2002年 8月 の投稿一覧

北海道を訪ねて|ニュースレターNO.053

ストレッチ

8月10日から13日まで北海道の旭川の友人を訪ねてきました。せっかく北海道に行くので井内聖先生の指導もかねることにしました。

井内先生は現在北海道の中体連のハードルのコーチもされています。私が行く前日まで全中を目指した合宿をされているということでした。そして最終的には、彼の知人と中学生のハードル選手の指導もいっしょにすることになりました。

北海道には何年か前まではちょくちょく出かけたのですが、そのとき北海道には優秀なジュニアがたくさんいるなと感じていました。その思いは沖繩に行ったときも同じでした。素晴らしい素質を持った子どもの多さにビックリしたものです。実際に、最近の北海道と沖繩の選手の活躍が目立っています。しかし、残念ながら活躍した選手の行く末は他府県の例にもれず残念な結果が見られます。

今回の中学生の中にも、すばらしい素質をもった女の子がいました。運動能力とともに、運動センスのよさにビックリです。こんな女の子が将来社会人になってから世界で戦えるようになってほしいと願うだけでした。最初に中学生のハードルの動きを見たのですが、どうにもバランスが悪く、走り方に問題があるのではと思い、スプリント動作の指導をしました。

案の定、基本的なスプリント動作がばらばらでした。しかし、スプリント動作を指導してから、ハードルを跳ばせると見違えるように素晴らしいものになりました。

中学生は覚えるのも早いし、悪い動きがからだに染み込んでいないこともあり、見る見るうちに上手くなっていきました。その上達振りには、学校の先生たちも驚かれていました。スタートまで9歩でしか行けなかった女の子が知らぬ間に8歩で行けるようになっていました。

この中学生のほかに、大学生と社会人の短距離選手もいっしょに指導しました。2日目は、また違う大学生が2人参加しました。それなりのタイムで走る選手たちでしたが、最大の欠点は、走りに力が入りすぎることです。早く走るためには頑張らなければと言うことです。結局それがマイナスに作用し、エネルギーの無駄使いをしてしまうのです。

もちろん中学生もそうです。2日間私が教えたことは、自然に進むことをからだで感じることと、楽をして走ることでした。どうすれば自然に進むのかそれがランニング指導のスタートです。

久しぶりに中学生を指導して、私もよい勉強になりました。1日目の夜は、練習を見に来られた先生とその他私の話が聞きたいという先生方が集まって一杯飲みながら、どのような教え方をすればよいのか、どのように動きを見ればよいのかなどいろんな話をしました。非常に有意義な時間が持てました。

2日目の練習が終わった後、友人と札幌で落ち合い、車で旭川に行きました。その道程はまるで外国の草原を走っている感がしました。その夜には、旭川で整骨をやっておられる知人の浅川さんと士別で鍼灸師をされている西條さんとお会いすることになっていました。それに、浅川さんの知人で私に会いたいというPTの方と高校の先生も一緒にこられるということでした。

また新しい出会いです。西條さんには10年以上ぶりでしょうか。懐かしいお顔を拝見でき、非常に嬉しかったですし、懐かしかったです。そこでは私の友人も一緒になり、場所を変え5時間ほどいろんな話をしました。旭川まで来てこんなにいろんな方と出会え、いろんな話ができたことは感激です。

遅くまで語り合った翌日、旭川龍谷高校の陸上部長距離コーチをされている先生から、練習を見てほしいということで、競技場に出向きました。男女で10名ほどでしたが、一番速い男子が1500mが4’16”でした。早速ジョッグをしてもらい走りを見せてもらいました。先生とどこに問題があるのか、どうすればどのように変わるのか話をしながら、指導をしました。

ポイントはスムースに早く脚を動かすということだけです。その意識付けをさせた後、その成果を見るために1000mを走らせました。その結果は、男子は400mを60秒で通過し、全員ベストで走りました。女子もまた同様でした。子どもたちは不思議がっていましたが、それは不思議なことではなく、現状の力を示したに過ぎません。

ということで4日のうち、3日は指導することになりましたが、教えることは楽しいものです。子どもや選手たちができるということを感じたときの表情がなんともいえません。

これが将来世界で活躍できる選手につながってくれればこれ以上嬉しいことはないのですが、競技場で多くの選手の練習を見ていると、何のためにこんなことをやるのか、やっているのか分からずにいる気がしてなりませんでした。そんな練習をして何になるのか、目的があって手段がある、最も基本的なことが欠けているように思えました。これはどのスポーツも同じだと思います。

今回の北海道訪問を気に、来年の夏から、T&Fキャンプを北海道でやりたいと考えています。選手のための、指導者のためのキャンプです。

大阪は日々36度でしたが、札幌、旭川は16~18度でした。汗を感じない4日でしたが、素晴らしい人たちに出会えた4日間でした。

最近の出来事|ニュースレターNO.052

大阪は連日35度以上の暑い日が続いています。先日旭川の友人に電話をすると『20度以下で寒いよ』ということで日本の広さに驚きです。先週で高校野球の夏の予選会も終わりました。以前にご紹介した長野県の丸子実業高校は、決勝まで進出しました。

8回の表で5対0とリードしておりましたが、8回の裏に3点、そして9回の裏に3点入れられてサヨナラ負けとなり、惜しくも甲子園出場を逃しました。ほぼ甲子園と思ったときに、投手がストライクが入らなくなってしまったそうです。

監督さんから連絡をいただきましたが、当然のように力なく、落ち込んでおられました。しかし、私としては、あの選手たちが決勝まで進出し、よくここまで指導されたと監督の竹内先生に対して敬意を表したいと思います。そんなに上手くない子どもたちでしたが、先生のきちっとした指導がまさに実を結んだものと思われます。やはり1つ1つの積み重ねの大切さを改めて認識させていただきました。

からだづくりと、1つ1つの動作の習得を根気よく積み重ねることの大切さです。わかってはいるものの、ついつい技術練習のみに走りがちな野球界においては、丸子実業の練習を一度見られるとよいと思います。竹内先生が指導されて、初めての決勝進出でしたが、後一息というところで、運を引き寄せることができなかったようです。

運は一人だけの力ではなく、指導者、選手、周囲の人たちの意識が揃ってこそ引き寄せられるものだと思います。そこには変な欲やおごりはありません。しかし、新たな歴史を作られたのですから、これからはさらによいチーム作りがなされるように思います。またそのように願っています。

その報告を受けた日に、私は福島におりました。現役を退き、指導者として本格的な指導に入られた福島県の雪下先生のところです。オフのトレーニングの成果からインターハイの陸上競技で、女子の走り高跳びと1600mリレーに出場できるようになったという報告を受け、何かアドバイスができればということでその指導に出かけておりました。

県立高校ですが、しっかり指導されていたこともあり、タイムの割にはなかなかよいセンスをした子どもたちが多く見られました。

1600mリレーは、5月の県大会では4’05”71で6位でしたが、次の6月の東北大会では4’を切り、3’59”96で6位に入り、全国大会出場となりました。高跳びは、県大会で1m45cmで5位でしたが、東北大会では1m61cmの自己新記録で優勝しました。東北大会が終わってから、連絡が入り、それではということで、400mと高跳びのために特別な3週間のプログラムをアドバイスしました。その成果を見ることと、ランニングテクニックの指導をするために出かけました。

私が行く前に、7月14と15日に県の選手権があったそうです。高跳びは1m60cmを跳んで1m63cmに挑戦しましたが、残念ながら落としてしまったそうです。私が指示したウエイトトレーニングの疲れがかなり残る状態での跳躍であったそうですし、どしゃ降りの雨の中だったそうです。

また1600mリレーは3’59”46と東北大会の結果を0.5秒上回って優勝したそうです。今まで勝てなかったチームにも勝って選手たちは大喜びでしたそうです。そして400mのレースでも3人が自己ベストで、うち2人が決勝に残り、大変ハードな日程の中でも(1日目は2人が400mを4本走ったそうです)しっかりとしたラップタイムで走ってきてくれたということです。

雪下先生のところは、4月に女子高から男女共学になり学校名が変わって会津学鳳になっていました。学校は白虎隊で有名な会津若松の鶴ヶ城のそばにありました。部員はほとんどが女子で、男子は1年生のみでした。子どもたちを見たときに、先生の指導がこれまでどのようなものであったか、すぐにわかりました。

それは子どもたちの体型が違うからです。下肢の筋肉も、前後に発達している様子が見て取れました。冬季にじっくり体力づくりに取り組んだ成果が見られました。先生の指導は、過去に私が先生に指導したことが多く取り入れられており、私のアドバイスに対しても選手の理解が早く、自然にからだを動かせるようになりました。

ポイントは、如何に楽に走らせるかということです。このことは短距離も長距離も変わることはありません。あとはスピードに乗ること、加速する感覚を身につけさせることです。そのためには、全力疾走は適しません。

全力という表現は、力が入ってしまいますので、スムースに動きを止めることなく、脚の回転を速めていくリズムを覚えさせます。スプリントにはいろんなドリルというものをやるのですが、問題は、そのドリルの動きがスムースに行われているか、どこかで一瞬動きが止まらないか、また脚は平行に動いているか、同じ動きになっているかなどのチェックが必要です。

後は、重心が勝手に前に進むという姿勢を覚えさせることです。このようなポイントで2日間指導したのですが、子どもたちはみんなリラックスしてスムースに走れるようになってきました。後はからだづくりだけですが、高校生の段階では、80%は必要なからだづくり、体力づくりに当てるほうが結果的には速く走れるようになると思います。

練習やトレーニング方法についても先生といろんな話をしました。計画的に、段階的に、積み重ねていくことの大切さを再度理解されたと思います。私も久々に高校生の指導をしたので非常に楽しい時間が持てました。

帰りに、福島空港の近くに円谷幸吉記念館があるということを聞いたので、電話をかけて訪ねることにしました。それは兄弟の方が形見の物を集めておいてあったところ、いつのまにか記念館として知られるようになってしまったそうです。家の離れのようなところで、電話をかけてから訪ねるようになっていました。

円谷選手は東京オリンピックの10000mで6位入賞し、マラソンで3位になられました。私がちょうど中学1年のときでテレビで見ており、よく覚えておりました。遺品やいろんな思い出の写真なども私が覚えているものがたくさんあり懐かしく思いました。

次のメキシコオリンピックも目指されたのですが、アキレス腱の故障のために十分なコンディショニングができず、責任感からメキシコオリンピックの1968年の1月8日に自殺されました。27歳でした。座右の銘が『忍耐』であったのですが、性格の生真面目さからか自衛官であったからか、その責に耐え切れなかったのでしょうね。私が高校2年のときです。

朝、体育教官室にいくと、自殺されたことと、その遺書を読んで聞かされ、その内容もよく覚えております。その遺書も見せていただきました。線の細いこじんまりした字で書かれておりました。ただ、その遺書には日付だけは記されておりませんでした。

そして、東京オリンピックで履かれたスパイクとマラソンシューズも見せていただき、触らせていただきました。驚いたことは、当時のスパイクには考えられない踵に軟らかいパッドが入れられていたことと、マラソンシューズが皮製であったことです。シューズは何れも「オニズカタイガー」(現在のアシックス)でした。福島県からは多くの優秀な陸上選手が出ているようです。これも出かけてみて始めて知ったことです。貴重な情報が得られ、満足して福島を後にしました。