2003年 12月 の投稿一覧

指導力|ニュースレターNO.085

2003年も終わりに近づきました。1年は早いものです。今年、自分自身に何ができたのか振り返ってみると、これといったことが見つかりません。ただ、2つ満足いけることはありました。1つはUHPCの立ち上げ、北海道である程度定期的にクリニックができた事です。

後1つは、マトヴェーエフ氏の招聘です。ある意味では、マトヴェーエフ氏の来日の準備に時間を費やした1年でもありましたが、来日が実現したことはある意味で有限無限に大きかったと思います。

さて今回は、指導者の考え方というところを考えてみたいと思います。2~3週間前に、電車の中で広告を見ていたら「勝つ監督、育てるコーチ」という文字が目に入りました。週刊ダイヤモンド(12/6)という雑誌でした。

早速購入し、読んでみましたところ、早稲田大学ラグビー部監督の清宮克幸氏、横浜F・マリノス監督の岡田武史氏、シダックス監督の野村克也氏、そして智弁和歌山野球部監督の高嶋仁氏の指導に関する考え方が書かれていました。その中で、清宮氏と岡田氏のチーム再生に関する考え方が非常に参考になると思いました。以下にその2人の記事について紹介したいと思います。

『13年間も長期低迷を続けた早稲田大学ラグビー部。それをわずか2年で大学日本一に導いたのが、清宮克幸監督だ。従来の「早稲田ラグビー」の常識を打ち壊し、名門を復活させた強烈なリーダーシップの本質に肉薄した。

「名門ワセダを復活させたカリスマ」。今ではそう称される清宮克幸だが、監督就任が明らかになった2001年2月、学生幹部は、この人事を拒否した。早稲田大学ラグビー部の監督人事は、最終的に学生幹部たちの同意を得て決まるのが恒例だ。結局はOBによる懸命の説得で監督就任が決まったが、学生が突きつけた不信任は重くのしかかった。

なんとも後味の悪い滑り出しだ。勝てるチームをつくるどころの騒ぎでは、普通はない。

だが、清宮は学生の不信任を逆手に取った。「僕を希望していないと聞いた時点で、ならば初日に洗脳してしまおうと考えた」。2001年3月、清宮は100人からいる部員に対して言い放つ。

「おまえたちを日本一にしてやる」

想像もしなかったひと言に、学生は度肝を抜かれただろう。だが、本当の驚きはそれからだった。パソコンを使って前シーズンにおける早稲田の全試合を数値化し、ライバルの関東学院大学と比較分析。

ボールを落としたり、密集で相手にボールを奪われたりした単純ミスの数まで指摘し、「今までの早稲田ラグビーを否定した」。

清宮を拒否していた学生たちは、驚きのあまり口を開けていた。そのとき、清宮は「よし、これでいける」と確信したという。大風呂敷だけでは学生はついてこない。精神論も時代遅れだ。最初に「日本一」という目標を語り、次に勝つための具体的な方法論。この組み合わせこそが、学生の信頼を一瞬にして獲得し、リーダーシップを確立したポイントだった。

ラグビー部の寮には、1日、3ヶ月、1年単位の練習スケジュールを掲示した。いわば工程表だ。この工程表によって、選手全員が「1年後にどういうチームを目指すのか」というイメージを共有した。

筋トレやランニングだけでボールに1回も触らない日があるかと思えば、戦術のチェックだけで汗もかかないうちに練習が終わる日もある。1日の練習時間は4~5時間から2時間に短縮され、「勝つための練習以外はやらなくなった」。

勝つための練習とは、ミスをなくし、後半最後の1分まで走り抜ける体力をつける練習である。その成果は1年目から表れた。慶応、明治を連破し、対抗戦グループで優勝。大学選手権では関東学院に惜しくも敗れたが、2年目には雪辱を果たした。

今シーズンも負けなしの快進撃を続けている。

サントリー入社3年目にラグビー部の監督となった清宮には、苦い思い出がある。監督だけでなく、コーチ、果てはマネジャーの仕事まで一人で抱え込み、成績が急低下したのだ。「間違ったリーダーシップを発揮してしまった」と反省した清宮は、早稲田の監督就任に当たって信頼するスタッフを自ら口説き、完壁に脇を固めた。

選手に対しては、「誰が見ても失敗とわかるプレーについては、あえて指導しない」。むしろ大事なのは、そのミスを引き起こす一歩前のプレーで練習をやめさせ、選手に問題点を考えさせることだ。失敗をあげつらうのではなく、その原因について考えさせることに意味がある。

企業の中間管理職も見習いたい指導のコツだ。「楕円のボールだって練習すれば、どちらに転がるかわかる。ラグビーは偶然のスポーツではない。きわめて合理的に勝敗は決まる」

監督就任から2年。当時の2年生が今では4年生である。論理的思考をたたき込まれた学生のなかには、いまや「ミニ清宮がぞろぞろいる」。早稲田の黄金時代は当面続きそうだ。』

『スポーツ選手は一般に個性派揃いだ。彼らのベクトルを1つに合わせて、持てる力を最大限発揮するのは、容易なことではない。

「100%の力で練習しないやつを、オレは相手にしない。だが、全力で練習に立ち向かってくるならば、オレは絶対に見捨てない」 昨年末、横浜F.マリノス監督に就任したばかりの岡田武史は、選手を前にしたミーティングで最初にこう宣言した。

かつては優勝争いの常連だったマリノスだが、2001年には年間順位13位に落ち、J2降格の危機に瀕していた。組織のゆるみを見て取った岡田は、先手を打って「信賞必罰」を掲げたのだ。

練習で手を抜けば、たとえ有力選手だろうと、いっさい特別扱いはしない。実際、ある有力選手に対して、「オレの考えに納得しないなら試合には出さない。試合に出られなければ、お互いにとって不幸だから、ほかのチームに行ってくれ」と突き放したこともあるという。柔和な表情からは想像もつかないほど規律に厳しい。

マリノスの前に監督を引き受けたコンサドーレ札幌では、ゴミやスパイクが散らかるクラブハウスの掃除に始まり、ロッカールームでは雑誌・マンガを読まない、試合の行き帰りのバス内では携帯電話禁止…と校則並みの規制を次々に打ち出した。

わずかな規律のゆるみが、選手をだらけさせ、試合における戦術の誤差を修正不可能なレベルに広げていく。岡田が信賞必罰に徹底してこだわるのは、それが怖いからだ。他人に厳しく、自らにも厳しい。選手と食事に出かけることは、まずない。

選手評価の基準を公平公正にするため、ストイックなほど馴れ合いや温情を切り捨てる。

選手は否応なく引き締まり、練習の真剣さも違ってくる。コンサドーレを就任2年目でJ2優勝に導き、J1のマリノスを早くも今年第1ステージで優勝させたチーム再生の手腕は、信賞必罰の組織管理に裏打ちされている。』

2人の指導者の考え方は、まさに弁証法でいうところの「否定の否定」という考え方です。現状を打破するには、現状やこれまでの考え方を一度完全に否定してしまわなければいけません。その勇気がもてなければ再建ということばは使えないのです。

経済界でいえば、日産自動車のゴーン社長も同じ考え方のもとに日産を再建したのです。しかし忘れてはいけないことは、なぜ現状がこのようになったのかという原因の洗い直しであり、分析が必要であるということです。

新しい年を迎えようとしている現在において、もう一度自分自身が何をしたいのか、それを実現するためには何をしなければならないのか、これまでを振り返りながら考えてみてはどうでしょうか。

ヘビとクジラの弁証法|ニュースレターNO.084

いつも興味深いお話しを提示していただいております横浜市スポーツ医科学センターの橋本吉登先生から、昨日以下のようなメールをいただきました。非常に興味深い話であり、ぜひ会員の方々にも読んでいただきたいと思い、お願いしてニュースレターに掲載させていただくことにしました。

『 今、「動物の体幹の使い方の歴史は?」なんてことに興味を持っています。それで、動物の解剖の本や進化の本を読んでいましたが、ヘビとクジラについて面白いことがわかりました。

ヘビはトカゲと同じ爬虫類に属しますが、トカゲの様な手足がありません。その昔は手足があったのですが、進化の過程で無くしました。普通は「退化」で済ませてしまう事例ですが、よくよく調べるとこれも一つの進化と呼べるのではないかと思います。

進化論で行けば脊椎動物は「魚類→両生類→爬虫類」と進化しています。魚類の胸ビレが手となり、腹ビレが足となったといいます。魚類は泳ぐ時に体幹を横にくねって(側屈して)、それを尾びれの推進力として進みますから、体幹の基本は側屈運動です。

両生類の手足はサンショウウオの手足のようにヒレから進化していますが、まだ貧弱で手足だけでは前に進めないので、魚類の体幹の側屈を基本にして動き、手足の役目はせいぜい地面に引っかけて「滑り止め」としての働きをしております。

トカゲのような爬虫類になりますと、手や足が発達してかなり性能がよくなっています。このためトカゲでは横にくねるポイントが手の部分(体の前半分)と足の部分(体の後ろ半分)の二カ所にあり、それぞれ独立して動きます。魚類と両生類の側屈の体幹のエンジンが体の中心に一つだったのが、爬虫類では前後にあり、二つになったために効率の良い動きが出来ます。

ここまでは普通の話で、「トカゲなどの爬虫類は魚類、両生類の体幹の使い方を否定して体幹の使い方を進化させた」という命題が成り立ちます。しかし、ヘビは折角勝ち取った手と足を自ら無くしてしまいます。

これでは前後の体幹の側屈エンジンも使えなくなってしまいます。ヘビは「魚類、両生類」を否定したトカゲの仲間の自分の祖先をさらに否定したことになります。ところが、話は「退化」で片づけてしまっては面白くありません。

ヘビの移動の仕方を観察すると自分のうろこにある小さな突起を地面に引っかけて動きます。そして体幹はやはり側屈運動を基本としますが、トカゲでは前足と後足の二カ所しか引っかけるところがなかったのですが、お腹側のうろこはたくさんあります。

トカゲの手も足も物を掴んだりは出来ず基本は地面に引っかけて移動するための物なので、実際はうろこの突起でも役割とすれば十分です。ヘビは4本の手足を捨てた代わりに無数の手足を得たことになります。また、ヘビはクネクネクネと体幹のいたるところで側屈できますから、体幹のエンジンがトカゲの様に前後2つだけではなく、無数にあることになります。

ヘビは4本の手足は失いましたが;
○引っかかる物(手足)が無いために狭い隙間でも入って行ける(ネズミの穴や鳥の巣に入れる)。
○地面に引っかけるのは小さなうろこの突起であるので、移動の音が非常に小さく、獲物に気づかれない様に近づける。
○体幹のエンジンの数が多く、大きくても素早い動きが出来る。

などなどトカゲには無いメリットがいっぱいあります。

ここで思い出したのが魚住先生にうかがった「否定の否定」という弁証法の考え方でした。ヘビは爬虫類の一族としていったんは「魚類、両生類」を否定しましたが、さらに「爬虫類」を否定することで独自の動きを身につけました。

ポイントは「爬虫類」を否定して魚類や両生類の運動パターンに逆戻りしたわけでなく、「複数の部位で地面を引っかけて側屈を使って前進する」という爬虫類の運動パターンをさらに押し進めた移動法となったことです。「否定の否定」が単なる肯定や逆戻りにならないというのはまさに弁証法と考えられます。

そしてクジラの話です。

クジラは元々陸生の毛が生えた哺乳類でした。哺乳類は「体幹を側屈させて、足を地面に引っかけてすすむ」という爬虫類の移動法から「体幹に頼らず四肢の力を基本に移動する」と「爬虫類」を否定して進化しています。

陸上の哺乳類だったクジラの先祖が、今度は陸上の生活を否定して海の哺乳類に変化したのがクジラです。足を失い、手をヒレに変形していますが、やはり「否定の否定」が起きています。見た目は魚類に近く見えますが、クジラの運動は爬虫類や魚類に逆戻りしたものではありません。

クジラは尾びれとなった尾を上下に振ることで推進力を得ています(尾の形状も全く違います)。これは体幹の動きでは「前後屈」運動です。前後屈運動が可能なのは哺乳類の特徴でサカナやワニでは腹筋運動が出来ないことからもわかります。

クジラは「否定の否定」の動物ですが、爬虫類に戻ったのではなく、動きの基本は哺乳類で、独自の進化となっています。やはりこれも弁証法です。
長くなりましたが、スポーツの技術を身につけるのもこんな要素があるのではないかと思います。

野球の投球動作などでもいろいろな指導を受けるわけですが、監督は「もっと肘を上げろ」とか選手の欠点(?)を指導します。選手の技術を否定するわけですが、選手は二通りいて、監督の言葉の通りに必死にやって出来るタイプと言葉どおりには出来ないタイプがいると思います。監督の指導が正しいものであれば問題ないのですが、時々は間違った教えだったりします。

「間違った教え」を否定しないで出来ちゃった選手は間違った技術が身につきますが、意識的に(監督をなめている選手)あるいは無意識的に(やろうと思っても言った通りに出来ない選手)監督の言う通りにやらない(出来ない)選手がいるわけです。

つまり、「否定の否定」をする訳です。ただ、「否定の否定」をした選手が元の技術を繰り返すかというとそうでもなく、元の技術でもなく監督が教えた技術でもなく、もっといい技術を身につける可能性もあります。

そういう場合は、「ほら、俺が教えたとおり(?)にやったら上手くなっただろう」と自慢げに話すわけです。ただ、優秀な指導者はこの効果を狙って自分でも「正しくないな」と思う技術をあえて選手にやらせて良い技術に誘導する時もあるかもしれません。

有名な高校のバレーボール指導者が、ある選手がどうしても肘を曲げてスパイクを打つので、その選手の肘をあて木にくくりつけてずっと練習させたそうです。あて木をとった後の選手は見違えるようなフォームになったと言いますが、これも誰にでも良い練習とは思えません。』

物事の考え方というか、新しいレベルに、また現状を打破するには弁証法的な考え方が非常に役立ちます。特に現状を打破できずに悩んでおられる方は、まずこれまでの考え方を白紙に戻す必要があるということです。

古いものにこだわりすぎることの弊害も考えられますので、全て否定することができなければ、部分的に否定することからはじめてみるのもよいと思います。見方を変えれば、条件反射にも限界があるということです。