2001年 10月 の投稿一覧

マトヴェーエフ氏の論文集|ニュースレターNO.033

マトヴェーエフ氏は、これまで350以上の著書・論文を書かれています。その著書は、30カ国以上で翻訳され、その理論の実践が行われています。

私が今年中国に行った時、マトヴェーエフ氏の1997年の著書(スポーツ原論)が完璧な形で翻訳出版されていました。残念ながら、日本ではマトヴェーエフ氏の著書は、マトヴェーエフ氏が1977年に書いた『スポーツトレーニングの基礎』が白帝社から、1985年に『ソビエト・スポーツトレーニングの原理』として翻訳出版されただけです。

しかし、後1つ、著書ではありませんが、1964年に書かれた『スポーツトレーニングの周期化の諸問題』の再版のドイツ語訳が、陸上競技マガジン1976年5月から1977年6月まで田島直人氏の翻訳で連載されました。

著書については、この2冊しかありません。『スポーツトレーニングの周期化の諸問題』は、マトヴェーエフ理論の原点になっている著書で、その原著に日本語で触れるには、それしかありません。

その他、マトヴェーエフ氏の論文は、ソビエトの体育とスポーツ関係の書物の中に分担執筆されているものを幾つか見つけることができます。

それらの論文は、主に旧ソビエト時代1925年に創刊された『ТЕОРИЯ И ПРАКТИКА ФИЗИЧЕСКОЙ КУЛЬТУРЫ-体育の理論と実践』に掲載されたものです。この雑誌、現在も専門誌としての地位が高く保たれています。これは、日本でも購入することができます。

私は、マトヴェーエフ氏にお会いし、マトヴェーエフ氏のこれまでの350以上に及ぶ著作リストを作成していただき、『ТЕОРИЯ И ПРАКТИКА ФИЗИЧЕСКОЙ КУЛЬТУРЫ-体育の理論と実践』に掲載されたマトヴェーエフ氏の論文も集めました。

そうした中で、マトヴェーエフ理論の原点に関わるものから、21世紀最初で最新の論文に至るまで、主なものを論文集としてまとめました。

ほとんどは、ロシア語を翻訳していただいたものを私が校正し、一部の論文は、長いもので、一部を割愛したものもあります。1958年から2001年まで、全部で11の論文が収めてあります。

特に、1958年の論文には、マトヴェーエフ理論と呼ばれる『ピリオダイゼーション』について書かれています。この論文が、1964年の著書の中心になっているものです。論文集の半分以上は、『ピリオダイゼーション』と『スポーツ・フォーム』を中心にしたもので、スポーツトレーニング理論をどのように構築すればよいのか、そのことがトレーニング計画を立てる上での基礎になるということです。

中に体育理論に関わるものも含まれています。最後の方では、選手を育成するためのモデルづくりの理論について書かれています。

論文ですので、当然難しいものもありますが、できるだけ理解できるように校正したつもりです。ロシア語の意味は深く、単純な翻訳ではその真意を汲み取ることが難しいようです。

ですから、1977年に日本で出版された本も、そうした意味も含めて多くの方に読まれなかったようです。私自身も持っていますが、半分も読み進めることができませんでした。

専門書であることから、またロシアでは教科書の扱いをしていることから、文章的にも難しくなり、ましてトレーニングの専門分野のところにくると、言葉の表現がなおさら難しくなります。

私自身も翻訳をすることがありますが、その際に気をつけていることは、読む側にとって理解できるかどうかということを気にかけています。翻訳が日本語に代わるだけでは、訳のわからないものになってしまいます。

以前お知らせしたと思いますが、マトヴェーエフ氏の一番新しい著書の翻訳を翻訳の専門家にお願いしているのですが、なかなか進みません。

翻訳していただいたものを自分で読みながら、一字一句、読んで理解できるかどうかというスタイルで校正しています。何とか、マトヴェーエフ氏の考えることを十分表現できればと思っています。

体育とスポーツの指導者、また選手を育成する立場にあるものは、当然マトヴェーエフ理論が理解できていなければなりません。日本には、スポーツトレーニング理論を扱う学会がないことからもわかるように、周辺領域の学会や研究は盛んなのですが、まとめ役としてのトレーニング計画やトレーニング理論が

ほとんどない状況です。マトヴェーエフ氏は、選手を育成するというシステム、スポーツトレーニング理論の構築に携わっているだけでなく、人間にとって体育が如何に必須のものであるか、ということにも心血を注がれています。体育をこよなく愛し、同時にチャンピオンをつくる・チャンピオンになれる道を示されています。

私も、マトヴェーエフ氏とお付き合いさせていただけるようになってから、マトヴェーエフ理論というより、マトヴェーエフという人間そのものに興味を持つようになりました。

考え方、分析の仕方、基本は同じなのですが、何よりその深さが違います。この点は、お会いするたびに実感させられます。広く、深く、関係領域について知る必要があり、それを統合することが目的を達成するということです。

マトヴェーエフ氏のこれまでの研究は、弁証法哲学に基づいたものです。それも弁証法的唯物論です。氏は、哲学においても造詣が深い方です。

ものの考え方、説明の仕方、話の手順にも、そのあたりのことが感じられます。一度、機会がありましたら、マトヴェーエフ理論に触れていただき、どこまで理解できるかということも、今の自分の状況を把握する1つの手立てとなるかもしれません。

サーキットトレーニングについて|ニュースレターNO.32

前回、9月にマトヴェーエフ氏を尋ねた際に、サーキットトレーニングのお話を伺ったことを話しましたが、今回は、その時のマトヴェーエフ氏のお話を紹介したいと思います。尐し長くなりますが、非常に貴重な内容です。

 

サーキットトレーニングについて

『サーキットトレーニングは、すべてMaximal Testから始まる。それは基準を作るためである。基準がなければスタートすることはできない。それによって負荷を全員に同じように与えることができる。

しかし個人的には違うように感じるかもしれない。例えば、腕立て伏せを例にとると、10回やれる人もいれば20回やれる人もいる。サーキットトレーニングでは、同じ程度の負荷を与えるために、Maxの1/2の負荷を与える。そうすることで、全員に比較的似た負荷を与えることができる。

しかし、絶対的な負荷の数値は異なる。ある人は5回、ある人は10回になる。この負荷は、個人のMaximal Testの1/2である。

サーキットトレーニングでは、10のステーションのエクササイズを行う。止まらないで連続的に行う。最初は、個人のMaxの1/2の負荷で行うので、結果的に休みを取らずにエクササイズすることができる。

これはMaxの1/2の負荷だからである。サーキットトレーニングの負荷の変形は、1/2だけでなく、その変形はたくさんある。

仮に、1/1の負荷を与えると、連続的に10のステーションをやることができない。90秒ぐらいの休息が必要になる。サーキットトレーニングには24の変形がある。

それぞれの変形のために、スタート時にMaximal Testの実施は決まっている。我々は10年間そういう負荷量関係の検討を行った。旧東独のドイツ人以外、その問題について詳しく知るものはいないだろう。こういうサーキットトレーニングの教授法を断片的に研究していた。

ドイツのクライストレーニングとサーキットトレーニングは、違うものである。問題は名称ではなく、誰が作ったかと言うことである。旧東独のショーリッチが書いた本に詳しくその教授法が書かれている。

統一ドイツになったとき、政府スポーツ関係者は、東独で出版されたものは全て捨てようとした。それで本屋にもなくなった。

しかし、外国によく出ていた東独のコーチたちは、自分の書類を持って外国の招待を受けていたので、ショーリッチの本も持っていくようになった。

統一後、それほどよいものであることを理解したので、マトヴェーエフ氏のところに連絡をとり、本が欲しいと依頼してきた。「西独の専門家は、それを捨てようとしていたのに、それを送って欲しいとは、・・・」と思い、送ることを見合わせていた。出版社の倉庫には埋まっていたかもしれないが。

東独のトレーニング理論のよいところは、16年間にわたって全国の中学校でこのサーキットトレーニング理論を実験していたことである。サーキットトレーニングの教授法の正しさを自分たちの経験に基づいて、素晴らしく、そして正しいものであることが理解できた。

負荷量は考えて設定したものではなく、自分たちの実践によって決めたものである。サーキットトレーニングの実践によって決まった基準が提案されているので、効果的に使うことができるものである。全部きちっと決められていた。

中学生は、サーキットトレーニングが終わると、心拍数の記録をとらなければならなかった。その結果、トレーニングを受ける学生は、自己コントロールができるようになった。生徒達は、自分の記録帳を持っていた。サーキットを一周した後、身体がどのように反応したか、心拍数を毎回記録した。

普通の負荷に対して、反応がどのように変化したかを調べる。例えば、最初の1週間で心拍数が160、4週間目に130になったとする。それはよい結果であり、次の4週間ではもっと負荷の高いサーキットを行うことになる。そのためにまたMaximal Testをやることになる。

個人的に何回やらなければならないか、個人的に決まっている。次のサーキットの4週間の計算は、新しいMaximal Testの負荷に基づいて行われる。あらゆる方法を使っている。

ドイツ人がつくったサーキットトレーニングの変形は、唯一のものであり、負荷のノルマを決めている。

トレーニングの成績をコントロールするサーキットトレーニングである。その前に作られたイギリスのモーガンらのサーキットトレーニングには、こういうノルマの決定、コントロール(Maximal Test)を定期的に行うことは入っていなかった。

どうして東独と協力することにしたのかというと、組織が素晴らしかったからである。地区ごとにサーキットトレーニングの実験を行った。その後、サーキットトレーニングが効果的な教授法であると理解し、東独全部の中学にサーキットトレーニングを導入した。国家の決定に基づいて、生徒には体育活動の日誌をもたせることにした。

それで生徒達は各自で日誌をつけなければならなかったし、毎回の授業で報告しなければならなかった。また4週間ごとに、日誌を体育教師に渡す。教師はそれを分析・評価し、新しいノルマを決定した。東独の大衆的スポーツにおける改革を起こしたといえる。

東独のハイレベルの選手たちにも、そのようなスポーツ運動の組織が影響している。それで東独アスリートたちの成績も飛躍的に向上した。冬季オリンピックでは、米国、ソ連を追い越した。

1700万人の小さな国であるのに。東独にドーピング使用の話はあるが、それは成績の重要なポイントではなく、全国民の体育的レベルが高くなったからである。サーキットは非常に重要なトレーニング手段である。

60年代中頃から毎年サーキットトレーニングの本が中学の教科書として出版された。しかし、サーキットトレーニングのようなスポーツトレーニング教授法に関する教科書は、統一ドイツになってから禁止された。その他の専門的文書の公開も禁止され、亡命者だけが世界に発表したのである。

サーキットトレーニングの基礎はソ連にあった。それは完全に発達したものではなく、最終的な変形を元にしたものである。サーキットトレーニングをソ連の中学に導入したのは、ノルウェー人のニース・ブックである。

彼は、革命前(1900年代)にロシアに来て、中学で体育(体操)を教えていた。彼が指導した中学の体操指導は素晴らしいものであった。そうした中で、ニース・ブックは、ロシアの体操で「連続的体操」の教え方を使った。サーキットのように、1つのエクササイズをして休むのではなく、連続的にエクササイズを行うと言うことである。

例えば、エクササイズを1つずつ区切ってやれば、持久力が養成されないことが解った。それで連続的訓練方法がサーキットの基礎になった。

サーキットトレーニングの意味や内容は広くて深いものである。エクササイズの選択は自由であるが、身体各部位の筋肉を発達させるエクササイズが必ず入ってくる。Maximal Testによる基準と自己コントロールが重要である。サーキットトレーニングが終了すると、心拍数などを報告する。

それによって身体効果や反応を知ることができる。

肩、下肢、体幹、背部、全身の筋肉を発達させるために、それぞれ2つずつのエクササイズが必要になる。1つの部位に対して、2つのエクササイズが必要なのは、主導筋と拮抗筋の関係である。

これらを組み合わせて、サーキットトレーニングの基礎になる。従って、連続的トレーニングと言うものがサーキットトレーニングであると理解することは正しくないと言える。外国におけるサーキットトレーニングの考え方は、十分なものではない。

サーキットとは、連続的にやる運動と言う一般的な想像がある。しかし、連続的かステーションか区別する必要があり、全体を同じように扱ってはいけない。

また、試合期のサーキットトレーニングについては、どのようにやるのか、何のためにやるのか、その目的が重要である。一般的準備期にサーキットトレーニングをやる。専門的準備期にもサーキットトレーニングはする。

一般的トレーニングに使うエクササイズは、試合期に重要な意味を持たないものである。専門的トレーニングにサーキットトレーニングに入れると、選手の訓練程度を評価するために非常に有益なものになる。』

長い解説になりましたが、この話の中からどれだけトレーニングの発展性を見出すことができるかということも非常に重要なことだと思います。私自身は、マトヴェーエフ氏の話を伺って、固定概念を持ちつづけることへの警戒信号として聞いたように受けとめました。