2004年 5月 の投稿一覧

陸上競技の文献から|ニュースレターNO.095

平成スポーツトレーナー専門学校の校長になったことを機に、『月刊陸上競技』で連載することになりました。連載は、「T&Fコンディショニング」というタイトルで、5月号からスタートしました。

内容的には、余り学術的にならず理解しやすいように解説的な形式でコンディショニングについてまとめています。ちなみに、5月号は「コンディショニングの概念」、6月号は「筋力をどのように高めるか」、そして来月発刊の7月号は「持久力をどのように高めるか」というテーマになっています。

この連載を機会にいろいろ陸上競技の文献を読んでおりますが、現在も連載が続いております月刊陸上競技の「陸上競技のサイエンス」という連載があります。その連載46(2003.03.)に「スプリンターのためのボディデザイン(深代千之)」という文献が目にとまりました。

速く走るための動きやトレーニングに関する多くの示唆が得られる内容であると思いますので、その内容をまとめて紹介したいと思います。

 

走運動の発生

ヒトは、走において抗重力型の体幹・下肢の発達を促してきた。この抗重力型の筋・腱複合体の特徴をみるために、筋と腱、そしてそれを合わせた筋・腱複合体の機能を最近のバイオメカニクスの手法でシミュレートしてみた。1個の筋・腱複合体について、筋と腱の長さの比率、そして負荷重量を様々に組み合わせて筋・腱複合体の能力を推定してみた。

その結果、重りが軽い時には腱が長いと大きな機械的仕事が発揮され、重りが重いと長い筋線維(短い腱)で高い成果が得られる。言い換えると、腱に対して筋が長い方が重い重りで大きな仕事をすることができ、逆に腱に対して筋が短い場合は軽い重りの方が効果的に仕事をすることができる。

この結果と身体各部に配置された筋・腱複合体の形態的特徴をあわせて考えると、身体における筋の配置は極めて理にかなっていることがわかる。

つまり、身体の中枢にある筋、例えば体幹の大臀筋などは筋束が長く(筋・腱複合体全体の83%が筋)、重い負荷に対して大きな仕事を行うことができ、逆に末端の下腿三頭筋などでは長いアキレス腱(筋は筋・腱複合体全体のわずか17%)によって軽い負荷で大きな仕事を行い得る。

このように、筋・腱複合体の能力が効果的に発揮されるように、それらをうまく身体各部に配置してヒトは進化してきたということがわかる。

 

スプリント走のバイオメカニクス研究

100mのスピード曲線は、加速期、等速期、減速期と分けることができ、パフォーマンス(記録)は中間疾走(等速期)のピーク速度と高い相関があることが報告されている。

中間疾走のスピードは、物理的に地面に対する腰の相対速度で決まる。この相対速度は腰と地面をつなぐ支持脚の動き(スウィング動作)によって決まる。支持脚の動作は、バイオメカニクスの解析により、次のような特徴をもつことがわかっている。

下肢の振り戻し動作では、着地直前から支持脚全体を1本の棒のように動かす。つまり膝・足関節は屈伸せずに固定し、股関節の伸展のみとなる。したがって、地面と腰の相対速度に関しては、股関節の伸展筋群(大臀筋およびハムストリングス)の短縮スピードが重要になる。

もし、下肢の質量がゼロに限りなく近ければ、股関節伸展の主動筋の筋力は(大きかろうが小さかろうが)ほとんど関係なく、速筋・遅筋といった筋線維組成と筋線維の長さを基にした収縮スピードに依存する。

しかし、現実には、下肢は骨格(大腿骨、下腿の腓骨・脛骨、足部の骨)と膝・足関節を固定するだけの等尺性筋力を発揮するための筋が必要となる。換言すれば、下肢質量はゼロにはならず、また身体質量を前方へ移動させるために地面反力を受けなければならない。

したがって、股関節伸展の主動筋は下肢の質量を速く動かすために、大きな筋出力が必要になる。この筋力発揮は、接地局面だけではなく、1サイクル全体で股関節を中心に行うことが重要であることが下肢3関節のトルク・並進力パターンからわかる。逆に、同じ股関節の筋出力ならば、脚はできるだけ細く長い方が末端は速く動くといえる。

同様に、振り上げ脚も股関節屈筋群(腸腰筋と大腿直筋)だけが重要になる。さらに、この振り上げ脚によって作られた機械的エネルギーの振り戻し脚(支持脚)への伝播、そして上半身、特に腕振りによって作られた機械的エネルギーの下肢への伝播も貢献する。

身体に配置された体幹の筋束の長い(腱の短い)筋・腱複合体を使って大きな機械的エネルギーを作り、末端に配置された長いセグメントにその機械的エネルギーを流す。末端の筋・腱複合体は腱が長く軽い形態となっている。

以上から、走スピードを決める因子は、股関節屈伸の収縮力に基づいた脚のスウィングスピードであると結論できる。

 

スプリント・ボディデザインのための視点

股関節屈伸の収縮力をどのような原則に基づいてトレーニングすればよいか。

(1)筋の収縮様式とトレーニング:短縮性・伸張性収縮、伸張・短縮連関SSC

SSCはこれまで筋・腱複合体全体の長さ変化としてみられていたが、最近、筋と腱を分けて観察する研究から、運動強度の低い歩行から強度の高いドロップジャンプまで、筋は等尺性収縮に近い状態にあり、腱が主に伸縮することがわかってきた。したがって、SSCでも全体の長さ変化ではなく、筋と腱それぞれに注目してトレーニングを考える必要がある。

(2)筋・腱複合体の身体配置を考慮したトレーニング:筋の長い体幹と腱の長い末端のトレーニング

(1)のことから、体幹と末端の筋・腱複合体のトレーニングは分けて考える必要がある。体幹では筋自体に強い負荷を、特に伸張性活動でかけて肣大させることが重要である。この方法については、これまで蓄積されてきたレジスタンストレーニング理論が有効となる。

一方、末端の筋を肣大させないで腱をトレーニングする方法は、まだ確立されていない。ただ、腱のトレーニングには腱を大きく伸縮させることが必要と考えられ、それには(腱の力‐長さ関係から)力の大きな増減が必要となる。したがって、大きな地面反力をほぼダイレクトに腱で受け止める足関節を中心としたその場ホッピングのような方法がよいと考えられる。

(3)負荷方式とトレーニング:重量負荷と慣性負

(4)筋の至適長および動きの可動範囲を考慮したトレーニング

筋力トレーニングは角度(筋長)依存性もある。つまり、トレーニングを行った関節角度で特に大きな力が発揮され、それ以外の角度(筋長)ではトレーニング効果が低いという現象がある。したがって、トレーニングは筋自体の至適長とともに、実際の運動で使用される可動範囲を考慮する必要がある。

(5)両側性機能低下を考慮したトレーニング

両側性機能低下というのは、例えば、左右それぞれで測定した握力を合計したものの方が、1つの握力計に対して左右一緒に発揮した握力よりも大きい。つまり1と1を加えても2にならない(1+1>2)という両側性筋力発揮における中枢の抑制現象を示す。

これを基にすると、両側で筋力発揮するスクワットなどの場合には中枢からの抑制がかかり、十分な筋活動が達成されないということが予想される。また、トレーニング効果においても両側性における中枢の抑制が影響するという研究がある。簡単にいうと、左右交互動作である「走」を目標にする場合、「片側ごとにトレーニングすることが望ましい」ということを示している

 

スプリント・ボディデザインのためのトレーニング

スプリンターのボディデザイン構築のためのトレーニングとして、体幹の筋、つまり腸腰筋、大臀筋、ハムストリングスをターゲットにする。ターゲットにした筋が、走動作で使われる関節角度、また筋長が至適になるような関節角度に設定する。中枢からの抑制がかからないように片脚で行う。伸張性および伸張短縮連関の筋活動で行う。

このような条件に合う1つの方法として、フライングスプリットと呼ばれるトレーニングが考えられる。体幹を上下動させジャンプしながら脚を交差する動作である。この動作で重要なのは、空中の脚の交差ではなく、接地中に腰が最下点で切り返しを行う局面で、ここで腸腰筋・大臀筋・ハムストリングスが伸張短縮連関となる。

バーベルをもって、負荷をかけるのもよい。その場合は2~3回上下動した後にジャンプして脚を交差する。

トレーニング中はもちろん、通常の疾走中でも、体幹や股関節屈曲・伸展筋群に意識を集中させる。この意識の集中によって筋形状が変化する可能性もある。例えば、サッカー選手に比較して陸上のスプリンターは大腿四頭筋の上部が太いという現象が観察されている。

ある筋活動において筋・腱複合体の両端(起始と停止)に生じる力は同等になるが、1つの筋の中でフェイズシフトが生じている証拠だといえる。

フェイズシフトとは、中枢からの刺激によって筋が活動するときに、刺激が1個の筋全体に一様に伝えられるのではなく、ある一部分に集中することを示す。その結果、トレーニングによって筋が一様に肣大するのではなく、ある部分が特異的に肣大し、別の部分はそれほど肣大しないという現象が現れると考えられる。

まとめとして、「スプリントのためのボディデザインがうまく構築されれば、質の高い走りのトレーニングができるという点が重要であり、速く走るためには“走り”のトレーニングを基礎にすべきで、走りのトレーニングの質をいかに向上させるかということである」と書かれています

上記の内容から、スプリンターのためのトレーニングについて多くの示唆が得られると思いますが、この情報からいくつのプログラムやエクササイズを作成することができるでしょうか。

速く走るためには、何が問題であり、そのためにはどんなトレーニングや練習をすればよいのかわかったと思います。いくつかプログラムができればぜひお聞かせください。この文献からトレーニングのポイントは1つに絞れると思います。「理解する→応用する」ということです。

古武術の本から|ニュースレターNO.094

古武術について書かれた本がやたら目に付くようになりました。先般面白そうな本を3冊ほど見つけ、早々に目を通してみましたところ、スポーツ科学の考え方を見直す示唆が与えられ、指導者にとって大いに役立つ文面がありましたので紹介したいと思います。

1冊目は、「中国武術で驚異のカラダ革命」(立風書房 2004.04)という本の中に、武術家の甲野善紀氏の対談が書かれています。その中からポイントのところをピックアップしてまとめてみました。

 

反復練習について(甲野談)

普通にいう反復練習というのは同じことをただ繰り返しているだけという感じがする。しかし、何年食事しても箸使いが上手くなるというわけではない。そういうことに陥りやすい。本来ならば毎回小さな発見や気づきを繰り返して、絶えず感覚で探っていくような稽古でなければいけないが、何も考えないで動作を繰り返すのを練習だと思い込んでいるのではないか。

それでは意味がない。考えればよいのかというと、それも必要だが、やはり感じるということが一番大切である。

反復練習という言葉もよく考えなければならない。何も考えない、何も感じないまま動作を繰り返しているだけの反復練習と、絶えず感覚的に体を探りながらやっている反復練習。これらは見た目が似ているから混同されている。そこに大きな問題がある。

本来、稽古とか練習は自転車に乗れない人が乗れるように上達していかなければいけない。自転車に乗る練習を単に反復練習とはいわない。ある意味では反復して何度も繰り返して練習しているが、失敗する度に気づきを繰り返して、それで乗れるようになる。

自転車はうまく乗れないとすぐに倒れてしまうので、よくない状態というのがわかりやすい。まずマズサが直に伝わる。絶えずそういったことがあるから練習にフィードバックさせやすく、学習効果も高い。ところが武術の場合はウマサが直に伝わりにくい。だから難しい。

剣道の素振りもノルマを課して数をこなせばいいというのは問題。決して上手くはならないし、悪い癖がつけばどんどん下手になっていく。稽古であれば、ちょっとした腕の角度や肩の沈みなどの違いによる影響をはっきりと感じながら工夫して、色々なことをやってみなければいけない。

ここで難しいのは、人間は毎回色々と違った組み合わせをすることがなかなかできない。結局同じことの繰り返しを、ついやってしまう。

 

科学的ということについて(甲野談)

サッカーのJ1のチームに呼ばれた時にやって見せたが、前へ出ようとするのをブロックされた時、相手が当たってきた瞬間に平起をかけ、肩の力を抜きすぎずに抜くようにすると、相手が私を止められない。どの選手も、私を止められない。動きの質という観点かち見ると花形の選手も控えの選手も見分けがつかなかった。スター級の選手も、補欠選手も体の使い方に質的な違いを感じなかった。

その原因は、やはり科学的なトレーニングにある。ものすごくわかりやすい原理でしか説明できない。重い物を動かすときに下に敷くコロがある。これは円の原理を一次元だけ使っている。

これに心棒を入れて円の原理を二つ組み合わせると車輪になる。これが更に進化してキャスターになると、ベアリングも使われて車輪を支えている軸も回転して、円の原理が四つも五つも組み合わされ、全方向に向かうことができる

ところが今の「科学的」というのは、コロの一次元の円の原理の中で、より丸い方がいいんだということばかりを検討しているようなもの。科学だといってわかりやすく説明することで、かえって技術的には低くなっている。科学的な用語を使っているが、現実にはコロばかり研究しているからキャスターが出てくると理解でき

Jリーガーが私を止められないというのは、彼らが筋力を鍛えればいいという、いわばコロの原理のレベルにいるので、円の原理が組み合わされたキャスターの原理が理解できないということである。これは科学的ということの大きな弊害である。

構造そのものがものすごく退歩していても、そのことについて科学用語で解説されると、退歩していることに気がつかないからである。

科学というのは再現性を重んじるから、不確定になりそうな要素を極力排除しようとする。生体のような複雑なものをただ科学用語を使って説明しているだけで科学だと思い込んでいることが根本的に大間違いだと思う。

原始的な帆掛け船が前に進むには、順風でなければいけない。昔の日本の船は順風が吹くまで港で待っていた。それがヨットの三角帆が出てからは逆風も使えるようになった。あれは飛行機の翼の原理で、逆風でも斜め前に進む。ジグザグに切り替えれば向い風でも行きたい方向に進める。

風さえあればヨットは全方向に進める。しかし原始的な帆船の原理しか知らなければ、ヨットなどというものは嘘だとしか思えない。

体の中を巧みな装置とするかどうかということである。

今の体育理論は全部順風で行くものばかりで、筋力があってこうですという初歩的な話しか頭に入らない。だからウエイト・トレーニングをやることによって肉離れなどの問題が起きても、まだやっている。

 

感覚を重んじる練習(甲野談)

東洋の文化というのは感覚を非常に重んじる。「鏡を見ながら練習してはいけない」というものがある。つまり、外見よりも自分の中の感覚をとても大事にするということ。「準備運動や整理運動はいらないし、整理運動をしているということは、練習そのものが間違っている証拠だ」ということも理解できる。

本来練習することで体がほぐれているはず。武術の動きは、全身がうまく協調して動くように使うから、個々の部位の負担が軽い。これが動きにくいところと動くところの差が大きいと、準備運動をしっかりやっておかなければ体を壊してしまう。

 

内面的なレベルを高める(甲野談)

生命としての、全体としての働きをいかに引き出すかということ。部分部分を鍛えようとするウエイト・トレーニングなどでは、肉離れを起こしたり動作が鈍くなったりする。科学的トレーニングでは、力に対抗しようとすると動きが鈍くなり、速度を求めると軽くなるという問題が出てくる。

武術というのは速さに対応する動きも、力に対応する動きも、本来、別の物ではない。状況に応じて変化するが、基本的には同じもの。同じ修練が速さにも力にも対応できる。

根本的な生命の働きを見ずに表面的な機能に囚われ、それにどう対応するかということばかりを考えているから、本来的な武術の威力というものがホラ話にしか聞こえない。

 

科学理論(甲野談)

DNA論は、科学の退歩だと思う。生物をものすごく単純化しようとしている。現実とはまったく違うと思う。チンパンジーと人間のDNAは2%しか違わないと言うが、実際にはこれだけ違っているにもかかわらず2%しか違わないというのは、それはそれで事実かもしれないが、本質的に人間を解明する上で、まったく役に立っていない方向に行っている。単純な機械論でわかったようなことを言うこと自体が、すべてをダメにしている。

江戸城でも大阪城でも、石垣は石が積んであるだけだが地震でも崩れない。しかし、建設省は伝統的な石垣を新たに造ることを禁じている。あまりにも構造が複雑なので強度の計算ができないからである。

日本(東洋)は感覚で巧妙なものを作ってきたのに、科学的に説明がつかないということで、簡単にやめてしまうというのは文化をダメにしている。だから科学的という言葉に目くらましになっている部分が大いにある。結局、数字とか、工業製品のハイテク化による科学や西洋文化に目くらましをされて、技術と感覚の体系がダメにされている。これは現代社会の大きな問題点である。

2冊目の本は、「武」(宝島社 2004)という本で、武術家の甲野善紀氏と漫画家の井上雄彦(バカボンド、スラムダンク著者)氏との対談をまとめたものです。この本の中からポイントのところをピックアップしてまとめてみました。

 

速く走るには(甲野談)

素速く動くためには腕力や脚力に頼るのではなく、エネルギーの出力は身体の体幹部に任せて、手足はその操作をするという発想が大事。短距離走でも倒れる恐怖をなくせば、もっと記録が伸びると思う。階段は上りは余力で駆け上がれるが、下りは必ず余力が残っているというのは、転んで落ちるのが怖いから。足が絡まって転ばないように、無意識のうちに速度を抑えている。

しかし、体幹部が瞬間的に効いてくると、恐怖心から解放され、きっと速くなる。私の考えている100メートル走の理想型は、スタートでつまずいて、ゴールで倒れるという走り方。倒れる寸前の姿勢を必死でなんとかしているような状態を洗練して、30メートルくらいはそのまま行ってしまう。紙一重で倒れない状況を維持して、その後、持ち直して疾走体勢に入ると良い。

手を交互に振っているのは、ゆとりがありすぎる。足を滑らせてまさに転ぼうとしているとき、手を振る余裕なんてない。こうした動きを開発するには、例えば走り高眺び用のマットを用意して、5mほど手前から倒れるように突っ込む練習をして、その距離をだんだん伸ばしていけば、実践的に使える走りができるようになるのではないか。

 

ウエイトトレーニングの落とし穴(甲野談)

ウエイトトレーニングは、強く蹴る、踏ん張る、うねって力を出すための筋力をつける最たるもの。そこに落とし穴がある。例えばアーチ状の橋は、アーチ型になっているからこそ強度がある。このアーチに補強するつもりで、鉄やコンクリートをつけ足すとどうなるか。その補強で荷重のバランスが崩れて壊れやすくなる。

ウエイトトレーニングも同様で、力は強くなるが、その分、スピードが損なわれたり、肉離れを起こしやすくなったりする。これは身体全体の統制が狂ってくるからである。

現在のウエイトトレーニングは、静かに筋肉に負荷をかけていき、筋肉を太くする。しかし、局部に力が集中しているから下手な身体の使い方である。下手な設計の橋を作っている。ウエイトトレーニングをやれば当然力は強くなる。しかし、もし止めたら弱くなる気がして、止められなくなる。革新的な動きが手に入るような大きな成功はウエイトトレーニングの先にはないと思う。

鏡を見ると、自分の感覚ではなくて、見た目を合わせようとしてしまう。人から指摘してもらったり、ビデオで振り返ったりして学ぶのは良いと思うが、鏡を見ながらの練習は、どうしても表面のつじつま、外面的な動きにとらわれてしまう。

また、武術では準備運動、整理運動はしない。整理運動が必要な動きは間違っている。身体全体を上手く使っていれば、整理運動はいらない。終わった後にほぐしたいというのは、偏った動きをしているという証拠。

3冊目は「古の武術を知れば動きが変わるカラダが変わる」(㈱MCプレス 2004)という本です。内容は上の2冊と変わりませんが、NHKの人間講座「古の武術に学ぶ」で紹介された技がDVDで紹介されています。

また頭を柔らかくするキッカケになれば嬉しく思います。基本は情報からその考え方をどのように理解するか、理解の仕方であることはもうお分かりだと思います。