動く骨(コツ)」(スキージャーナル2005)から興味深いところを紹介したいと思います。内容は、身体操作について書かれているのですが、説明文の言葉がむつかしいのでストレートに理解することは難しいと思われますが、そこに紹介されているイラストと写真を見て想像するだけでも参考になると思います。身体のリラクゼーションに使えると共に、高岡英夫氏の(ゆる)に通じると思います。

まず、著者の経歴を見ますと、次のように書かれています。

運動脳力開発研究所所長。1964年岡山県生まれ。国立大分工業高等専門学校を1985年に卒業し、トヨタ自動車(株)に入社。自動車用樹脂部品(バンパー・インパネ・グリルなどの射出成型金型)の企画・構想一設計・開発・生産準備に従事する。1999年7目同社を退社し、翌年、運動脳力開発研究所を愛知県豊田市に開所。

運動脳力開発ツールとして次世代型の射撃システムであるデジタルスポーツシューティングを2003年に導入し、(社)日本ライフル射撃協会より参事を委嘱されている。

また、氏が運営する運動脳力開発研究所は、「身体操作感覚機能の低下によって、筋肉の運動性が低下し、関節周辺の動きを硬くし、血行が悪くなって身体の不調・障害・疾病にもつながってくるため、これらの根源解決のために、運動脳力開発に取り組んでいる」そうです。

能力の「能」は脳の「脳」です。脳を刺激し、感覚能力を開発するということのようです。

『「動」という字は、「重」「力」と書きます。これは「重力によって動く」ということを意味しているのではないでしょうか。「重力によって動く」とは「重力を感じて動いている」ということで、「重力を感じて動いている」ということは「過度な緊張が起きていない状態で動いている」ということになります。

よって身体操作とは、重力を利用して移動したり物を動かしたりするための創意工夫が個々の特性(身体操作の性格・性質)によってなされている状態だといえます。

機械が発明される以前、力仕事は人力で行われていました。そこで、重い物を持ち上げる時には「少しでも軽く持ち上げよう」、また移動する際には「なるべく楽に遠くまで移動できるように」という術を身体操作の創意工夫によって改善していたように思えます。

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動物である人間の身体はこの偏った状態・状況に不自然を感じて、動物の主要素である動きという技が低下することによって、技と相関する心と体にもあらゆる歪みが生じてきているのではないでしょうか。

この身体を動かす基盤づくりとして、多くの人が取り組んでいるウエイトトレーニングは、バーベルやダンベルなどのウエイト(錘)を持ち上げることで筋肉を鍛えるものであり、これは地球という自然が与える重力に打ち勝つ身体をつくることを目的にしているようにも見受けられますが、「働く」とは、自然と敵対せず共生する身体操作によって芸術的かつ効率的に体現されてくるものだと私は考えています。

効率的に事を処理する「働き」という意識は、和洋を問わず人間であれば根底に潜んでいる意識と思われます。推薦文を書いていただいたルカ氏は、ダンスのティーチングの際に「motion」と「movement」の違いを生徒さんに明確にしてもらっているようですが、これは「動く」と「働く」の違いと似ているように感じられます。

ただ形を追い求めて外見を取り繕って「動く(motion)」のではなく、効率的に身体内を操り、事を処理した結果として「働き(movement)」となって動作が現れてくるということであり、人が動くということは「あらゆる要素が内在して表面化している」ということではないかと私は感じています。』

『「カラダ」は旧字体で體と書きます。これは「骨の操作感覚が豊か」と読み取ることができます。先ほどの「重力を味方に付けて動く」という内容と合わせて見ていくと、身体を動かすために筋肉ではなく骨が重要であることに気づきます。

筋肉の存在意義はなんでしょうか?それは、理想的に巧みになせるように骨格を操ることと考えることができます。ということは、骨格構造の意義を充分に発揮できる骨格操作を筋肉に感じ取らせるトレーニングによって「骨の操作感覚が豊か」な體(カラダ)となっていくのです。

トレーニングとは筋力を高めるためなのか?骨格を理想的に操れるようになるためなのか?今度、現在行っているトレーニングに対する意識と手法を自己チェックしてみてください。

このような身体操作感覚を言い換えると、骨格が筋肉を運んでいるとも表現できます。この運ばれる側の筋肉(骨格筋)が、効率的に運んでもらえるように骨格を働かせる状態が理想といえます。

私たちの身体は筋肉の収縮と弛緩によって骨格を操って動いています。骨格には動力源がないため、筋肉が身体を動かす動力源であることは明確ですが、前述したように身体操作意識の違いによって身体操作感覚は大きく変わってきます。

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筋力トレーニングにおいて、ダンベルなどのフリーウエイトを持ち、肘の曲げ伸ばし動作で力こぶ(上腕二頭筋)を太くするアームカールというトレーニングがあります。この基本的な動作は、肘、肩の位置を固定してダンベルを上げ下げする動作で、起立して肘の曲げ伸ばしを行うとダンベルは脚の付け根あたりから肩の高さまでを上下します。

筋肉を主とした操作(筋肉操作)では肘、肩の位置を固定し、力こぶの筋肉(上腕二頭筋)の収縮(短縮性収縮)によって持ち上げて、伸張(伸張性収縮)によって下ろすという運動を行います。そのため腕は肘を支点として、ダンベルは身体から遠ざかる半円を描くように持ち上げられます。

この動作を、骨格を主とした操作(骨格操作)で行うとどうなるでしょうか。肘や肩の関節を固定せずにダンベルの上下移動を行うことになります。

持ち上げ方のイメージとしては、力こぶの筋肉(上腕二頭筋)を縮めるのではなく、その裏側の筋肉(上腕三頭筋)を伸ばす感覚でダンベルを上げると、ダンベルと肘が入れ替わるようにダンベルが身体の近くを直線的に通って、垂直方向に軽く上がってくる感覚が得られます。・・・・この時に、腕のみでなく全身が同時に作用する感覚を得られた方も多いと思います。これが骨格操作の感覚です。

このように骨格操作では腕だけが動くのではなく、全身(全骨格)が腕の動きに連携します。理想的に操作できてくると、表層部の筋肉に大きな緊張は起こらなくなってきますので、表層部のどこの筋肉がどう働いたという説明は難しくなってきます。

言えることは、筋肉操作ではある特定の筋肉を縮める(緊張させる)操作をするため支点が必要となり、この状態で連続的な複合動作を行うと直線的で「1・2・3」と支点を移しながら緊張のバトンタッチをするような、要素が潜んだ動きになってしまいます。

このように筋力トレーニングで部分的に筋肉が作用する癖を付けてしまうと、動作の中で支点を作って部分的に緊張させる動きとなったり、動く前に「行くぞ」「動くぞ」と力み構えるという、動作の流れがスムーズでない滞った動作に陥ってしまいます。

動作とは、ある環境を感知して筋肉動員の連携体制を取り(反射)、重力を昧方に付けたアンバランスな状態で滞ることなく流れるように(循環)、それぞれの場面でバランスを確保しながら(平衡)アンバランスにバランス良く動く(釣り合い動く)という「反射・循環・平衡」の三要素によってなされると考えています。

このような円滑な身体操作を体現するのが骨格操作であり、この円滑とは「骨格が水の流れの如く円を描き出す様子」とも表現できます。後に説明しますが、骨格操作は円(球体)が描き出されるように操るところにポイントがあり、円を描き出す骨格システムの操作法が体幹内操作なのです。

筋肉操作に話を戻すと、筋肉が働く場合には必ず縮む(緊張する)主動筋と伸びる(弛緩する)拮抗筋がありますが、これは筋肉を働かせたり(ON)休ませたり(OFF)という筋肉のON・OFF切り返し操作を行っています。

この見方でアームカールを検証すると、上腕二頭筋の短縮性収縮(筋肉が縮みながら緊張する状態)でダンベルを上げて伸張性収縮(筋肉が伸びながら緊張する状態)でダンベルを下ろしているため上腕二頭筋は常にON(緊張)状態で、上腕三頭筋は常にOFF(弛緩)状態の部分動作です。

その結果、筋肉操作によるアームカールのトレーニングによって、上腕二頭筋という部分的な筋肉が太くなっていくのです。

ところが骨格操作では、総合的に骨格構造を働かせてダンベルの上げ下ろしがなされるため、ダンベルが軽く感じられて回数を重ねても疲労の蓄積が少ないことに気づきます。ということは、骨格操作では部分的ではなく総合的な筋肉(表層部および深層部の骨格筋)のON・OFF切り返し作用がスムーズに行われているといえます。

よって同じ質量のダンベルなのに軽く感じるのであり、言い換えると、筋肉操作では本来身体が感じ取る質量感より重く感じていたといえるのです。

一流のアスリートは、この総合的な筋肉のON・OFF切り返し作用がスムーズで、特にOFF側の筋肉がしっかりと弛緩していることが感じられます。実際、海外の陸上競技のトップアスリートを測定したところ、弛緩すべき時にしっかりと弛緩させるように筋肉が働いているという報告があります。

このOFF側をしっかりとOFFにしきれず緊張が残った状態の選手は競技力の向上にブレーキをかけてしまっています。

この状態は、ブレーキペダルに足を置いたままブレーキが解除しきれていない状態でアクセルを踏んでいる状況に例えられます。このように中途半端にOFFさせていると、伸張性収縮の要素が内在してくるために動きに滞りが生じて、筋肉痛・疲労・コリが出やすくなってきます。

このようにトップアスリートは当たり前のように全身の筋肉を巧みに操っているのです。その巧さのポイントは深層部の筋肉操作にあります。しかし、深層部の筋肉は表層部の筋肉と異なり、意識して動かすことが困難です。ここで、さらに深層部の骨格を意識して身体操作を行うという発想に至ったのです。』

『筋肉操作と骨格操作という2つのアームカールを「見て」「行って」、明らかに動きの感覚が違うことが多少なりとも感じ取っていただけたことでしょう。

筋肉操作では、筋肉のパワーを高めることを目的としている筋力トレーニング(筋トレ)であるため、ダンベルという負荷(錘)を上腕二頭筋の収縮によって上下させて筋肉を肥大させ、筋肉の断面積の拡大を図ります(筋肉の断面積が筋肉のパワーと比例するといわれています)。

それに対して骨格操作によるウエイト(自重を含む)を用いたトレーニングは、重力と重心を感じ取って骨格が動きやすい道筋に沿って筋肉を動員することを目的としているため、末端に負荷をかけた状態でも手先操作にならないように、総合的かつ効率的に骨格を作用させるべく、筋肉の動員体制を再編成して、事をなす働きへと促していくためのトレーニングとなります。

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このように、骨格が動きたい方向と筋肉が動かそうとする方向の不整合が、「力み=滞り」の原因なのです。骨格構造を理解して、骨格が行きたい方向に導くように筋肉が後押しすれば、身体はもっと楽に動くことができます。滞りとは動作のブレーキに対抗する作用で、骨格操作感覚が高まることによってブレーキが外されて、徐々に滞りなく円滑な働きとなってくるのです。

大抵の場合、力みには気づいていますが力みの原因には気がついていないため、ブレーキに対抗する力を高めることが動作の質を高めると勘違いしているように見受けられます。

確かにこのようなトレーニングは「やった気」になりますが、試合などで良い結果が出せたときは「やった気」がしなかったという感覚を覚えるものです。したがって「やった気」がするトレーニングは動きの質の向上とは違う方向に歩んでいるのです。

トレーニングの結果として、ブレーキをかけたままアクセルを踏むという非効率なエネルギーの使い方に陥っている方を多く見受けます。この状態だと、ますます筋力にまかせて骨格を強引に振り回そうとするため、最後には「滞り」の蓄積によって身体が悲鳴を上げて、筋肉や関節の故障や傷害に至ってしまいます。「滞り(力み)」は動きの問題発生を知らせる信号なのです。
・・・』

ここでは、部分的な身体の使い方しか説明されていませんが、スムーズに楽に動かすことの必要性を説いています。本文にあるイラストや写真を紹介できないので、どのような身体操作をするのかわからないと思いますが、簡単にいえば、頭部、体幹、骨盤、足部をそれぞれ球体として、4つ積み重ねられた状態と考えます。

その4つの球体は、球体ですが、前から見ても横から見てもたすきがけのベルトがかけられた状態でつながっています。そのどこかの球体が前方や側方に回転すると、バランスをとるためにその球体の上下にある球体は逆方向に回転するように動きます。この動きの関係が、からだの連動を現しているということです。

実際に本を見ていただければイメージできると思いますが、そのような連動した動きを繰り返すことによって、「ゆる」と同様のリラクゼーション効果が得られます。

わたしも実際にやってみましたが、肩甲骨の動きがよくなり、左右の肩甲骨が離れた感覚があります。一度に4つの球体を動かすことはすぐにできないので、2つ、3つの球体でイメージしながらやってみることです。4つの球体をスムーズに動かすことができるようになれば、リラックスしたスムーズな動きができると思います。

ぜひ、一度トライしてみてください。文章を読んで理解しようとすると難しいと思われますので、イラストと写真をよく見てイメージしてみてください。

呼吸について|ニュースレターNO.112

今回のニュースレターでは、呼吸について取り上げました。わたしは学生時代陸上競技の長距離をやっていて、現在週に1~2回ジョギングをしております。そのとき心がけていたことが呼吸によるリズムです。ゆっくり走るときは、「吸う、吸う、吐く」少し速くなると「吸う、吐く」のリズムです。

しかし、走り出したときは、そのような呼吸リズムはなく、途中で気づくことがほとんどです。また終板になれば思い出したように呼吸リズムを整えるといった状況でした。呼吸のリズムで走ると考えていたのですが、そのことが結構つらいものであったことも事実です。

ところが、昨年の暮に読んだ本(「ナンバのコーチング論」織田淳太郎 光文社新書2004)のなかに次のような文章を見つけました。

『小森のコメントー。
「呼吸には外呼吸と内呼吸の2種類ある。外呼吸というのは肺で二酸化炭素を出して、酸素を吸収するというもので、われわれは通常これを呼吸だと思っています。

一方、内呼吸とは身体の中で赤血球が運んできた酸素が炭水化物を燃焼させ、それによってエネルギーを得るということを指します。

で、走るときはどうしても、”ハッ、ハッ、ハッ”という呼吸になりがちですね。なぜ、こんな呼吸になるかと言うと、腕を前後に振るからです。

 

つまり、身体を捻じり戻す左右交差型の走りになり、その結果、身体に瞬間的なブレーキがかかってしまう。このときに呼吸を合わせやすくなり、外呼吸が影響を受けるわけですね。逆に言うと、”ハッ、ハッ、ハッ”というのは呼吸を止めていることになり、だから動きも止まるということになります。

電車に乗り遅れそうになって、駅の階段をダッシュで下りることがありますよね。そのとき、”ハッ、ハッ”と下りる人は、ほとんどいないはずです。

重力に引っ張られた動きだから、身体も息も止めるわけにはいかない。どちらかというと、内呼吸が働いていることになります。それで、電車に乗ってから初めて、”ハア、ハア”と息をする。身体を止めるから、息もそれに合わせて”ハア、ハア”と止まっているんですよ。

だから、理想的な走りとは、階段を走って下りるように重力を利用したものです。身体の中で腕を振るようにバランスをとるナンバ的な走りというのは、呼吸が合わせにくいし、身体が止まる瞬間もない。

 

つまり、息も吸っているか、吐いているか分からないという状態がベストということになります。無意識な呼吸のほうが、効果的なパフォーマンスを生み出すんですよ。』

これを読んでなるほどと思いました。それで、ここに出てきた小森氏の文献を探していたら前に紹介した「ナンバの効用-整体動作がカラダを変える 徳間書店 2004」にたどり着きました。この本の第5章に「呼吸を考える」というところがあります。非常に参考になるところでので、紹介したいと思います。

『「活体」(目的にかなう姿勢で、できるだけ楽に立ち、自然な状態をつくる。この状態は、刺激があった瞬間、即座にギアが入って飛び出すような状態をいうようです)になると「呼吸」が意識できなくなります。

 

「呼吸」は不思議なもので、意識したとたん、ふだん「自然に」できているはずのものが「不自然に」なってしまいます。たとえば「自分は1分間に何回、呼吸をしているのだろうか」などと回数を数えようとしただけで、ふだんおこなっているのとは全然ちがう「呼吸」になってしまって、何も意識していない状態での「呼吸」の回数などわからなくなってしまいます。

 

そして回数を数えようということを忘れたときから、また「自然な呼吸」にもどっています。

だから「自然な呼吸」を手に入れようと思ったら、「呼吸」を考えないことがいちばんです。「意識しない」ことが「自然」だということを理解するうえで、もっともわかりやすいのが「呼吸」だということかもしれません。

「活体」になると、自分がいつ吸って、いつ吐いているのかがわからなくなります。ただ「呼気」と「吸気」が切れめなく、どこまでもつながっているような感じがします。

このような「呼吸」は、われわれがふだんの生活のなかで経験することができないものでしょうか。ただ、「意識していない」状態でやっていることが多く、気がついていないだけかもしれません。

「意識」しても「活体」でおこなうのと同じような「呼吸」しかできない場面があります。これも「活体」でおこなう「呼吸」と完全には同じ感覚ではないのですが、似た感じはあります。

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「ハアハア」という荒い「呼吸」を下りの階段でおこなうと、スピードが出ません。大急ぎで下っているときに「ハアハア」という「呼吸」をすると、動きの流れがとぎれてしまい、階段から転げ落ちてしまいそうになります。そしてもうひとつ、下りの階段を全速力で下りているとき、ヒトはリズムのある動きをしていません。リズムがないので「呼吸」が合わせられないのではないかとさえ思います。

反対に上りでは、ヒトはけっこう「ハアハア」いいながら上ります。これは力を入れるところと、それほど力を入れないところが分かれていて、リズムが作りやすいからではないかと考えられます。ヒトはリズムに合わせて「呼吸」をおこなうものなのです。

ふつうに走ってみてください。走りの技術としては、何種類か「呼吸」のしかたがありますが、ふつうの走りでは一歩ごと「ハア、ハア」という呼吸をするものです。

 

このときは「呼気」と「吸気」の境で「呼吸」が切れていて、連続していません。動作も、腕が前に振られて後ろに振り返されようとする瞬間、これは同時に反対側の腕が後ろへ振られて前に振り返される瞬間でもありますが、動きの方向が逆転する一瞬で「止め」が起こり、ここで「呼吸」もとぎれてしまうのです。

階段を大急ぎで走り下るときは、身体は地球重力によって下にひっぱられつづけていて、その力に逆らわないように動いています。つまり身体はいつも動いている状態であり、地球重力にはリズムなどありませんから、身体もそれに合わせて動くしかありません。リズミカルな動きはできないのです。

その結果として、身体は連続的に、とぎれることなく動きつづけることになるのですが、本来リズムを刻みやすいわれわれの身体も、地球重力に合わせることで、リズムを超高速へ上げていく方向で「無拍子」に近づけていくのです。この超高速の「無拍子」が「呼吸」の切れ目を消してくれるのではないかと思います。

階段を下りきると、そこはたいてい平らな床です。床にたどりついた瞬間に、われわれの身体は、それまで地球重力にひかれておこなっていた連続的な動きをやめ、動きが止まることで「呼吸」のつながりも断ち切ってしまいますから、とつぜん「ハアハア」という荒い「呼吸」が出てきてしまうのです。

身体の動きが連続してしまえば、「ハアハア」という呼吸はできなくなります。それは身体の外部が超高速で動かなくても、内部で動きが連続してしまえば同じことです。つまり「呼吸」はいかに身体内部をつかうかできめることができるものなのです。

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このように「動き」と「呼吸」の関係は、切っても切れないものなのです。だから外見上静止しているように見えても、身体内部が活発に動いているような状態、つまり「活体」になることができれば、「呼吸」もとぎれることなくつながっていくのです。

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「ハッ」とした瞬間、われわれは「わずかに息を吸った状態で止まって」います。これを昔から「息を呑む」といったのですが、「息を呑んだ」瞬間には、身体は「活体」でいることができません。「呼吸」がとぎれることによって、身体の動きもとぎれているからです。

 

この瞬間には、ヒトは外部からの刺激に反応することができなくなっています。昔から「相手が息を吸った瞬間に技を出せ」といわれているのは、こういうこともあるからではないかと思います。

相撲では「ねこだまし」という奇手があります。立ちあった瞬間、相手の顔の前で手をたたき、おどろいた相手が我に返る前に勝負をつけてしまうものですが、これも「予想外のことがおこって「呼吸」がとぎれる」から有効な手になるのではないかと推測できます。

第一章でとりあげた「ナンバ歩き」「ナンバ走り」では、身体内部でおこなう肩の回転が大きな特徴でした。回転運動は循環する動きですから、とうぜん「呼吸」もつながっていきます。だから「ナンバ歩き」

「ナンバ走り」では「呼吸」がとぎれず、「楽に」することができます。平常呼吸とまったく同じというわけにはいきませんが、かなりのスピードで走りながら話せる程度の「呼吸」です。その結果、心拍数が現代風の動きのような高い数値をしめさなくなります。

こういった「呼吸」なしに、超長距離を走りぬくことはできなかったと思います。ヒトは「ハアハア」という「呼吸」を続けるだけで、けっこう疲れるものですから、ウルトラマラソンを1日に2本も走るのと同じくらい走るのであれば、当然このあたりのことも解決できていたにちがいありません。

またとぎれのない動きは「無拍子」につながり、槍などをかまえて突進してこられた場合、いつ逃げてよいのかというタイミングを誤らせる原因のひとつになります。こうしてみると「ナンバ」は「呼吸」という分野でも武術に適した動きであったことがわかります。

 

「呼吸」をつなぐために必要なものは、身体内部での動きのほかにはなかったでしょうか。「活体」は「呼吸」を連続させるためには大きな要素ですが、もうひとつ大きな要素があります。それは「精神的な安定」です。

 

心身は切っても切れない関係にありますから、心が安定しなければ、身体の活動状況も安定はしません。そのために「精神的な修養」を重視し、それを説いた人が大勢いたのだと思います。なかには肉体的な高い次元に到達することなく、精神的な修養の必要性だけを説いたような人もいたかもしれませんが。

精神的な安定だけが得られれば、競技スポーツや武術の世界で勝つことができるのなら、そういった修養を積んだだけの人でも世界チャンピオンになるはずですが、現実はそんなに甘くはありません。自分の身体を使って動いた人の中からしか「神技」に到達する人は出てこないのです。

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心身のバランスというのは「動き」と「呼吸」が「つりあう」ことなのです。そのことに気づいた人のなかから、とても人間業とは思えないような動きが生まれたのですが、よく考えてみれば、それこそ「ヒトとして「自然な」動きに、「自然な呼吸」が宿った」だけで、「神技」こそもっとも「自然な」人間らしい動き」ということになるのです。』

これを読んでからジョギングでは、またあるときにも呼吸リズムを意識することを止めてみました。そうすると確かに楽にジョギングできたり歩くことができます。わたしも自然にといいながら、呼吸に関して自然でなかったようです。「意識」がクセモノですね。呼吸以外にも「自然」でなく、「意識」してやっている事がありそうです。本当に難しいのが「自然」なのですね。