2003年も終わりに近づきました。1年は早いものです。今年、自分自身に何ができたのか振り返ってみると、これといったことが見つかりません。ただ、2つ満足いけることはありました。1つはUHPCの立ち上げ、北海道である程度定期的にクリニックができた事です。
後1つは、マトヴェーエフ氏の招聘です。ある意味では、マトヴェーエフ氏の来日の準備に時間を費やした1年でもありましたが、来日が実現したことはある意味で有限無限に大きかったと思います。
さて今回は、指導者の考え方というところを考えてみたいと思います。2~3週間前に、電車の中で広告を見ていたら「勝つ監督、育てるコーチ」という文字が目に入りました。週刊ダイヤモンド(12/6)という雑誌でした。
早速購入し、読んでみましたところ、早稲田大学ラグビー部監督の清宮克幸氏、横浜F・マリノス監督の岡田武史氏、シダックス監督の野村克也氏、そして智弁和歌山野球部監督の高嶋仁氏の指導に関する考え方が書かれていました。その中で、清宮氏と岡田氏のチーム再生に関する考え方が非常に参考になると思いました。以下にその2人の記事について紹介したいと思います。
『13年間も長期低迷を続けた早稲田大学ラグビー部。それをわずか2年で大学日本一に導いたのが、清宮克幸監督だ。従来の「早稲田ラグビー」の常識を打ち壊し、名門を復活させた強烈なリーダーシップの本質に肉薄した。
「名門ワセダを復活させたカリスマ」。今ではそう称される清宮克幸だが、監督就任が明らかになった2001年2月、学生幹部は、この人事を拒否した。早稲田大学ラグビー部の監督人事は、最終的に学生幹部たちの同意を得て決まるのが恒例だ。結局はOBによる懸命の説得で監督就任が決まったが、学生が突きつけた不信任は重くのしかかった。
なんとも後味の悪い滑り出しだ。勝てるチームをつくるどころの騒ぎでは、普通はない。
だが、清宮は学生の不信任を逆手に取った。「僕を希望していないと聞いた時点で、ならば初日に洗脳してしまおうと考えた」。2001年3月、清宮は100人からいる部員に対して言い放つ。
「おまえたちを日本一にしてやる」
想像もしなかったひと言に、学生は度肝を抜かれただろう。だが、本当の驚きはそれからだった。パソコンを使って前シーズンにおける早稲田の全試合を数値化し、ライバルの関東学院大学と比較分析。
ボールを落としたり、密集で相手にボールを奪われたりした単純ミスの数まで指摘し、「今までの早稲田ラグビーを否定した」。
清宮を拒否していた学生たちは、驚きのあまり口を開けていた。そのとき、清宮は「よし、これでいける」と確信したという。大風呂敷だけでは学生はついてこない。精神論も時代遅れだ。最初に「日本一」という目標を語り、次に勝つための具体的な方法論。この組み合わせこそが、学生の信頼を一瞬にして獲得し、リーダーシップを確立したポイントだった。
ラグビー部の寮には、1日、3ヶ月、1年単位の練習スケジュールを掲示した。いわば工程表だ。この工程表によって、選手全員が「1年後にどういうチームを目指すのか」というイメージを共有した。
筋トレやランニングだけでボールに1回も触らない日があるかと思えば、戦術のチェックだけで汗もかかないうちに練習が終わる日もある。1日の練習時間は4~5時間から2時間に短縮され、「勝つための練習以外はやらなくなった」。
勝つための練習とは、ミスをなくし、後半最後の1分まで走り抜ける体力をつける練習である。その成果は1年目から表れた。慶応、明治を連破し、対抗戦グループで優勝。大学選手権では関東学院に惜しくも敗れたが、2年目には雪辱を果たした。
今シーズンも負けなしの快進撃を続けている。
サントリー入社3年目にラグビー部の監督となった清宮には、苦い思い出がある。監督だけでなく、コーチ、果てはマネジャーの仕事まで一人で抱え込み、成績が急低下したのだ。「間違ったリーダーシップを発揮してしまった」と反省した清宮は、早稲田の監督就任に当たって信頼するスタッフを自ら口説き、完壁に脇を固めた。
選手に対しては、「誰が見ても失敗とわかるプレーについては、あえて指導しない」。むしろ大事なのは、そのミスを引き起こす一歩前のプレーで練習をやめさせ、選手に問題点を考えさせることだ。失敗をあげつらうのではなく、その原因について考えさせることに意味がある。
企業の中間管理職も見習いたい指導のコツだ。「楕円のボールだって練習すれば、どちらに転がるかわかる。ラグビーは偶然のスポーツではない。きわめて合理的に勝敗は決まる」
監督就任から2年。当時の2年生が今では4年生である。論理的思考をたたき込まれた学生のなかには、いまや「ミニ清宮がぞろぞろいる」。早稲田の黄金時代は当面続きそうだ。』
『スポーツ選手は一般に個性派揃いだ。彼らのベクトルを1つに合わせて、持てる力を最大限発揮するのは、容易なことではない。
「100%の力で練習しないやつを、オレは相手にしない。だが、全力で練習に立ち向かってくるならば、オレは絶対に見捨てない」 昨年末、横浜F.マリノス監督に就任したばかりの岡田武史は、選手を前にしたミーティングで最初にこう宣言した。
かつては優勝争いの常連だったマリノスだが、2001年には年間順位13位に落ち、J2降格の危機に瀕していた。組織のゆるみを見て取った岡田は、先手を打って「信賞必罰」を掲げたのだ。
練習で手を抜けば、たとえ有力選手だろうと、いっさい特別扱いはしない。実際、ある有力選手に対して、「オレの考えに納得しないなら試合には出さない。試合に出られなければ、お互いにとって不幸だから、ほかのチームに行ってくれ」と突き放したこともあるという。柔和な表情からは想像もつかないほど規律に厳しい。
マリノスの前に監督を引き受けたコンサドーレ札幌では、ゴミやスパイクが散らかるクラブハウスの掃除に始まり、ロッカールームでは雑誌・マンガを読まない、試合の行き帰りのバス内では携帯電話禁止…と校則並みの規制を次々に打ち出した。
わずかな規律のゆるみが、選手をだらけさせ、試合における戦術の誤差を修正不可能なレベルに広げていく。岡田が信賞必罰に徹底してこだわるのは、それが怖いからだ。他人に厳しく、自らにも厳しい。選手と食事に出かけることは、まずない。
選手評価の基準を公平公正にするため、ストイックなほど馴れ合いや温情を切り捨てる。
選手は否応なく引き締まり、練習の真剣さも違ってくる。コンサドーレを就任2年目でJ2優勝に導き、J1のマリノスを早くも今年第1ステージで優勝させたチーム再生の手腕は、信賞必罰の組織管理に裏打ちされている。』
2人の指導者の考え方は、まさに弁証法でいうところの「否定の否定」という考え方です。現状を打破するには、現状やこれまでの考え方を一度完全に否定してしまわなければいけません。その勇気がもてなければ再建ということばは使えないのです。
経済界でいえば、日産自動車のゴーン社長も同じ考え方のもとに日産を再建したのです。しかし忘れてはいけないことは、なぜ現状がこのようになったのかという原因の洗い直しであり、分析が必要であるということです。
新しい年を迎えようとしている現在において、もう一度自分自身が何をしたいのか、それを実現するためには何をしなければならないのか、これまでを振り返りながら考えてみてはどうでしょうか。