2003年 7月 の投稿一覧

課題図書として|ニュースレターNO.075

知人から次のようなメールをいただきました。

『さて先日購入した本ですが、「ホームランはなぜ打てるのか」(湯浅景元著 青春出版社 2003.5.15発行)というものがあります。先生はご存じの事と思いますが、中京大の体育学部の教授が著者です。ホームランバッターの技術を科学的に追った物です。

「面白いなー」と思う部分と「そうかなー」と思う部分が混ざっているように思います。ぜひ、先生のご意見をお聞きしたいのですが、いかがでしょうか?』

残念ながら手元になかったので、早々に購入し、読んで見ました。内容的にはバイオメカニクスの分析による解説になっていますが、つじつまが合わないというか、強引な相関関係になているところもみられます。しかし、そんなことを別にすると参考になる内容も多く見つけることができました。

今回は、その本から私なりに参考になるところ、押さえておくべきところをピックアップしてみました。

・ ボールの飛距離は、打球の「初速度」と「回転」の2つの条件で決まる。この2つの条件がうまく組み合わされたときにホームランが生まれる。

・ 打球の初速度とは、打ち返されたボールがバットから離れた直後の速度のこと。打球の初速度が5%アップすると、飛距離は10%以上も伸びる。

・ 最も飛距離が長くなるのは、打球が毎分4000回転で逆回転しているときである。毎分4000回転の逆回転を打球にかけるには、バットをボールの中心から7㎜下に当てることが必要である。

・ 打球の初速度の大きさは、バットとボールがぶつかる直前のバットの速度(スイング速度と呼ぶ)によって決まる。

・・・ここでの初速度の説明がインパクト前に変わっています。以降の初速度の説明はこれに準じているようですが、ボールがバットから離れた直後の速度という説明もまたでてきます。インパクト前が速くても、ボールに押し込まれることもあることから、やはりボールがバットから離れた直後の速度とするべきと思われますが。

・ ホームラン打者のバットスイング速度は

 王 155㌔ 松井159㌔ イチロー158㌔ 野村152.6㌔ 門田153.4㌔

ボンズ165㌔ マグワイア165㌔ ソーサ167㌔ ハンク・アーロン162.9㌔

ベーブ・ルース162㌔ ウィリー・メイズ157.7㌔

・ 相手投手の投げる最高速度と同じくらいの速度でバットをスイングできなければ、ホームランを量産する打者になることはできない。

・ ホームラン打者になるには速筋線維の割合が高く、よく発達していることが必要である。バッティングは0.2~0.3秒間に大きな力を瞬間的に出す運動で、速筋だけが活動する。松井は塁間を秒速8mで走る。

100mを12秒5で走るスピードに相当するので、このスピードから速筋の割合を推定すると筋肉のほぼ65%速筋であるといえる。陸上の短距離選手に相当し、時速158㌔という日本人選手最速のバットスイング速度を出せるのも当然であろう。

・・・100mが12秒5というのは、ほとんどのプロ野球選手が該当すると思われ、むしろ遅いほうになるでしょう。最速のバットスイングと結びつけることには疑問があります。

・ 目の特徴は、ホームランを打つときにも当てはまる。目を大きく移動してはいけない。ホームラン打者の目の位置がバッティング中にどれだけ動くか調べた。構えのときからインパクトまで目は下に向かって移動していく。

この時の目の下行距離は平均16cm。目の前からインパクトまで、目はあまり大きく動かないほうがよい。移動距離が30㎝以上になると、バットでボールを打つ確立はかなり落ちる。

・・・この調査の中で、松井の目の下降距離は17cm、ボンズは23cmになっている。バットがボールに当たる確率についていえるが、ホームランと結びつけるのはどうだろうか。

 ・ 運動量だけで見れば、バットのスイング速度が同じなら打球の速さはバットの重さをできるだけ重くしたときに最大になる。松井のバットは910g、ベーブ・ルースは1300g。

・ バットの最適重量は、理論式によって420gという値が導かれている。物理的な計算の上では、ホームランを打つためのバットの重さは420gあれば十分となる。しかし、この重さのバットは実用的に作れない。

・ ホームラン打者がボールに当たらなくてもよいからとにかく全力でバットを振ると、時速170㌔は出る。実際にホームランを打つときのバットのヘッド速度は時速150~155㌔。最高に速く振れる速度の90%にヘッドスピードを抑えてボールを打ち返している。10%落とせば、バットコントロールはよくなってボールを打ち返す確率が高まる。

・ 打率の高さとホームラン数の間には、はっきりした因果関係が成り立っている。ホームラン打者は、ホームランを打つことよりも、まず打率を上げることを基本にしていると考えてよいだろう。そうしなければホームランの量産は期待できない。打率と本塁打数の間には、比例関係が成り立つ。この打率と本塁打数の関係から、次の式を導き出すことができる。

本塁打数=(242.21x打率)-39.351・・・この結論はほとんどのホームランバッターに当てはまらないと思われます。30本以上打つには3割、50本以上打つには3割7分以上、これが当てはまるのは、この調査だけと思われますが、どうでしょうか。ホームランは打率が高くなれば打てるということでしょうか。

・ ホームランを量産しつづけている打者は、投手が投げたボールにバットを確実に当てる、そしてボールを打ち返すことができるゾーンを広げる、という努力をしている。・・・この考え方は強引というか、まずありえないと思われます。打率をあげるためにはそういえるでしょう。

どのコースもホームランにしているのではなく、ホームランを打てるボールを確実に捉えるということだと思われますが。

・ 打者がボールを打つときには、脳の中で発動→判断・企画→実行という作業が行われる。ホームラン打者は投球されるボールに対応して適切な打ち方を判断し企画するまでの時間が普通の打者たちよりも長い。・・・このことはホームラン打者のバットスイングの速さを意味しているのでしょう。

・ ホームランになるための打球の初期条件は、打球の初速度が大きいこと、打球が25~35度の角度で飛んでいくこと、打球に1分間で4000回転ほどの逆回転がかかっていること。・・・ここでは、再度打球の初速度になっています。

・ 筋肉の量は、体重と体脂肪率がわかれば、「体重x(100-体脂肪率)x0.65」という計算式により推定することができる。清原は54kg、松井は49kg、ボンズは54kg、マグワイアは59kg、日本のプロ野球選手の平均の筋肉量は43kg。

・ 筋肉が強ければ、大きなバットスイング速度を生み出すのにからだをあまり大きく動かさなくてもよい。清原と松井は、スイング方向と逆方向に状態をねじったり、投手側の足を引き上げるバックスイング動作が小さい。そして、すり足で踏み込んでスイングを行っている。筋肉が強くなければこの打法を行うことはできない。ボンズとマグワイアもすり足打法である。

・・・筋力の強い選手は、すり足打法でホームランを打てるということでしょうか。

・ 筋肉の量が尐ない選手(王、門田、掛布、衣笠)、バックスイングで状態を大きくねじると同時に投手側の足を高く引き上げる。そしてからだのねじれを戻しながら脚を振り下ろして着地する。全身の運動量を利用し、しっかりと踏ん張ることができるので、筋力が多尐劣っていても大きなスイング速度を生み出すことができる。

・ 体重が90kg以上になると筋肉だけでなく体脂肪も増えてくる。体重は90kg前後にとどめながら筋肉を太くしすぎないように適度な筋肉の太さに維持することが大切である。・・・この見解は、筋肉が太くなりすぎると筋束角が大きくなり、筋肉の収縮が遅くなるというところからきていますが、特にどの部分の筋肥大に注意が必要なのでしょうか。

・ ホームラン効率が悪くて打率も低い選手は、「決め付け型」予測で打っていると判断できる。逆に、ホームラン効率がよくて打率も高い選手は「修正型」予測で打つタイプだといえる。・・・このことから、ホームランを打つには予測は関係がないということになるのでしょうか。

・ 清原、マグワイア、ソーサのタイミングのとりかたは、ボンズや松井らに比べて投手やボールの動きをみる時間が短くなるので、バットとボールがジャストミートする確率は低下する。しかし清原と松井、ソーサとボンズのバットスイング速度は同じなので、清原とソーサが松井やボンズのようなタイミングのとり方ができるようになれば、さらにホームランを量産し、高打率を残すことが出來る。

・・・上では同じすり足打法と書かれていますが、タイミングのとり方は個性であり、その本人の感覚に依存するもののように思われます。ソーサのバッティングもまだまだといえるのはなんとも答えようがありません。

・ 物理学では、平行にまっすぐ移動する運動を「並進運動」、回転する運動を「回転運動」と呼んでいる。ホームラン打者は並進運動に依存しているタイプや回転運動に依存しているタイプに分けることができる。運動量とは重さと速度を掛け合わせたもので、運動の勢いを表す。

全身の並進運動で生まれた運動量は、両足で体に制動をかけることによってバットへ伝えられる。松井と清原のホームランの原動力は、大きな並進運動から生まれている。ボンズは並進運動が小さく、体幹や腕での回転運動も平均的なスイングである。

時速160㌔を超えるスイング速度が生み出せるのは、バットスイングでの筋肉の伸ばし具合がよいからである。テークバックを松井の2倍ほどの速さで行い、肩、腕、体幹部、足の筋肉をすばやく引き伸ばして大きな弾性力が発生できる。・・・ホームランを打つには、「並進運動」と「回転運動」のどちらに依存しても構わないということでしょうか。

・ 高橋由伸は、時速140㌔のバットスイング速度でホームランを打つ。彼のうちホームランの大部分は、ボールの中心より7㎜下に当たっているときに生まれている。スイング速度が遅くてもボールの中心よりも7㎜下にバットを衝突させて打球に適度なスピンをかけることができれば、ホームランを量産することも可能である。

・・・理屈に合わない。バットスイング速度が速くなくてもホームランを打てるということは、ホームランを打つ条件は2つであるに限らないということでしょうか。

・ バットを全力で振るときには、地面に対して体重の3倍の力が加わる。これに耐えるだけの脚力がなければならない。

野球で言う脚力は、三塁打と盗塁の数がその指標となる。この数が多いほど脚力が大きいと判断できる。松井の三塁打の数はボンズの1/3、盗塁は1/5、この結果から松井の脚力はボンズに比べると劣っている。

・・・メジャーの球場の広さを考慮する必要があります。今年、松井は二塁打と三塁打をどれだけ打っているでしょうか。それと日本の四番打者は盗塁に関してどのように考えられているのか、そのあたりの考え方の違いを考慮すべきではないでしょうか。また、盗塁は足の速さではなく、テクニックのほうが求められるものですから、脚力の指標に三塁打と盗塁はないと思うのですが。

・ 松井の脚力はボンズより劣っているが、野球選手の中でも優れている方といえる。一塁到達時間は、松井3.62秒、イチロー3.43秒、アロマー3.60秒、走塁スピード松井7.58m/秒、イチロー8.00m/秒、アロマー7.61m/秒。・・・松井の脚力は相当なものと思われますが、残念なことにここではボンズのデータは見られません。

おおよそのところだけ拾い上げましたが、結局のところタイトルにある「ホームランはなぜ打てるのか」ということの結論は、どこにまとめられるのでしょうか。

ボールにバットがどれくらいの速度で当たるのか、そこにはある程度の速さが必要だということですが、時速140㌔でもホームランになるとあるし、実際にはもっと遅いスイング速度でもホームランは生まれているはずです。後1つの要因であるボールの逆回転数が毎分4000回転していれば角度が合えばスイング速度が遅くてもホームランになるということもあります。

また球場の環境やグランドコンディション(特に風)にも大きく影響すると考えられます。ホームランを打つには脚力が必要で、足の速さが必要ということになれば、野村や門田などはその範疇に入らなくなるでしょう。

いろんなホームランを分析していくと結論は出ない気がしますが、ここにあるように何人かの選手だけを取り上げれば、まとまりのある方向性は見えるでしょうね。

いつも思うことですが、結果を追いかけて、それを理論的にまとめようとするとそのまま正解の答えもあるし、まったく矛盾する答えが出ることも当然と思われます。

このようなデータ分析を読む上で大切なことは、その内容のどこからそれをどのようにトレーニングを組み立てたり、からだの使い方の参考にすればよいかということになるのではないでしょうか。

末續慎吾の走り方|ニュースレターNO.074

高岡英夫氏のホームページを見ていたら、興味深い記事を発見しました。それは、今年の日本陸上選手権で、200mを今季世界最高の20秒03で走った末續慎吾選手の走り方についての解説です。

先般のニュースレターでは、二軸理論なるものも少し取り上げましたが、なかなか面白い解説がなされていました。所々むつかしい用語も出てきますが、参考になる解説だと思います。今回はその一部を紹介します。

解説は、末続選手の走りがグニャグニャに見えるのはなぜかということと、どのように推進力を得ているのかということ、そして「空中脚腰下垂」の働きのところだけピックアップしてみました。図についてはここでは紹介できませんが、じっくり読んでいきますと非常に奥深いものを感じることができます。

 

末續選手の身体がグニャグニャしているわけ

ここからじっくりと末續選手のグニャグニャの身体とパフォーマンスの関係を運動科学の力を使って解き明かしていきましょう。

図A、図Bは水戸国際陸上の100mで10秒03を出した時の彼の写真を線画に起こし、説明のためのラインを描き入れたものです。図Aは右足が接地する寸前、図Bはその逆で左足が接地する寸前で、実際の彼の走りでは図Aと図Bの状態が交互に表れます。これらを見ると一見して彼の身体がグニャッとしているのがわかります。

彼の身体では・で示したラインに導かれて、左右にうねる波動が起きていることがわかりました。両肩関節のすぐ下を結んだ線、両股関節を結んだ線です。

彼が肩と腰で挟み込んだ部分を一歩ごと左右交互に閉じたり開いたりして走っているということです。私はこの動きを「肩腰交互開閉」と呼んでいますが、これも彼の身体が左右の波動運動を起こしていることを示すものです。

ということで、末續は身体を左右に波のように動かしているために、肩と腰の間が左右交互に開閉している。その結果グニャッとした印象になることはおわかりいただけたと思いますが、その動きは完全に左右対称ではありません。

図Aに比べて図Bはかなり右に片寄っています。頭にかかる波も強く右寄りになっているために、首が右にかなりかしいでいます。完全に左右対称なら・も図Bでは右肩が上がるべきですが、僅かに下がったままです。つまり彼の走り方は左右アンバランスなのですが、この点については後ほど考察することにして、まずは・の波動のラインから考えられることについて話をします。

 

「ちょっと接地しただけで自然に前に進む」理由

このトカゲ型、すなわち左右にグニャグニャする波動運動と前後の推進力との関係について説明します。

まず、図A、図Bを見てください。浮いている方の脚、すなわち空中脚(図Aでは左脚、図Bでは右脚)の股関節を見ると、接地しようとしている脚、接地脚のそれより下がっています。

私はこの現象を「空中脚腰下垂」と呼んでいます。空中脚の股関節が接地脚のそれよりこれほど長い間低いままというのは大変珍しいことです。

図Cの朝原選手を見てください。これは図Bと同じ局面ですが、彼の場合はほぼ完全に肩の線と腰の線が水平で、空中脚腰下垂は全く起きていません。

それに対し、末續選手は離地したあと、その脚の股関節をできるだけ低い位置に保ちつづけ、図A、図Bの局面の次の大腿が上がり切る局面になって、ようやく高くしているのですが、実はこれが彼の速さの大きな秘密の1つなのです。

この空中脚腰下垂が起きている時、身体の中で起きていることを見てみると、末續選手の場合、空中脚の側の大腰筋が垂れ下がると同時に後ろに残り気味になって引っ張られて伸びている(これを厳密には空中脚腰後下垂と言う)、つまり大腰筋に大きな張力がかかった状態になっているのです。

大腰筋は胸・腰椎と両股関節のすぐ下の大腿骨をつなぐ筋肉で、これが後ろ下方に引き伸ばされた後に縮む時、大腿骨が前方に引き上げられる、つまり大腿が前上方に突き進むのです。

筋肉というのは張力がかかるほどに、強い力を発揮する性質をもっています。つまり伸ばされることによって、エネルギーが溜まっていくわけです。ゴムを引っ張った状態を想像してください。

同じ長さのゴムならば、その長さがより長くなるように引っ張るほど、戻り幅が大きくなって、結果たくさんのエネルギーを生みますが、ちょうどそれと同じことが彼の空中脚側の大腰筋で起きているのです。

つまり、彼は空中脚の股関節をできるだけ粘り強く下に落としたまま運んでいって、大腰筋に張力を溜めに溜めたところでパッと大腰筋を収縮させ、大腿を前に一気に振り出している。これが彼のもも上げなのです。

さらに、離地してから脚が前方に振られるプロセスにおける彼の脚のスピードを細かく見てみると、前半は空中脚腰下垂をしながら、比較的ゆっくりしているのですが、後半に入ると急速にスピードが上がり、一気に大腿が振り上げられ、大腿が上がり切った時、最高スピードになっているのです。

大腿が上がり切った時のスピードが速ければ速いほど、そのまま前に行こうとする移動慣性力がより強く大腿に働きます。勢いよく前に動いている物は急には止まれません。

それを引き戻そうとすると、引き戻そうとした身体自体が前へ運ばれるのです。走りでいえば、振り上げた大腿が切り返されて後ろに引き戻され、膝関節も伸展してきた時に身体がグンッと前に進むのです。

つまり、彼の身体は足で地面を掻く時だけでなく、空中でも進んでいる。だから速いのです。100mで10秒03を出した後、「それほど力を入れなくても、ちょっと接地しただけで自然と前に進む、滑るような感触でした」と彼は言っていましたが、今説明したように、空中脚の切り返しの局面でも、体幹部を推進させる身体の使い方ができると、このようなことが起きてくるのです。

下手な走りほど接地直前の体幹部のスピードは落ちるのですが、空中脚腰後下垂が起き、切り返し直前の脚のスピードが速く、そのスピードを慣性力として利用できると、体幹部がスピードに乗ったまま接地できるために、体幹部と接地脚の速度差が少なくなることで、接地がとてもなめらかになるのです(これを体幹接地脚速度一致化と言う)

また体幹部をこれだけ柔らかく使え、低重心のまま走っていることもなめらかな接地と関係しています。体幹部が硬いとどうしても身体が上下動し、その結果、ガツン、ガツン地面を蹴る動きになりやすいのです。「地面を蹴る」という運動感覚があったら、9秒台の選手にはなれません。

9秒台の選手は、接地時の感覚を「軽く接地するだけ」とか、「やさしくやさしく地面に足をおいていくだけ」というように表現するのです。

9秒を目前にしていた時の伊東浩司選手もそうでした。ちなみに日本の古来の武術では、蹴ってはいけないという教えがあります。

その世界で本当に優れた身体の使い方ができる人は、どんな高速運動をしても地面を蹴らないものですが、そのような身体の使い方と短距離のトップレベルの接地の仕方には共通するメカニズムがあります。

 

「空中脚腰下垂」とグニャグニャした動きとの関係

なぜ末續選手はこのような空中脚腰下垂ができるのでしょうか。実はその秘密が、先ほどお話した肩腰交互開閉、すなわち、身体を左右にグニャグニャさせるトカゲ型の動きにあるのです。

図Aの局面で言えば、左肩と左腰の間を伸ばして開いていく一方、右肩と右腰の間を縮めて狭めていくと、右側の体幹部(これを右側体と言う)の収縮エネルギーで左側体が引き伸ばされるために、大腰筋に大きなスレッチがかかり、そこにたくさんのバネ性の伸張エネルギーが溜まりやすくなるのです。

つまり肩腰交互開閉が起きると、肩と腰ではさみ込まれた部分の筋出力が、開かれた側の大腰筋のより強大な筋出力につながり、そのエネルギーで脚が振り出され、その結果、脚に働く強い移動慣性力でもって、体幹部が前へ放り出されるのです。

さらに、大腰筋が働くと、その共働筋である腸骨筋も強力に働きます。腸骨筋は腸骨と両股関節をつなぐ筋肉です。大腰筋と腸骨筋が強く働くと、股関節の裏側にあって、振り出された脚を後ろに引き戻す働きをするハムストリングスも、それに拮抗するように強く働きます。

すると、移動慣性力で体幹部がグッと前へ進むだけではく、ハムストリングスで脚が後ろに強烈に振り戻されることによっても、体幹部はさらに前に推進するようになるのです。

身体を左右にグニャグニャさせることと身体が前に進むことは、一体何の関係があるのかと思った方も多かったと思いますが、実はこのようなメカニズムで左右の波動運動が、前後の推進力に転換されるように人間はできていて、それを実に巧みに使っているのが末續選手の走りだと言っていいでしょう。

末續選手は他の世界上位のランナーと比べても、日本の朝原選手と比べても、筋肉がほっそりしているので、かなりか細く見えます。それなのに、なぜあれだけ速く走れるのかというと、身体の表面ではなく、目には見えない体幹部の中の筋肉を出力資源にして、そこから生まれるエネルギーでスピードを出しているからなのです。使える筋肉は体幹部の中にいくらでも残されているのです。』

 全体を通して読んで見ると、末続の走りのポイントは次のようにまとめられます。

1. 肩腰交互開閉によって、肩と腰ではさみ込まれた部分の筋出力が、開かれた側の大腰筋のより強大な筋出力につながり、そのエネルギーで脚が振り出される。その結果、脚に働く強い移動慣性力が生じて、体幹部が前へ放り出される・・・対側部の伸張反射を引き出す。

2. 大腰筋と腸骨筋が強く働くことによって、股関節の裏側にあって、振り出された脚を後ろに引き戻す働きをするハムストリングスも、それに拮抗するように強く働いている・・・大腰筋と腸骨筋の伸張反射を引き出している。

3. 1と2のメカニズムによって、左右の波動運動が前後の推進力に転換されるように人間はできている。

4. 身体の表面ではなく、目には見えない体幹部の中の筋肉を出力資源にして、そこから生まれるエネルギーでスピードを出している。

5. 使える筋肉は体幹部の中にいくらでも残されている。