シドニーオリンピックが終わって一息ついたころ、先週から身体障害者のオリンピックであるパラリンピックが始まりました。私は大学を出てから、身体障害者スポーツセンターに20年間勤務していたことから、バルセロナパラリンピックに卓球の監督として参加したことがあります。
しかし、今日ほど、パラリンピックが大々的に取り上げられたことはありませんでした。それも新聞のスポーツ欄に大きく取り上げられることなどなかったはずです。
このように大きく報道で取り上げられるようになったのも、長野で冬季パラリンピックがあり、人々に大きな感動を与えたからだと思います。毎日、新聞に載るパラリンピックの結果は、先の健常者のオリンピックと異なり、日本選手が大活躍しています。
パラリンピックについて
健常者では勝てないが、障害者のスポーツレベルは非常に高いということです。また、先日の新聞にマスターズ陸上で95歳の男性が槍投げで世界記録を出したと載っていました。記録は13メートル台であったと思います。日本のマスターズの選手も陸上や水泳で沢山の世界記録を出して活躍しています。
それなのに一般の選手だけが世界に追いつけないでいると言う不思議な現象が日本では見られます。
何が違うのでしょうか。努力の差でしょうか。みんな必死で練習をしていると思うのですが、障害者の場合、基本的にはきっちり仕事をしながら、練習をしている人たちがほとんどです。練習をするだけで給料をもらうというようなセミプロのような選手はほとんどいません。
一般のオリンピック選手達のように恵まれた環境ではけっしてありません。障害に負けない、障害に打ち勝つ努力を苦しいリハビリテーションの段階でやってきているのです。それがリハビリテーションの延長の中で、競技に出会うわけです。
そうするとスポーツができる・出来たことの喜びがあり、あとひとつ、もう一段、もっと、もっと、さらに、さらに・・・・と、挑戦し続けるようになるのでしょう。そこには耐える苦しみより、やれた・やれると言う喜びと自信のほうが大きいわけです。
自信が生まれる理由
そしてできる・やれると言う自信が生まれたときに、国内の大会や世界の大会があり、それに参加できた感動から、最終的に健常者の競技者と同じようにオリンピックが目標になるのです。ここまで経過すると、揺るぎのない自信とオリンピックチャンピオンになるんだという強い目標が生まれるのです。
ハンディを克服してきた強い精神力が、本番で100%以上の力を出し切ることができるのです。この点が一般のオリンピック選手達と異なるところです。物怖じしない、強い精神力を兼ね備えた選手がハンディキャップをもった選手には多いように感じます。
そして、明るさも持っています。ハンディキャップを負ったときの暗さは、死を考えることにつながりかねないのですが、競技会に参加できるようになった段階ではそんなことはすっかり消えてなくなっています。私自身、障害者の国内・国外の国際大会やオリンピックを実際に見てきたわけですが、そこには人間の限りない能力を感じずにいられません。人間は自分達が想像もつかないことができる能力をみんなが持っているのです。
全盲の人が100mを真っ直ぐ走ったり、フルマラソンを2時間台で走ったり、また走り幅跳や三段跳をすると言うことだけでもすごいことなのです。私も20年間そんな障害者の世界でスポーツの指導をしてきたわけですが、健常者ももっと素直に努力を重ねる必要があると感じています。
すぐに効く薬のような練習やトレーニングなんてあるはずがありません。そんな薬があるのなら、みんなが同じように強くなるはずです。チャンピオンへの道は、一段ずつ階段を上っていくようではありますが、実際には登山道のように登っては少し下り、また登っては少し下ることを繰り返しながら徐々に頂上へと登っていくものです。けっして直線的には登れないのです。急げば急ぐほど、落下したり・滑り落ちる危険性を含んでいるのです。
我々指導者は、ときには選手の道先案内人になったり、ときには選手の後ろからライトで道を照らしてやるといったことをしてやらなくてはいけません。
しかし、それよりも大事なことは、どのルートを登ればよいか、その選手にあったルートの選択と、登頂までのプランニングをすることです。そのためには、選手の能力や現状、将来性など、あらゆるデータを把握しなければいけません。本当に細かなプランニングが必要だと言うことです。このことは、トレーニングに関わらず、リハビリテーションについてもいえることです。「教科書通り」なんてことは、ありえません。
パラリンピックを見ていて、「地道な努力、コツコツと、ひとつひとつ」と言う言葉が頭に浮かびます。努力することの大切さ、積み重ねることの大切さを再確認した思いです。